深き緑に(まばゆ)き青に  〜6〜




帝というのは、窮屈なものよの。

庭に設えた舞台で舞う白拍子に目を細めながら、
後白河法皇は思う。

帝が直接言葉を交わせるのは、宮中の限られた者達のみ。
女でさえ、身分がどうのと吟味された上であてがわれることになる。
世に起こった出来事も、耳に入る時には干涸らびて元の形すら窺えぬ。

それに比して、上皇の立場ははるかに自由だ。
出家したとて同じこと。
今はこうして、面白い者達を側に置いたところで、誰からも咎められぬ。
好きな今様を集めて楽しむこともできる。

舞い終わった白拍子が床に手を突き、恭しく礼をする。
そのまま下がろうとするが、手招きをして呼び寄せる。

己の周囲の者は、己が選ぶ。
それが貴族であれ、武士であれ、身分卑しき者であれ、
ありのままの話こそが、聞くに値するもの。
彼らの言の葉は生臭い。しかしそれが、今の世の様を映しているのだ。

時代の流れ、世の移りゆく様、人々の心の動き、
政の中心にありながら雲上に祭り上げられた帝には、
決して感じ取ることのできないものだ。

このことを知り、自ら意図して多くの者と交わる。
清濁併せ呑み、最大限に利用する。
後白河法皇の強みは、まさにそこにあった。

清と濁といえば、まさしく今の法皇の様子がそうか。

法皇は、側近くに寄った白拍子を隣に座らせた。
美しい顔立ちの、潤んだ眼をしたその白拍子は、
法皇が語る熊野参詣の話に、静かに耳を傾けている。

御幸の前であれば、女性を近づけることもならぬはず。
しかし、この法皇に対し、長きに渡る潔斎を口うるさく強要する者はいなかった。

「白拍子の舞も見事であったが、お前の軽業を、また見とうなったぞ」
法皇の言葉に、白拍子は頭を下げ、簀の子の縁まで下がる。
と、そこから高々ととんぼを切った。

取り巻きの者達がどっと湧き、歓声が上がる。

脱ぎ捨てた白い衣装が中空を舞う。
身軽な出で立ちで着地した白拍子は、落ちてきた衣装を腕に絡め取り、
法皇に向かって深々とお辞儀をした。
頃合いと見定めた仲間の軽業師達が、面白おかしく鉦を叩きながら踊り出す。






「あの間者の家族、無事に着いたみたいだね」
「わざわざ確認ですか?頭領もお人が悪い。
那智あたりで、とっくにお会いになってるでしょうに」
「まあ、オレが頼んで呼び寄せたわけだしね。
で、もう一つの方はどうなんだい」

すると副頭領は憮然として腕を組んだ。
「間者に言った嘘が、本当になりました」

「夜逃げってやつ?」
「まあ、夜逃げではなく、当主が亡くなったのですが…」
「原因は、暗殺かい」
「はあ…。とりたてて病があるでもなく、元気だったのが突然、
というわけなんですが…」
「それなら、急の病だと思っても不思議じゃないね」
「怪しい者が出入りした形跡もないですし、
傷つけられた痕も見つからなかったそうです」
「なのに、暗殺だと思うのはなぜなんだい?」

副頭領は肩をすくめた。
「いや、すみません頭領。証拠はないんです。
ただの勘ってやつで言ってしまいました」
「興味があるね。熊野水軍の副頭領は、
見かけによらず勘が鋭いって有名だよ」
「む、むう…誰がそんな余計なことを」
副頭領は渋い顔をしたが、すぐに話を続けた。
「あの簪のことが頭にあったものですから」
ヒュ〜。
口笛が響く。

「あれだけ細い針を使ったならば、虫に刺された痕くらいの傷しか残りません。
今の季節は、虻だの蚊だの蜂だのが飛び回ってますし」
「でも、もう確認することはできないね」
「はい。遅きに失しました。ただ、少々気になることを小耳に挟みまして」
「その当主のことかい」
「最近、やけに機嫌がよかったと」
「へえ」
「この家も、いずれかつてのように栄えるだろう、と漏らしたそうです」

「いいじゃん。あの間者の線、辿ってみて正解だったね。
間者のカミさんは、行き止まりと言ってたけど、
大きすぎて見えないものもあるってこと」

「私にはさっぱりですが…」
副頭領は太い首を大きく傾げた。

「熊野の争乱、覚えてるだろ。
あの家は、どっちの側だった?」

副頭領は、はっと目を見開いた。
「まさか新宮方の……残党と?
しかし、何を今さら」

「やり口を考えてみなよ。オレへの恨みがふんぷんと臭うってね。
となると、平家の残党か、あるいは今の熊野別当が気に入らないヤツか」
「『愛らしい花』とかいうことはないんですか?」
「ははっ、言うねえ。でもオレは、毒花には近づかないよ」

「つまりは私怨、ということですか」
「間違いなく、根っこには、それがある。
無駄が多すぎるんだよ。簪に細工したり、山道に仕掛けを作ったりね。
あれだけ執拗に望美を狙うなんて、
まるで、オレに気づけと言ってるみたいじゃない?」

「山道の一件は、あのアザミって娘を狙ったんじゃないんですか」
「全然、違う。それは確かだよ」

「手間の割に、どちらも失敗に終わっているとなると、
敵の目的がどこにあるのか、今ひとつ解せませんが…」
「無駄なことを役立てるためには、どうする?」

「謎かけですか、やはりお人の悪い…」
そう言って副頭領はまたしても太い首を傾けた。

やがて、ぼそり…と呟く。
「本当の目的から目を反らすために使う…ですか」

「正解!」
「では、その目的とは」
「それはね……」



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