比 翼

− 3  冬の始まり −

4. 名残



鞍馬への道は、京の北に聳える山へと分け入っていく道だ。 八瀬、比叡に至る道を右に見送り、さらに上れば、やがて 貴船川が左に分かれていく。山は深く、急な坂は高い木立の底を這うように続く。

その人影は、まるで平坦な道を行くが如く、 険しい道を飛ぶように上っていた。 道を下ってくる者が近づくと、一瞬、道から姿を消し、 相手が遠ざかったところでまた現れる。 誰かとすれ違ったと気付く者はいない。

かつて、若い血潮の滾るままに、仲間を率いてこの道を駆け下りていく少年がいた。 帰りには、幾つもの傷をこしらえ、それでも皆で笑い合っていれば勝ち。 口数少なく荒々しい足取りならば、比叡の法師達にこっぴどくやられた印であった。

――あれから、幾歳経ったのだろうか。

痛みに似た感慨が心をよぎるが、足を緩めることはない。
その人影は、いつしか人の行く街道を離れ、さらに険しい獣道を進んでいた。 まるで山の気の一部と化したかのように、 枯れ草を踏み分けても、流れを飛び越えても、鳥は騒がず、 獣が驚くこともない。 踏みしめる土に這う木の根の在処まで知り尽くしているのか、 着実な足取りで過たず道を上り行く。

やがて小さく開けた日だまりで、人影はふと足を止めた。 葉を散らした木立の中に、一本だけ、鮮やかな色を残した木がある。

――この世の全ては、有為転変を繰り返し、過ぎてゆく。 今はこの身も、時の流れのままに在る。

胸に手を当てれば、かつてそこにあった感触を思い出す。 白き龍が天に還った時に消え去ったもの……。 消え去ったことこそが、尊き役目を終えた証。

名残の紅葉に眼をやり、かすかに微笑んで再び歩き出す。
ふわりと流れた髪が、入り日を受けて金色に輝いた。



* * * * * * * * * * * * * * * * * *



「私は奥州国守藤原秀衡が嫡子、藤原泰衡」

鋭い眼光を政子に向け、堂々と名乗りを上げた泰衡に、万座がどよめいた。 この席に奥州の雄、藤原家の者が来るなど、想像もつかぬことだ。
まず第一に、場所は奥州から遠く離れた京。 第二に、ここに集まっているのは源平合戦で源氏に加担した国守ばかり。 奥六郡は戦に加わることなく、その間ひっそりと静まりかえっていたのだ。 第三の、そして最大の驚きは、藤原泰衡が熊野別当に同行してきたことだ。 これは両国が結んだと考えてよいのだろうか。それとも、表面的 一時的なものか。裏を考えずにはいられない。

泰衡は悪びれた様子もなく、言葉を続けた。
「どうか誤解無きよう願いたい。元より、名乗り出る所存だった。
だが、約束もなくお目通り願うのだ。
諸事万端が終わってからと思い、外に控えていた次第。
話に割り込むほど、礼を知らぬものではない」

言葉は丁寧だが、その態度は傲岸とも取れる。これにどのように対するのか、 皆は次に政子を注視した。

「まあ、藤原秀衡殿の嫡子ともあろう方が、
そのように遠慮なさることはありませんのに。
堂々と名乗って、表から来訪すればよいのではなくて?」
もっともな言葉だ。皆は頷いた。

「そのようにできたならと、私も考えていた」
泰衡は眉間に皺を寄せたまま、政子を見据えて答えた。
「だが聞くところによると、御台所様はこの後すぐに鎌倉に御出立とか。
一方私は、京に着いたばかり。
とはいえ、御台所様のご滞在を知りながらご挨拶もせぬとあっては、
かえって無礼と言うもの。
そこで本日が最後の機会と、我が後見藤原湛快殿の伝を頼り、
別当湛増殿にお願いして、こうしてまかり越した。
これもひとえに、鎌倉殿の昇叙に祝いの言葉を奏上したいがため。
無礼と映ったのなら、お詫びしたい」

政子もまた、泰衡に向けた視線をそらさない。
「泰衡殿に頂いたお祝いの言葉、確かに頼朝様にお伝えいたしますわ。
それにしても、せっかくお目にかかれたのに、ゆっくりお話もできず残念ね」
そして眼を細め、ゆっくりとした口調で言った。
「ところで、泰衡殿自ら上洛なさったのはなぜですの?」
泰衡は淀みなく答える。
「奥州よりの品を、朝廷に献上するため」

そのような答えが返るものと、政子には、予想がついていた。 平泉からの黄金を伴った先触れの使者は、政子に先んじて、朝廷の有力な貴族を訪れていた。 それは対鎌倉への布石と同時に、 最後に現れる泰衡の登場をお膳立てするためのものだったのだろう。
奥州よりの品…黄金。鎌倉を素通りした上に、嫡男自らが献上のために足を運ぶとは。
都より遙か離れた地にありながら、奥州のやり方には遺漏がない。

――やはり頼朝様のためには……。
政子が眼を伏せ、うっすらと微笑んだ時、泰衡が口を開いた。

「ところで、九郎義経殿が捕らえられたと聞いたが…」

政子の口元がきゅっと上がった。このような好餌に自ら飛びつくとは…。

「あら、九郎がご心配かしら。
そういえば、九郎と平泉は繋がりが深かったわね」
泰衡は、眉をひそめた。
「そのようなことを問うているのではないが…」
政子は切って捨てるように言う。
「口添えなら無駄ですわ。これは源氏内部の問題。
あまり大それた事はしない方が身のためよ」

泰衡は眉を上げた。
「話が行き違っているようだ。私は九郎のことなど案じてはいない」
「何ですって…」
「九郎の配下には、奥州平泉の郎等がいる。
九郎が鎌倉殿の元へ向かう時に、
手勢として御館の命により付き従わせた者達だ。
戦も終わり、彼らはそろそろ平泉に帰るべき頃」
泰衡は鞭のようにぴしりと言った。
「我が奥州の郎等、よもや断罪などしてはおられぬだろうな」

政子は言い放った。
「それがどうしたというの。九郎と共にいたのなら、罪は同じ」
泰衡は、ひと膝乗り出した。
「天下に法を示す鎌倉殿の名代が仰ることとも思えぬ。
では問おう。佐藤継信、春信がどのような罪科を犯したというのか」
「主の罪は、従者の罪。平泉の郎等はその覚悟もないのかしら」
「佐藤兄弟は御館の命に従っているのみ。
二人が今どこにいるのか、お答え頂きたい。
彼らの処遇、この泰衡にとって見過ごすことはできないことだ」

一同は、固唾を呑んで二人の応酬を見ている。 皆、石にでもなったように身じろぎもしない。

その中でただ一人、ヒノエだけが冷静に推移を見守っていた。
正体を見破られることなくすめばそれでよしと思っていたが、 相手は北条政子。ただでさえ目立つ泰衡に気付かぬはずはない。
ヒノエはちらりと泰衡の後ろ姿に眼をやった。
――見直したぜ、泰衡。
お前がこんなに口がうまいとは思わなかったよ。
でも、前もってずいぶん考えてたんじゃない?
せいぜい、この機会、利用させてもらうよ。
せっかく北の方を煽っているんだから、これを利用しない手はないってね。

政子の片言隻句も聞き漏らさぬよう、ヒノエは耳をそばだてている。

政子はすうっと眼を細めた。
「対等な口をきくのね。でもその強気なところ、嫌いではなくてよ」
口元に、冷たい笑みが浮かぶ。
「いいわ、教えてあげましょう。秘密ではないのですもの。
捕らえたのは九郎一人よ」

泰衡はかすかに眉を上げた。
――あの荒法師は捕らえられていないのか。

「九郎自身が言いましたのよ。咎は全て自分にあると」
「九郎が…認めた?」
「くすくす、九郎が命じれば、身代わりに罪を負う者はいるでしょうに。
正直に申し出るなんて、九郎らしいわね」
――同感だ。だが、本当に九郎が……?

「九郎があまりに懇願するので、
他の者達には温情をかけてあげましたのよ。
あっという間にちりぢりになりましたわ」
「行方を掴んでいないというのか?」
「ええ」

――では、先ほど行列を覗いていた継信春信は?
罪を問われていないのなら、なぜまだ京でぐずぐずしているのだ。
………だいたい予想はつくが……。

「でも、情けをかけるのは一度きり。
変な真似をしたなら、容赦はしませんことよ。
たとえ、平泉の郎等とあっても」

――やつらは、変な真似をしたくてたまらぬ様子だった。
だが、九郎に心酔した者達は危険だと分かっているはず。 さらにはあの黒法師まで、なぜ野放しにしている……。

政子はすっと立ち上がった。泰衡、そしてその場の全員を見渡す。
「これで話は終わりよ。私は鎌倉へ戻ります。
あなた方は、頼朝様への忠誠、努々忘れることのないように」
「はっ!」

頭を垂れる男達を睥睨し、その場を退出しようとした政子が歩みを止めた。

その眼には、青い狐火が踊っている。




次へ




− 3  冬の始まり −

[1. 潜行]  [2. 確信]  [3. 向き合う者]  [4. 名残]  [5. 神子]
[6.隠されたもの]  [7. 別れ]  [8. からくりの一]  [9. からくりの二]
[10. からくりの三]

[比翼・目次へ]

[小説トップへ]


弁慶さんのことは、名前で呼ばない泰衡さんです(苦笑)。
荒法師だの、黒法師だの、言いたい放題。

政子様@堀川の場面だけで、2話続いていますが、
次回も、もう少し、おつきあいお願いすることになるかと思います。

この場面に限らず、物語全体をこれほどの密度で書き込んで行くことになるとは、
正直予想していませんでした。
最初の構想では、ヒノエくん視点を中心にして、
彼が直接知り得ない堀川強襲などのエピソードなどは、
伝聞の形で描こうと思っていたのです。
また、この泰衡さんVS政子様の対決?は、書かないはずだったシーンです。
泰衡さんが、最後まで政子様に気付かれないままで終わろう…と思ってました(苦笑)。
重要なのは、泰衡さんが直接政子様の近くまで行くことですので。

けれど、この二か所だけではなく、どのエピソードも
できるだけきちんと描いておかないと、
ストーリーを語るのではなく、単なるあらすじを書くことになってしまいます。
その結果、登場キャラも、あらすじを進めるための道具、狂言回しと化してしまうことに。
「遙か」への思いを描きたくて小説を書いているのに、これでは、本末転倒です。

というわけで、まだまだ話は続きます。
冒頭にはリズ先生も登場しましたし、物語は総力戦へと突入していくはず。
あと2〜3話のうちに、さらなる大事件を描けるといいのですが…。

2009.1.31