4. 決 意
望美…
寝物語に語ってくれた、お前の世界、
のびやかな笑顔を育んだ、十数年の歳月、
お前を愛する全ての人々、お前の故郷。
お前が手放したものは…あまりにも重い。
あの日……
譲が元の世界に帰った日、
譲を追って屋敷を飛び出したお前を、
オレは追いかけた。
譲を見送るお前の背中は、泣いていたね。
お前はあの時、
譲と…元の世界に永遠のさようならを言ったんだ。
オレは熊野を捨てられない。
お前を手放すことも、できない。
だからお前が、この世界に残ってくれた。
お前の世界を捨てて、オレの花嫁として。
オレは何も失わず、
お前は、故郷を失った。
お前のために、オレはサイコーの男になる。
お前がいるから、オレはサイコーの男になれる。
手放したものよりも、
ずっとたくさんの幸福を、お前にあげるよ。
だから待ってろ、オレの神子姫様。
オレはお前を必ず救い出す!
頼朝、オレは本気だぜ。
女一人と熊野を、天秤にかけろっていうのか?
オレにどんな答えを期待してる。
答えなんて、決まってるだろう?
両方取るのが、オレだ!
幾組かに分かれて京を出た仲間達が、続々と弁慶の元に集まってきた。
道を先行させた者、別の道に配置した者などを除き、全員が顔を揃えている。
来るべき九郎救出を前に皆口数少なく、長い潜伏生活の後だけに、
鋭い眼を爛々と光らせている。
この時点で、
弁慶は一つの賭に出ていた。
京から東国へ行く道は、不破関を通るものと鈴鹿峠を越えるものとの二通りがある。
鎌倉への捕虜の護送に使われているのは、専ら不破関を通る北側の道だ。
弁慶は、景時も峠越えをせず、同じ道を行くだろうと考え、
それを前提に不破の関への道を進んでいるのだ。
理由の一つは、景時に同行する御家人が、
いつもの道を通ることを主張するはずだということ。
また何より、峠道は待ち伏せされる可能性が高い。
景時一人であれば、そこをあえて突いてくることも考えられるが、
こと九郎の護送に当たっては、裏の裏を読んで策を弄することよりも、
源氏の正々堂々たるところを見せることの方が大切なのだ。
万が一に備え、どちらの道を取るか確認するために、勢多の近くに伝令を置いている。
一行が南の道を取ったなら、弁慶達は熱田の近くまで移動するしかない。
だができれば、東国に深く入り込んでの戦いは避けたいところだ。
九郎を救出したとしても、その後、鎌倉傘下の勢力のただ中を縫って
逃げなければならないからだ。
だから、東国に入る前に背水の陣を敷く他はない。
多勢に無勢の戦いは、たとえ奇襲をかけたとしても圧倒的に不利。
だがここでやらねば、事態は悪くなるばかりなのだから。
居並ぶ者達に向かい、弁慶は静かに言った。
「待ち伏せされることを承知の上で、景時は来るでしょう。
九郎護送についての情報の漏らし方といい、景時はかなり腹黒です。
覚悟してかからなければなりません」
「いや、お前は人のこと腹黒とは言えないだろう」
「心外ですね。とにかく、真正面から仕掛けてはこちらの負けです。
僕の策は説明した通りですが、賛同してくれますか」
隠れての密議ゆえ、鬨の声を上げるわけにもいかず、皆はそれぞれに頷いた。
「そういえば、継信と春信はどうした」
「ああ、あの二人には、大事な役目をお願いしてあります」
「で、真正面でやつらを止めるのは誰なんだ?」
俺がやる!と言いたそうな顔で、何人もが前ににじり出る。
しかし弁慶は笑顔で答えた。
「僕が矢面に立ちますよ、もちろん…」
うっすらと雪の積もった山道を、朔は黙々と上がっていく。
周囲には、護衛についてきた梶原党の武士達。
大原の寺まで朔を送り届けるのが役目だ。
分かれ道を右に進み、木の間越しに川を見ながらしばらく行った時、
朔が立ち止まった。郎等達も、一斉に足を止める。
「どうなさいましたか、朔様」
「足を痛められたのでしょうか」
しかし朔はかぶりを振り、きっぱりとした口調で言った。
「ここまででいいわ。みんな、ありがとう」
「とんでもない!」
「ここで引き返すなど、以ての外」
「景時様より仰せつかっているのですぞ」
皆口々に反対するが、朔は両手を胸の前で組み、真剣な眼差しを一人一人に向けた。
「お寺に入る時までお供につく人に囲まれていては、甘えているのと同じだわ。
ここから先は、私一人で行かなくてはならないと思うの」
普段は物静かで優しい朔だが、ひとたびこのように意を決すると、
景時でさえ逆らえないことは、郎等達がよく知るところだ。
「お願い…」
朔に深々と頭を下げられ、皆不承不承に頷いた。
「それでは我ら、これにて引き返しますが…」
「どうかお気を付けて」
しぶしぶと道を戻っていく彼らの姿が遠ざかり、見えなくなるまで朔は見送った。
そしてゆっくりと向き直って、寺へと続いていく山道を眼で辿る。
この道を行けば、静かな仏道の日々がある。
朔は大原の里を振り仰ぎ、そこにおわす弥陀に手を合わせた。
――ごめんなさい…阿弥陀様。
ごめんなさい、貫首様。
ごめんなさい、兄上。
私、望美を見捨てて行くことなんて、できないわ。
懐から、要にひびの入った扇を取り出し、じっと見つめる。
決意を秘め、こうして持ってきた。
――私、梶原の娘として、ふさわしくないことばかりしてきたわ。
黒龍…あなたとのこともそう。
あなたを喪って、髪を下ろしたこともそう。
そして、今もまた…。
……でも、不思議だわ。
苦しいくらい、すまない気持ちでいっぱいなのに、
自分を恥じる気持ちは…ないの…。
来た道を戻り、二つに分かれた左の道を、
朔は振り向くことなく上っていく。
[1. 窮地]
[2. 道を行く者]
[3. その夜]
[4. 決意]
[5. 火蓋]
[6. 天の時 地の利]
[7. 搦め手]
[8. 再会]
[9. 炎の中で]
[10. 脱出]
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第3章でそれとなく描写しておきましたので(というか、そうしたつもり)、
朔の行き先はだいたいお分かりのことと思います。
今回は、各人の決意を書くだけに留めましたので、少々短め。
次回は、もう少し動きの大きな話にしたいな…と思っています。
2009.4.9