比 翼

− 3  冬の始まり −

10. からくりの三



烏が男達を囲んでいる。一見、形勢は逆転したかのようだ。 しかし、相対しているのは戦いを生業とする者達と、情報収集に専従する烏。 戦いは人数だけで決するものではないのだ。 囲まれた男達には、怯んだ様子など微塵もない。
「かかれっ!」
男達は剣を抜いた。ヒノエに腕をやられ、地上に落下した射手も加わる。

だが両者が激突する、と思われた時、数歩と進まぬうちに、男達が皆、足をもつれさせた。 中には無様に手をつく者までいる。
「くそっ、熊野別当!」
「小賢しい真似を…」
口汚く罵るが、その間に彼らの視界からヒノエの姿は消えている。

ヒノエとノスリは、無駄に動いていたわけではなかった。 いずれ地上戦へと移行することは明らか。 男達が低い足裁きで移動することも見越して、足元に細い縄を張り巡らせていたのだ。

「今です、頭領!」
ヤマシギを肩に背負い、副頭領が叫んだ。
刺客を足止めできるとしても、僅かな時間だ。 その間に、何とか逃げ切らなければならない。

ヒノエ、副頭領とノスリの三人は、斜面を駆け下りる。
「副頭領…ヤマシギは掟を破った烏。
どうかお捨て置き下さい」
ノスリが苦しげに言った。
副頭領は怒ったよう答える。
「まだ息はある。それに、ヤマシギはあんたの息子だろうが」
「……秘密を漏らし別当様を窮地に陥れるなど、万死に値する所行。
本来なら、私がこの手で…」
「そんなに深刻になるなよ」
こともなげに、ヒノエが言った。
「それよりオレは、こいつから話を聞きたいんだ」
「話…?」
「ああ、オレが知りたいのは、
ヤツらがどうやって烏の秘密を聞き出したのかってこと。
それって、ものすごく重要だと思わない?」
「おお! さすが頭領。先の先まで考えてるんですね」
「……承知致しました」
「間違っても、手にかける、なんて言うもんじゃないよ」
「ありがとうございます…」
ノスリの声が、心なしか滲んだ。



* * * * * * * * * * * * * * * * * *



「朔、お願いがあるの」
しばらく席を外していた望美が、部屋に戻って来るなり、唐突に話を切り出した。
「ヒノエくん、今いないんだ。だから私、一人で行ってくる」
「待って、どこかに行くというの? それなら私も一緒に」
「ううん、朔はここに残って、私がいないことが知られないようにしてほしいんだ」
朔は驚き、大きく眼を見張った。
「そんなことをしてまで、何をしようというの、望美」

望美は真剣な眼で朔を見た。
「弁慶さんに会いに行く。…もう時間がないの」
「弁慶殿は夕方までには京を出ると、兄上は言っていたわ」
「うん、もしかしたら、まだ間に合うかもしれない。だから…」

望美は朔の手をぎゅっと握り、
「朔、お願い…」 それだけ言うと、すっくと立ち上がる。
「待って、望美…」
後を追おうとする朔に黙って頭を振ると、望美はするりと部屋を抜け出す。

――弁慶さんに伝えなければ。
たとえ九郎さんを救出しても、 絶対に平泉に行ってはいけないと…。

ヒノエに何も言わず屋敷を抜け出すことに、胸が痛む。 だが、ヒノエの帰りがいつになるかは、分からないのだ。 今は時間との競争。望美にとって、つらい決心だ。

方や、ヒノエもまた、望美に報せることなく屋敷を出ている。 だがそれは、よくあること。最初のうちこそ心配したが、熊野別当の立場上、 いちいち望美に断りを入れることはできないと、今は理解している。 また、そのような時は、あれこれ詮索してはならないということも。

「ヒノエくん、ごめんね。少し…出かけてくる。
すぐ戻るから…本当に、ごめん」

廊下の床下伝いに建物の端まで行き、植栽を足がかりに塀に上がって、 一気に路上に飛び下りる。その衝撃に足がじん…と痺れたが、望美はすぐに走り出した。

だが一人の烏がそれに気づいた。 望美を追おうと、続けて塀からひらりと下りる。
が、背後に気配を感じた瞬間、首筋を打たれ、その場に倒れた。


「梶原殿、別当の北の方が動きました」
物陰に潜んだ見張りの一人が、景時に報告する。
「どっちに行った?」
「北へ。梶原殿の読みの通りです」
「そうか」
景時は磨墨に飛び乗った。
「後は最後まで……オレがやる」
「御意」



* * * * * * * * * * * * * * * * * *



繋いでおいた馬に飛び乗り、 林を抜け鴨川に臨むゆるやかな傾斜地へと出た所で、副頭領は馬の足を緩めた。
「ここまで来れば一安心です」

しかし、その横をヒノエの馬は速度を緩めず駆け抜けていく。
「と…頭領?!」

ヒノエは振り向き、
「オレは屋敷に急ぐ!」
それだけ言うと、行ってしまった。副頭領とノスリもわけが分からぬまま、後を追う。

馬の背に低く身をかがめ、 全速力で走らせながら、ヒノエはほぞを噛む思いでいる。

仕掛けられた罠に、みすみす飛び込んでしまった。 六波羅がらみで人質を取るなど、背後にいるのが誰か、容易に推測はつく。
だが、ヒノエを消すのが目的ならば、少し手が込みすぎてはいないか。 彼らは戦闘を生業としているとはいえ、あくまでも間者だ。 真っ向から来ることのない、変則的な戦法を使う。 しかし、たった数人相手なのだ。そのような戦い方などしなくとも、 兵を二、三十も投入すれば、すぐに片がついたはず。

だがそれをしなかった。その理由は、何だ…。

熊野別当が殺されたなどといったら、院も朝廷も黙ってはいない。 また、兵を動かすとなれば、隠密裏にはいかない。誰の仕業かは、すぐに知れてしまう。
だから、ああいう剣呑なヤツらを使ったのか? 密かに始末して、 知らぬふりを決め込むために?
その可能性は高い。副頭領はそう考えているようだ。

――だが最初から、オレの命が目的ではないとしたら…?
ヤツらの戦い方は、まるで……

ヒノエの背に、冷たいものが走る。

そうだ……まるで、オレ達を足止めしようとしているみたいだった。

その理由を考えた時、浮かび上がる答えは一つ。

「望美!!」

吹きすさぶ寒風をついて、ヒノエは馬を駆る。



* * * * * * * * * * * * * * * * * *



「弁慶さん!」
望美は、息を切らせながら五条の診療所に飛び込んだ。
しかしそこにいたのは、
「お前は…!」
「薊さん!」

驚きのあまり一瞬呆然とした望美だが、狭い小屋の中を見回し、 弁慶の姿がないことにすぐに気づいた。 足が冷たくなっていくのが分かる。今にもがくがくと震え出しそうだ。 それでも、かすかな希望をこめて尋ねる。
「薊さん、弁慶さんは?」

熊野別当の女が、なぜ青い顔をしてこのようなことを聞くのか。 訝しく思いながら、薊は素っ気なく答えた。
「……もう、ここにはいない」
「いつから?」
「夕べのうちに、いなくなった」
「診療所を閉鎖するようにって、命令があったから?」

この女、どこまで知っているのだろう。だが今となっては、隠す必要などない。
「護送の途中で、九郎義経を助けるつもりらしい」
「そんな…」
間に合わなかった。夕べのうちにここを出たなら、最初から、間に合うはずもなかったんだ。

しかし、かすかな疑問が湧く。
「でも、なぜ、昨晩…なんだろう」
景時は、急に命が下ったと言った。それに今日 屋敷に来た時には、朔はそのことを知らなかった。だから当然、九郎護送の命は、 今日下りたとばかり思っていたのだ。 だが弁慶は、昨夜それを知った。

望美の背後で、扉が開いた。振り向くと、 外光を背に、長身の男が立っている。
「もちろん、わざと漏らしたんだよ。
弁慶は知っていて、それでも行かなければならなかった。
九郎を助けるためには、他に手がないんだからね」

「景時…さん?」
「ああ、オレだよ」
景時は小屋に歩み入った。

「やっぱり、ここに来たね」
景時の顔には、悲しげな笑み。
「これで、オレの仕掛けたからくりは完成だ」

望美は咄嗟に薊を後ろにかばった。景時の放つ気は、いつもとまるで違う。 ひどく危険なものが潜んでいるように感じられてならないのだ。

「私をかばってどうする。やつの狙いはお前だぞ」
薊が後ろから低い声で言った。

景時はちらりと薊に眼をやり、すぐに望美に視線を戻す。
「君が何者か知らないが、当たっているよ」
そしてゆっくりと愛用の銃を取り出し、望美に向けた。

「景時さん! どういうことですか?! 私、何も…」
「していない…と言うのかい」
「そうです」
「何もしていなければ、平穏無事でいられる、とでも思っているのかな」
景時の冷たい声が、望美の心をえぐる。
「なぜ? 景時さん…」

「なぜ、と聞くのか。まだ分からないのかい?
君は役に立つんだ。熊野の動きを封じるためにはね」
「どうして私が…?
ヒノエくんは熊野から出てはいけないって、政子様が命じたんです。
熊野を抑えるなら、それだけで」
「もちろん、不十分だよ」
「でも、国守の人達が集まった正式な場で」

景時は、小さく肩をすくめて見せた。
「正式な場だろうと、誓詞を書こうと、口約束だろうと同じなんだよ。
約定などというものは、いとも簡単に破られるものだからね」

望美は拳を握りしめた。間違っている。景時さんはなぜ、そんなことを平気で言えるのだろう。
「それって、あんまりな言いがかりです! 
破られることが前提の約束だったら、何を信じればいいんですか」

景時は力なく笑った。
「頼朝様は、何も信じていらっしゃらない。
まして、抜け目のない他国の別当なら、なおさらだ」

望美は真っ直ぐに景時の眼を見た。
「景時さんのことも、ですか」

銃口が、わずかに揺れた。

「ああ、そうだ。だけど、それでもいいんだ」
「景時さん…」
「ごめんね、望美ちゃん。オレを…憎んでいいよ」

引き金にかかった景時の指が、ゆっくりと動く。

望美に見えたのは、そこまでだった。




第3章 了




− 3  冬の始まり −

[1. 潜行]  [2. 確信]  [3. 向き合う者]  [4. 名残]  [5. 神子]
[6.隠されたもの]  [7. 別れ]  [8. からくりの一]  [9. からくりの二]
[10. からくりの三]

− 4  奪 還 −

[1. 窮地]

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あ〜〜、やっぱり! な展開になりましたが、
これから別当殿の見せ場が待っています。
がんばってカッコよく書かなくては(むん)。

当初の思惑では、ヒノエくんと熊野サイドの視点に徹して描こうと 思っていたのですが、
それでは話が収まりきれなくなっていき、
書き手の力量を越えて、どんどん風呂敷が広がっています。

おつきあい下さっている神子様達に深く感謝!です。

2009.3.16