比 翼

− 3  冬の始まり −

2. 確 信



政子もまた江間四郎に劣らず、いやそれ以上に、機嫌が悪い。

頼朝の官位授受の名代としての役割は、全てつつがなく終わり、 表向きには、何の問題もない。
だが……

やっと拝謁を許され、今、政子は法皇に対峙している。

法皇が笑みを浮かべた様は、まさに好々爺と言うべきか。 身分の隔てなく人々と交わるとの噂通り、 朝廷の者達のようにもったいぶることも、 居丈高になることもない。
だがその奥底に、非情ともいえる視線がある。 それでありながら、奥底にあるものが何であるのか、 言葉からも表情からも、皆目うかがい知ることができないのだ。
それが、政子をひどく苛立たせている。

法皇は初対面の政子に、 親しげともいえる調子で言葉をかけた。
「鎌倉殿のこと、覚えておりますぞ。
あれはまだ源氏も平氏も京に居た頃のことじゃ。
元服後間もない年ながら、我が准母、城西門院殿にもよう仕えてくれていた」
「もったいなきお言葉、必ずやお伝えいたします」

「ほう、そのように袖で口元を隠す仕草は、京の姫も及ばぬ愛らしさよのう。
鎌倉殿はまこと、果報者じゃ」
「お恥ずかしゅうございます」

「では、よいものを見せて進ぜよう」
そう言うと、法皇は控えていた若い僧に合図して、何やら小箱のようなものを運ばせた。
「経箱じゃ。形、装飾、塗り、どれも見事と思わぬか」

政子の眼前に置かれた経箱は、淡い虹色の紋様で飾られた、贅を凝らした造りのもの。 だが、これを見せた法皇の真意が分からない。

「すばらしきお品にございます。
このような美しい経箱、これまで見たこともございません」

法皇は喉の奥でくっくっと笑った。
「そうかそうか、さすが見る目がおありじゃ」
そして箱の蓋に手を伸ばす。
「中も、とくと賞翫するがよいぞ」

「くっ…」
艶やかな金の色が、政子の眼を射た。

法皇は、一瞬変わった政子の表情を見て取ると、 満足した猫が喉を鳴らすような声で言った。
「京の都には、よき物が集まる。
よき物を愛でる者達も集まっているということじゃ」
「恐れ入りましてございます」
悔しさを押し隠して、従順な言葉で答える。

「鎌倉殿は京でお育ちになったゆえ、
いずれ自ら上洛の時もあるや…と思うが」
法皇はここで言葉を切った。

名代しか寄越さぬとは、つまり 今以上の身分を望んでいるのだろう?…との言外の問いに、 政子は気付かぬ振りをする。法皇の口の端が少し、上がった。

「鎌倉殿とはいずれ、ゆっくりとお目にかかりたいものよのう。
さても、その折には、これに劣らぬよき物をきっと見せてくれようの。
今から楽しみじゃ」



ひねり潰すことなど、簡単にできるのに……。
底の知れない男だ。気に入らない。

法皇の居所を辞してなお、政子の心はおさまらなかった。

頼朝の遠謀を、とうに見透かしているのだろう。 だとしても、源氏と平家、どちらも手玉に取った法皇のこと、 決して不思議ではない。しかしそれを、あのような形で示すとは。

上洛して以来、不愉快な人間ばかりに会う。

行く先々で、貴族達からねちり、ねちりと同じ事を言われ続けているのだ。

曰く、「此度は不思議なことが起きましたなあ。
あの九郎義経殿にしては、あまりの愚挙。
さぞ、ご心痛のことと……云々」

そして曰く、「鎌倉殿は、黄金の輝きにご執着と聞き及ぶが、
武士を束ねるもののふも、戦を終えて、ずいぶんと変わられたものですな」

この言葉に嫌な予感がしたが、それは当たってしまった。

奥州の黄金は、今まで通り直接京に運ばせよ、と 朝廷から直々に念を押されたのだ。

つまりは奥州が、早々と手を打ったということだ。 法皇の経箱だけではないだろう。朝廷の主立った者達に、 黄金を伴った使者が送られたのだ。 平泉の古狸めが、こちらの書状と同時に動いたということか。

権謀術数の渦巻く朝廷で身を処してきた者達は、 皆同じように、ふぉっふぉっと扇で顔を隠して笑いながら、 決して笑わぬ目で、政子を見ていた。
このように奥州に出し抜かれた鎌倉の力量が、果たして如何ほどのものかと、値踏みしているのだ。

あのお方を…そのように小さな器で量ろうなどとは…。
政子は唇を噛む。

だが頼朝自身は、かつての平家や義仲と自分が比べられていることを知っているのだ。 知っているからこそ、京を語る時には、隠しようもなく皮肉な嗤いがその声に混じる。

――だから……頼朝様は急いでいるのね。
京に来て、私もよく分かったわ。
邪魔の入らぬうちに、獅子身中の虫は取り除いておかなくてはならないのだと。

次は熊野。
あの生意気な別当に、余計なことはさせませんわ。

きゅっと眼を細めて薄く笑い、政子は側付きの女房に耳打ちした。

「景時を、呼びなさい」

政子の眼が狐火を宿して、光った。



* * * * * * * * * * * * * * * * * *



「お、おい…あの男は」
「おお! 京にいらしているとは…」
くたびれた烏帽子を被った街人二人組が、興奮して囁き合っている。
「落ち着け。この行列は、熊野の一行だぞ。しかもあの男は (かち)だ」
「だが、そっくりじゃないか。顔といい…」
「あの眉間の縦皺といい…」

なかなか確信のつかめぬ二人は、 大路を進む熊野別当の一行に、つかず離れずこそこそとついていく。 別当に付き従った水軍衆の中には、戦で見知った顔もあるが、 今は訳あって、大っぴらに出て行かれぬ身。 下手に見つかるわけにはいかない。 人波に紛れ、それでも時折伸び上がっては列の中のただ一人を確かめる。

もしや…という思いが、彼ら――佐藤継信、春信の兄弟を突き動かしている。 九郎の配下は今はちりぢり。かろうじて互いに連絡を取り合っているものの、 本来は京にいることも罷り成らぬとされている。 九郎自身は捕らえられ、今は四面楚歌の状態なのだ。 軍師の弁慶が何やら画策しているが、味方は一人でも多く欲しい。

そこに、故郷の奥州にいるはずの、かつての主の嫡男らしき男が現れたのだ。 熊野の水軍衆と一緒にいるのだから、おそらく人違いなのだろう。 だが、あの男がもしも…。

――いつの間に、平泉の郎等ともあろう者が、あそこまで間抜けになったのだ。
九郎に従っていたからか。
あのようについて来たなら、目立つにもほどがある。

ヒノエの馬の隣を歩きながら、泰衡はこの上もなく険悪な顔つきになっている。

それに、この俺にも目立ってはならぬ事情があることくらい、 うすうす察してもよさそうなものだ。 こうして馬にも乗らず、水軍衆に混じって歩いているのは何のためだと思っている。

本当は、継信と春信の無事をその眼で確認して安堵しているのだ。 だが泰衡自身が、それに気付いていない。

苦虫を大量に噛みつぶしたような表情で、泰衡は二人に一瞬だけ視線を送った。 人波の上に伸びていた彼らの頭が、慌てて引っ込む。

泰衡は腕を組む振りをしながら指をそっと動かし、口の中で呪を唱えた。

「熱っ…」
「ひぃ…」
押し殺した声が人波の向こうから聞こえた。

――フン! 熱いのは、間抜けたことをした仕置きだ。

眉間の皺が少し浅くなる。本人としては笑ったつもりだ。

泰衡は振り返ることもなく、行ってしまった。

継信と春信は並んで行列を見送ると、前より元気な足取りでその場を去った。

歩きながらそっと掌を開くと、そこには藤原家の紋が浮かんでいる。

二人は目を合わせ、力強く頷きあった。




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− 3 冬の始まり −

[1. 潜行]  [2. 確信]  [3. 向き合う者]  [4. 名残]  [5. 神子]
[6.隠されたもの]  [7. 別れ]  [8. からくりの一]  [9. からくりの二]
[10. からくりの三]

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熊野一行が向かっているのは、政子様の待つ六条堀川の館です。
次回、政子がヒノエに突きつけた条件とは?
そして泰衡がなぜ同行しているのか?
等々が明らかに! なります。
そうするつもりです。
そうなるかもしれません。
予定は未定……ですね…はい…汗

2009.1.10