比 翼

− 4  奪 還 −

4. 決 意



望美…

寝物語に語ってくれた、お前の世界、
のびやかな笑顔を育んだ、十数年の歳月、
お前を愛する全ての人々、お前の故郷。
お前が手放したものは…あまりにも重い。


あの日……
譲が元の世界に帰った日、
譲を追って屋敷を飛び出したお前を、
オレは追いかけた。

譲を見送るお前の背中は、泣いていたね。

お前はあの時、
譲と…元の世界に永遠のさようならを言ったんだ。

オレは熊野を捨てられない。
お前を手放すことも、できない。
だからお前が、この世界に残ってくれた。
お前の世界を捨てて、オレの花嫁として。

オレは何も失わず、
お前は、故郷を失った。

お前のために、オレはサイコーの男になる。
お前がいるから、オレはサイコーの男になれる。
手放したものよりも、
ずっとたくさんの幸福を、お前にあげるよ。


だから待ってろ、オレの神子姫様。
オレはお前を必ず救い出す!

頼朝、オレは本気だぜ。
女一人と熊野を、天秤にかけろっていうのか?
オレにどんな答えを期待してる。

答えなんて、決まってるだろう?
両方取るのが、オレだ!



* * * * * * * * * * * * * * * * * *



幾組かに分かれて京を出た仲間達が、続々と弁慶の元に集まってきた。
道を先行させた者、別の道に配置した者などを除き、全員が顔を揃えている。
来るべき九郎救出を前に皆口数少なく、長い潜伏生活の後だけに、
鋭い眼を爛々と光らせている。

この時点で、 弁慶は一つの賭に出ていた。
京から東国へ行く道は、不破関を通るものと鈴鹿峠を越えるものとの二通りがある。
鎌倉への捕虜の護送に使われているのは、専ら不破関を通る北側の道だ。
弁慶は、景時も峠越えをせず、同じ道を行くだろうと考え、
それを前提に不破の関への道を進んでいるのだ。

理由の一つは、景時に同行する御家人が、
いつもの道を通ることを主張するはずだということ。
また何より、峠道は待ち伏せされる可能性が高い。
景時一人であれば、そこをあえて突いてくることも考えられるが、
こと九郎の護送に当たっては、裏の裏を読んで策を弄することよりも、
源氏の正々堂々たるところを見せることの方が大切なのだ。

万が一に備え、どちらの道を取るか確認するために、勢多の近くに伝令を置いている。
一行が南の道を取ったなら、弁慶達は熱田の近くまで移動するしかない。
だができれば、東国に深く入り込んでの戦いは避けたいところだ。
九郎を救出したとしても、その後、鎌倉傘下の勢力のただ中を縫って
逃げなければならないからだ。

だから、東国に入る前に背水の陣を敷く他はない。
多勢に無勢の戦いは、たとえ奇襲をかけたとしても圧倒的に不利。
だがここでやらねば、事態は悪くなるばかりなのだから。

居並ぶ者達に向かい、弁慶は静かに言った。
「待ち伏せされることを承知の上で、景時は来るでしょう。
九郎護送についての情報の漏らし方といい、景時はかなり腹黒です。
覚悟してかからなければなりません」
「いや、お前は人のこと腹黒とは言えないだろう」
「心外ですね。とにかく、真正面から仕掛けてはこちらの負けです。
僕の策は説明した通りですが、賛同してくれますか」
隠れての密議ゆえ、鬨の声を上げるわけにもいかず、皆はそれぞれに頷いた。

「そういえば、継信と春信はどうした」
「ああ、あの二人には、大事な役目をお願いしてあります」
「で、真正面でやつらを止めるのは誰なんだ?」
俺がやる!と言いたそうな顔で、何人もが前ににじり出る。

しかし弁慶は笑顔で答えた。
「僕が矢面に立ちますよ、もちろん…」



* * * * * * * * * * * * * * * * * *



うっすらと雪の積もった山道を、朔は黙々と上がっていく。
周囲には、護衛についてきた梶原党の武士達。
大原の寺まで朔を送り届けるのが役目だ。

分かれ道を右に進み、木の間越しに川を見ながらしばらく行った時、
朔が立ち止まった。郎等達も、一斉に足を止める。
「どうなさいましたか、朔様」
「足を痛められたのでしょうか」

しかし朔はかぶりを振り、きっぱりとした口調で言った。
「ここまででいいわ。みんな、ありがとう」
「とんでもない!」
「ここで引き返すなど、以ての外」
「景時様より仰せつかっているのですぞ」

皆口々に反対するが、朔は両手を胸の前で組み、真剣な眼差しを一人一人に向けた。
「お寺に入る時までお供につく人に囲まれていては、甘えているのと同じだわ。
ここから先は、私一人で行かなくてはならないと思うの」

普段は物静かで優しい朔だが、ひとたびこのように意を決すると、
景時でさえ逆らえないことは、郎等達がよく知るところだ。
「お願い…」
朔に深々と頭を下げられ、皆不承不承に頷いた。
「それでは我ら、これにて引き返しますが…」
「どうかお気を付けて」

しぶしぶと道を戻っていく彼らの姿が遠ざかり、見えなくなるまで朔は見送った。
そしてゆっくりと向き直って、寺へと続いていく山道を眼で辿る。
この道を行けば、静かな仏道の日々がある。

朔は大原の里を振り仰ぎ、そこにおわす弥陀に手を合わせた。
――ごめんなさい…阿弥陀様。
ごめんなさい、貫首様。
ごめんなさい、兄上。
私、望美を見捨てて行くことなんて、できないわ。

懐から、要にひびの入った扇を取り出し、じっと見つめる。
決意を秘め、こうして持ってきた。

――私、梶原の娘として、ふさわしくないことばかりしてきたわ。
黒龍…あなたとのこともそう。
あなたを喪って、髪を下ろしたこともそう。
そして、今もまた…。
……でも、不思議だわ。
苦しいくらい、すまない気持ちでいっぱいなのに、
自分を恥じる気持ちは…ないの…。

来た道を戻り、二つに分かれた左の道を、
朔は振り向くことなく上っていく。




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− 4  奪 還 −

[1. 窮地]  [2. 道を行く者]  [3. その夜]  [4. 決意]  [5. 火蓋]
[6. 天の時 地の利]  [7. 搦め手]  [8. 再会]  [9. 炎の中で]  [10. 脱出]

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第3章でそれとなく描写しておきましたので(というか、そうしたつもり)、
朔の行き先はだいたいお分かりのことと思います。
今回は、各人の決意を書くだけに留めましたので、少々短め。
次回は、もう少し動きの大きな話にしたいな…と思っています。

2009.4.9