帝というのは、窮屈なものよの。
庭に設えた舞台で舞う白拍子に目を細めながら、
後白河法皇は思う。
帝が直接言葉を交わせるのは、宮中の限られた者達のみ。
女でさえ、身分がどうのと吟味された上であてがわれることになる。
世に起こった出来事も、耳に入る時には干涸らびて元の形すら窺えぬ。
それに比して、上皇の立場ははるかに自由だ。
出家したとて同じこと。
今はこうして、面白い者達を側に置いたところで、誰からも咎められぬ。
好きな今様を集めて楽しむこともできる。
舞い終わった白拍子が床に手を突き、恭しく礼をする。
そのまま下がろうとするが、手招きをして呼び寄せる。
己の周囲の者は、己が選ぶ。
それが貴族であれ、武士であれ、身分卑しき者であれ、
ありのままの話こそが、聞くに値するもの。
彼らの言の葉は生臭い。しかしそれが、今の世の様を映しているのだ。
時代の流れ、世の移りゆく様、人々の心の動き、
政の中心にありながら雲上に祭り上げられた帝には、
決して感じ取ることのできないものだ。
このことを知り、自ら意図して多くの者と交わる。
清濁併せ呑み、最大限に利用する。
後白河法皇の強みは、まさにそこにあった。
清と濁といえば、まさしく今の法皇の様子がそうか。
法皇は、側近くに寄った白拍子を隣に座らせた。
美しい顔立ちの、潤んだ眼をしたその白拍子は、
法皇が語る熊野参詣の話に、静かに耳を傾けている。
御幸の前であれば、女性を近づけることもならぬはず。
しかし、この法皇に対し、長きに渡る潔斎を口うるさく強要する者はいなかった。
「白拍子の舞も見事であったが、お前の軽業を、また見とうなったぞ」
法皇の言葉に、白拍子は頭を下げ、簀の子の縁まで下がる。
と、そこから高々ととんぼを切った。
取り巻きの者達がどっと湧き、歓声が上がる。
脱ぎ捨てた白い衣装が中空を舞う。
身軽な出で立ちで着地した白拍子は、落ちてきた衣装を腕に絡め取り、
法皇に向かって深々とお辞儀をした。
頃合いと見定めた仲間の軽業師達が、面白おかしく鉦を叩きながら踊り出す。
「あの間者の家族、無事に着いたみたいだね」
「わざわざ確認ですか?頭領もお人が悪い。
那智あたりで、とっくにお会いになってるでしょうに」
「まあ、オレが頼んで呼び寄せたわけだしね。
で、もう一つの方はどうなんだい」
すると副頭領は憮然として腕を組んだ。
「間者に言った嘘が、本当になりました」
「夜逃げってやつ?」
「まあ、夜逃げではなく、当主が亡くなったのですが…」
「原因は、暗殺かい」
「はあ…。とりたてて病があるでもなく、元気だったのが突然、
というわけなんですが…」
「それなら、急の病だと思っても不思議じゃないね」
「怪しい者が出入りした形跡もないですし、
傷つけられた痕も見つからなかったそうです」
「なのに、暗殺だと思うのはなぜなんだい?」
副頭領は肩をすくめた。
「いや、すみません頭領。証拠はないんです。
ただの勘ってやつで言ってしまいました」
「興味があるね。熊野水軍の副頭領は、
見かけによらず勘が鋭いって有名だよ」
「む、むう…誰がそんな余計なことを」
副頭領は渋い顔をしたが、すぐに話を続けた。
「あの簪のことが頭にあったものですから」
ヒュ〜。
口笛が響く。
「あれだけ細い針を使ったならば、虫に刺された痕くらいの傷しか残りません。
今の季節は、虻だの蚊だの蜂だのが飛び回ってますし」
「でも、もう確認することはできないね」
「はい。遅きに失しました。ただ、少々気になることを小耳に挟みまして」
「その当主のことかい」
「最近、やけに機嫌がよかったと」
「へえ」
「この家も、いずれかつてのように栄えるだろう、と漏らしたそうです」
「いいじゃん。あの間者の線、辿ってみて正解だったね。
間者のカミさんは、行き止まりと言ってたけど、
大きすぎて見えないものもあるってこと」
「私にはさっぱりですが…」
副頭領は太い首を大きく傾げた。
「熊野の争乱、覚えてるだろ。
あの家は、どっちの側だった?」
副頭領は、はっと目を見開いた。
「まさか新宮方の……残党と?
しかし、何を今さら」
「やり口を考えてみなよ。オレへの恨みがふんぷんと臭うってね。
となると、平家の残党か、あるいは今の熊野別当が気に入らないヤツか」
「『愛らしい花』とかいうことはないんですか?」
「ははっ、言うねえ。でもオレは、毒花には近づかないよ」
「つまりは私怨、ということですか」
「間違いなく、根っこには、それがある。
無駄が多すぎるんだよ。簪に細工したり、山道に仕掛けを作ったりね。
あれだけ執拗に望美を狙うなんて、
まるで、オレに気づけと言ってるみたいじゃない?」
「山道の一件は、あのアザミって娘を狙ったんじゃないんですか」
「全然、違う。それは確かだよ」
「手間の割に、どちらも失敗に終わっているとなると、
敵の目的がどこにあるのか、今ひとつ解せませんが…」
「無駄なことを役立てるためには、どうする?」
「謎かけですか、やはりお人の悪い…」
そう言って副頭領はまたしても太い首を傾けた。
やがて、ぼそり…と呟く。
「本当の目的から目を反らすために使う…ですか」
「正解!」
「では、その目的とは」
「それはね……」
深き緑に
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