比 翼

− 4  奪 還 −

10. 脱 出



――見えぬものの中を探せ。

望美は窟の中を見回した。

「もの」というからには、形があるはず。
この窟で、形のある物と言えば……。

その時、岩の間を通って、煙の臭いが流れてきた。
むせて咳き込む声も聞こえる。

思わず振り返ろうとして、望美は自分自身を叱った。

落ち着け! 望美!
ヒノエくんは貴重な時間を、私を落ち着かせるために使ってくれたんだ。
ここで自分を見失ったらだめだ。

岩に穿たれた灯りの火が揺らめく。

あそこはさっき調べたけど、油の中にも何もなかった。
とすれば……
形あるもの、これしかない!!

望美は地面に膝を付いた。
床に刻まれた梵字。
灯りは文字を真っ二つに切るようにして、その半分だけを照らしている。
後の半分は黒い陰の中にあり、形を追うこともできない。

陰の中の刻み目をなぞるようにして手で探っていく。
やはり、奥州への書状にヒノエが書いたものと同じ文字だ。

だが、望美はふと、違和感を感じた。
記憶の中の形と、少し違う……。
あの時ヒノエくんが書いていた梵字に、こんな部分は…。

何かが指に引っかかる。
周囲を探ると、溝の横にさらに深い溝が刻まれていることに気づいた。
溝の奥には、金属の感触。細長く、真っ直ぐな…。

一気に引き抜いて、走る。

隙間を抜けた先には、すでに煙がもうもうとたちこめていた。
「ヒノエくん!!」
悲鳴にも似た声を上げると、
「見つかったんだね…姫君」
少しかすれた声が返ってきた。

格子に寄りかかるようにして、ヒノエとミサゴ、そして意識を取り戻した梶原の郎等がいる。
藁束と榾木は反対側の隅に寄せられていたが、火と煙の勢いは増すばかりだ。
郎等達は激しく咳き込んでいる。

煙の中でも、炎を頼りに鍵穴の位置はすぐに分かった。
何も言わずに鍵を差し込み、回す。

カチリ…

解錠の音と同時に、ヒノエが格子を開けた。
ヒノエに続き、ミサゴと郎等がこちら側に飛び込んでくる。

「こっち…」
望美の先導で皆が狭い隙間を通り、炎の届かぬ窟に走り入った。

床に頽れそうになる郎等達の襟首を、ミサゴがむんずと掴んで引き起こす。
「倒れるのはここを出てからだ」
「げほっげほっ! そ、それくらい分かっている」
「ごほっごほっ…我らとて武士…ごほ…」
「では、頼んだぞ」
ミサゴは天井の梯子を指さした。

ヒノエは床を見回すと、
「あそこかい?」
望美に向かって鍵のあった箇所を指さした。
「うん、そこにあった」
「お見事です、望美様」
郎等達が肩車で梯子に取り付くのを横目で見ながら、ミサゴが感に堪えない声で言う。
「神子殿〜〜」
「すごいです、助けていただいてありがとうございます」
「そっちの人にはひどい目に遭わされましたが…」
郎等達は、梯子を下ろしながら恨みがましい目でミサゴを見る。

「烏のことは許してやってくれない?
あんたたちだって、姫君のことを閉じこめてたんだ。
それでも火の中から助けたんだぜ」

煙が濃くなってきている。
炎はここまで燃え広がることはないが、煙だけで危険だ。

しかしその時、扉を開けようとした郎等の一人が叫んだ。
「あ、開かない! ここにも鍵が!」
「な、何ということだ!」

と、ヒノエが身軽に梯子の横に飛びついた。
「あまりのんびりもしてられないし、ここの解錠は任せてよ」
「へ…?」
「ヒノエくん…?」

近くで見れば、扉が木組み模様になっているのが分かる。
「やっぱりそうだったか」
この模様は、からくり小屋に忍び込んだ時に見た、床の模様だ。
薄闇の中で、色の違う板が何枚か挟み込まれていることに気づき、
さらに一番端にある板が動くことも確かめておいた。

今は、あの時の模様を裏から見ていることになる。
ヒノエは、記憶にある模様を反転させ、作業に取りかかった。

皆が見上げる中、隅にある一枚の板が横にずらされると、
ヒノエの手によって、次々と他の板も移動していく。
ほどなくして木組みの模様が変わり、望美は息を呑んだ。
そこに現れたのは、地面に刻まれたものと同じ梵字。
ヒノエがどこであの梵字を見たのか、望美はやっと理解した。

「さあ、おいで姫君」
扉に耳を当て、向こう側の気配を探っていたヒノエが、望美に手を差し伸べる。

梯子を上がり扉を開けると、そこは小屋の中。
薄闇に慣れた眼には、板壁の隙間から射し込む光でもまぶしい。
周囲を見回せば、きちんと整理された棚が並び、そこには……。

「やっぱりここ…景時さんの…」
あたたかな腕が、望美の肩を抱いた。
「分かってたみたいだね」
「うん…」
「辛いのかい?」
望美はかぶりを振った。
「辛いのはみんな同じだと思う。ヒノエくんだって…、そうでしょう?
景時さんだって、朔だって…九郎さんも弁慶さんも、みんな…」
「姫君…」

ヒノエは望美の顔をのぞき込むと、微笑んだ。
「お前を助け出したら、聞こうと思ってたんだよ。
オレに惚れ直した?ってね。
でも、逆だったよ。オレの方が、姫君に惚れ直した」
「え?」
素早く唇を合わせ、すぐに離れる。

同時に、扉の下からミサゴの声がした。
「もうよろしいですか? 別当様」



* * * * * * * * * * * * * * * * * *



「騒がしいけど、何かあったのか?」
所在なさそうな様子を装って近づいた薊に、厩番の若者が声をかけてきた。
「火事だって言ってた」
身振りで南の方を示しながら、薊は調子を合わせて答える。
厩から掻き出した藁束を積み上げながら、若者は心配そうに言った。
「東寺や西八条まで燃えちまったら大変だなあ」

しかしそれには答えず、薊は立ち止まって小屋の中をのぞきこんだ。
若者が仕事の手を休める。
「何か用かい」
薊はにこっと笑った。久々の愛想笑いだ。
「馬、見てもいい?」
若者の顔が湯気が出そうなくらい赤くなる。
「う…馬、好きなのか?」
「うん」
「馬、こここ…恐くないのか?」
「ちっとも」

薊を案内して、若者は湯気を出しながら厩に入った。
「一番きれいな磨墨がいないのが残念だけどな、
ここの馬はみんな賢くて」
薊の方を振り返った若者の鳩尾に、眼にも止まらぬ速さで拳がたたき込まれる。
若者は白目をむいて倒れた。

「しばしの間だ。許せ」
手近にある縄で若者をぐるぐる巻きにすると、薊は壁にかかった馬具を抱え上げた。



* * * * * * * * * * * * * * * * * *



「百数える間でいいですから、目をつぶっていて下さい」
「そ、そういうわけにも…」
「だったら、千」
「いや、だから神子殿」
「イヤならもう一回気絶だね。ミサゴ」
「御意」
「ままま待ってくれ」
「武士としての沽券にかかわる」
「じゃあ、千数える間、ここから出ないってことで決まりですね」
望美はにっこり笑った。

からくり小屋から出るに当たって一番の問題は、ヒノエ達についてきた郎等二人。
彼らにとってみれば、黙って人質を逃がすことなどできず、
さりとて、自分たちが命を助けてもらった側であることは動かし難い事実でもある。

結局押し問答の末、望美が押し切った。
彼らは押し切られて、半ばほっとしているようでもある。

「ここから見る限りでは五人。先ほどよりはだいぶ少ないです」
からくり小屋から外を窺ったミサゴが言った。
「火事場の救援に人手が割かれたせいだろうけど、
さすがに、堂々と庭を突っ切るわけにはいかないね」
「どういたしますか」
「二手に分かれよう。オレは姫君と行く」
「かしこまりました。私は彼らを引きつけます」
「ついでにもう一つ頼むよ。その後のために」
さすがに郎等の前で、あからさまに策を話し合うことはできない。
しかし、曖昧にぼかしたヒノエの言葉に、ミサゴは躊躇無く答えた。
「では後ほど、落ち合いましょう」

言うなり、小屋の戸を開けて外に滑り出る。素早く左右を見ると、ヒノエに向かって頷いた。
ヒノエも望美の手を取って小屋を出る。
ここから先は別行動。
振り返ることもなく、ミサゴは植え込みを伝って姿を隠した。
ヒノエと望美は身を低くして塀の際まで走る。
立木の陰になっている場所を選び、ヒノエはひらりと塀の上に飛び乗った。
すぐに縄を垂らし、望美を引き上げる。

だが向こう側に飛び降りた瞬間、庭から声が上がった。
「おい! 塀の上に誰かいたぞ!」

「何だ、千より早いじゃねえか」
ヒノエが呟いた時、庭の他の場所から怒声が響いた。
「曲者だ! 曲者はこっちにいるぞ!!」

「ミサゴさん、大丈夫かな…」
振り返った望美の手を引いて走りながら、ヒノエは握った手に力をこめた。
「陽動なんて、烏にとってはお手の物だよ。
心配なんかしたら、腕を疑われたみたいで、かえって可哀想ってね」
「そうなの?」
「そうだよ」

空はまだ明るいが、日の射さぬ細い小路はもう暗い。

ヒノエに導かれるままに走りながら、望美は思う。
昨日、五条に向かって走ったのも、これくらいの刻限だっただろうか。
まるで遠い日の出来事のようだ。
事態は、自分の知らぬ場所でどんどん進んでいた…。
それを知らなかった昨日と、知ってしまった今日。

路地裏を抜け、京邸からつかず離れず走り続けて、
気がついてみれば、裏門前の通りにいた。
門の前には、入り日を浴びて馬が三頭。
ヒノエの言った「後のために」とは逃げる手だてのことだったのだ。

「ほら、見てごらん姫君、ミサゴはうまくやっただろう?」
ヒノエは馬の隣に立つ男の影を指し示し、次に小さく驚きの声を上げた。
望美も一瞬、自分の眼を疑った。ミサゴの横にいる背の高い女性は…
「あれは…もしかして薊さん?」

ヒノエと望美の姿に気づき、ミサゴと薊が馬を引いてくる。

「薊さん!」
望美が駆け寄ろうとしたその時、何かが風を切る音がした。

「望美!」
ヒノエが望美を抱えて横に飛ぶ。
その足元を追うように、次々と矢が突き刺さる。

「しぶといな、別当。やはり抜け道があったか」
京邸と真向かう塀の上から、暗い声がした。
「動くなよ…と言っても、動きようもないだろうが…」
同時に、短弓を構えた鈍色の装束の男達が、小路の両側から現れる。

薊が身を翻す前に、塀の上から飛び降りた男がその腕を捕らえた。
矢で射られた方の腕を後ろにねじり上げられ、悲鳴をこらえる薊の顔が蒼白になる。
「しぶといのはお前もだな、娘。いつぞやは、六波羅で仕損じたが…」

男は薊を引きずって後ろに下がりながら、無表情のままヒノエを見た。
「動かぬが身のためだ。目の前でこの人数の弓に囲まれては、
東山の時のようには行かぬ」
「あんた、しつこい上に女の子痛めつけるなんてサイテーな野郎だぜ。
薊ちゃんを離せよ」

男の顔に薄い笑いが浮かんだ。
薊の顎をつかむと顔を上向かせ、喉の奥を鳴らす。
「ほう…新宮の生き残りか。あやつ双子と聞いていたが、うり二つとは面白い。
同じ名まで名乗っていたか」
痛みを忘れて、薊は叫んだ。
「お前が兄上を謀ったのか!」
しかし男はつまらなそうに薊の顔から手を離した。
「助力を得ながらしくじる方が悪い。そうは思わぬか」
「お前達に裏切られて兄上は!」
「そういうお前は、熊野別当に肩入れしている。裏切り者はどっちだ?」

ひゅんっ!
目立たぬように動いたミサゴの肩口を矢がかすめた。
馬を驚かせて走らせようと、わずかに身を傾けたのを見破られたのだ。

「動くなと言ったはずだ」
「動かなかったらどうするっていうの。薊さんを離して!」
声を荒げた望美を見て、男は少し眉を上げた。
「お前が源氏の神子とやらか。声を震わせもしないとは、よくよく気の強い女だ」
「オレはともかく望美は大事な人質じゃないのか」
「ああ、だが状況が変わった。他ならぬ熊野別当が約定を破ったのだから」

男は望美に向かい、片頬に笑いを浮かべて言った。
「お前の問いに答えていなかったな。
動かなかったらどうするか…。
苦しまぬよう、一矢でとどめを刺してやる、ということだ」

そして話の続きのように、こともなげに言う。
「やれ」
間髪入れず、引き絞られた矢が一斉に放たれる。

その刹那、一陣の風が吹いた。
ばさりと布のはためく音。
断ち切られた矢が、ばらばらと地面に落ちる。

望美と男達の間に、丈高く大きな背が立ちはだかっていた。
曼珠沙華の縫い取りのある黒い外套。
見上げれば、暮れゆく空にかすかに金色の髪が光る。

その時、弓を持つ男が数人、悲鳴を上げて空中に飛ばされた。
錫杖を手に、男達の後ろから駆け込んできたのは
華奢な体つきの若い公達だった。

「危ないところだった…。神子、すまない…」
「敦盛さん!! 先生!!」

リズヴァーンはゆっくりと振り向いた。
「遅参を詫びねばならぬな、神子」




第4章 了




− 4  奪 還 −

[1. 窮地]  [2. 道を行く者]  [3. その夜]  [4. 決意]  [5. 火蓋]
[6. 天の時 地の利]  [7.搦め手]  [8. 再会]  [9. 炎の中で]  [10. 脱出]

− 5  比 翼 −

[1. 星夜]

[比翼・目次へ]

[小説トップへ]



最強の助っ人が登場しました。
ある意味、玄武の二人は反則クラスの強さですので、
リアル風味の物語の中でどのように活躍してもらうか、とても悩むところです。
しかも先生だし(爆)。
でも、「ぶれずに行くのよ!」と自分をなだめすかしつつ、
物語のバランスを崩さないように頑張ります。

次の第5章「比翼」で、物語は終幕。
いよいよラストスパート! ですが、
じっくりきっちり書き進めていきたいと思っています。

第4章は、想像力を振り絞って書きました。
第5章は、妄想の限りを尽くさなければ、書ききることのできない展開になります。
限界越えてぼろぼろになるかもしれませんが、
最後までおつきあい頂ければ、とても心強いです。
どうか次章もよろしくお願いします!!

2009.5.27