比 翼

− 4  奪 還 −

5. 火 蓋



ここはどこなんだろう…。
そして私は、どれくらいの間、気を失っていたんだろう。

望美は薄闇の中で周囲を見回した。

岩壁に取り囲まれた小さな空間。
一見洞窟のようだが、人の手が加えられていることはすぐに分かった。
壁に穿たれた穴には灯りが点り、辺りをうすぼんやりと照らしている。
さらに、かすかな明かりを頼りに見上げると、真上に板の張られた箇所がある。
その隣にある四角い木組みは、梯子のようだ。
とすると、板は扉なのかもしれない、と思い当たる。
だがもちろん、飛び上がって届くような高さにはない。

景時さんが…ここに私を……?

そう思った瞬間、今までに起きたことが一気に望美の心に蘇り、
悔悟、驚愕、不安、恐怖、怒り、悲しみが、一体となって押し寄せた。

ぎりぎりと胸が痛い。激しく息をしているのに、苦しい。
叫び出したい衝動にかられる。

「ヒノエくん!」
愛しい人の名を呼び、固い地面に爪を立て、唇をぎりっと噛んで望美は耐えた。

負けちゃだめ! 落ち着け、望美!
ヒノエくんなら、こんな時どうすると思う?

ゆっくりと息を吐き、ゆっくりと息を吸い、懸命に気持ちを抑える。

まず、自分のいる場所がどんなところか知らなくちゃ…。
「どこ」なのかまでは分からなくても、何か手がかりはあるかもしれない。
うずくまって震えているより、……動こう。

望美は顔を上げ、そしてふと気づいた。
地面に置いた手に、かすかに伝わってくるものがあることに。
それは地の底から流れ来る……温かく力強い気。

龍脈?

そうであっても不思議はない。
白龍が力を取り戻した今、京の地には龍脈の流れが蘇ったのだから。

浄き力が、この場所にはある。
陰陽師の景時さんなら、気づいていたはず。

五条でのことを、思い返してみる。

あの時、景時さんは私に銃を向けていて、とても冷たい言葉を口にした。
けれど、なぜだろう…。
私は、そんな景時さんから、悪意も敵意も感じられなかった。
景時さんの、あんな淋しそうな眼は……初めて見た。

もう一度地に手を置き、脈動を確かめた時、
望美は、固い地面が削られたように窪んでいる箇所を見つけた。
手を這わせると、窪みは線を描いて続いていることが分かる。何かの模様のようだ。
大きく描かれたそれは、手でなぞっただけでは一度に形を掴めない。
立ち上がって見てみるが、灯りに照らされているのは半分。残りは陰に沈んで見えない。
だが、弱々しい光に浮かび上がった半分だけの輪郭に、望美は息を呑んだ。

この模様、ううん、これは文字だ。私、どこかで…ええと、熊野で見た…。
いつだっただろう。…そうだ、秋の初めに、京から戻った時だ。
ヒノエくんが、この文字を文に描いていたんだっけ。

  『これ何の模様なの、ヒノエくん。あれ?模様じゃなくて、文字みたいだね。
   弁慶さんの外套の字に似てるような…』
  『ご明察だね、姫君。これは梵字。ちょっとしたおまじないの文字さ。
   奥州に書いて送ると、喜ばれるんじゃないかってね』

あの後、奥州から泰衡さんが来た。
この梵字と、何か関係があるんだろうか。
そしてここには、何か秘密がある。
景時さんにしか分からない秘密が…。
でもヒノエくんは、なぜかここにある文字を知っていた。
偶然? それとも……。

その時、どこかから足音が聞こえた。
はっとして周囲を見回すと、望美の背後の岩壁に細い光が動いた。
近づいてみると、壁には細い隙間がある。その奥から人の気配がするのだ。

身体を横にしてやっと通れるほどのその隙間に、望美は迷わず身を滑り込ませた。



* * * * * * * * * * * * * * * * * *



びょうびょうと風が吹き、降り積もった雪を舞い上げる。
両側から山が迫る不破関の周辺は、地形のためか雪が多い。
西と東が晴れていても、間に挟まれたこの地域だけが
薄暗く曇っていることは珍しくないのだ。

だが西国から東国に行くには、この道を通るしかない。
迂回しようとすれば、それは大変な遠回りになる。
したがって古来より、ここは交通の要であった。
しかし不破の関とは名ばかり。今は廃されて荒れ果てた跡が残るのみだ。

彼方に伊吹山を臨みながら、鎌倉へ向かう源氏の一行は風を突いて黙々と進んでいる。
気候のよい頃ならば、罪人の護送といえど、
京から鎌倉まではおよそ二十五、六日もあれば着く。
しかし、この季節は雪に阻まれて進軍もままならず、
吹雪けば足止めも余儀なくされてしまう。
ここにさしかかったところで風が吹いているだけならば、幸いというもの。
この間に、さっさと不破関を抜け、その先の関ヶ原を通り過ぎてしまいたい、
そして早く雪のない海道に出たいものだ、と願わぬ者はいない。

馬上で風に吹きさらされても、九郎は無言のまま真っ直ぐ前を見ている。
馬の轡を取っている雑兵が、時折心配そうに見上げるが、
後ろ手に縛られていても、突風にさえ身体を大きく揺るがすことがない。

さすが音に聞こえた馬の上手よ…と、周囲を固める騎馬の武者は内心舌を巻いている。
九郎の騎乗の腕を惜しんだところで、何もできることはないのだが…。

隊列は関の藤川を渡り、不破の関に入った。
生えるまま任せた木々が、荒れるままに任せた関の建物を飲み込んで久しい。
ここかしこに黒い木立が雪を被り、関の三方を守っていた土塁も雪に埋もれて、
寒風にうずくまっている。

と、馬が一斉に嘶いた。中には高々と前足を上げるものもいる。
騎乗の者は慌てて手綱を引いて抑えるが、
それでも馬は足踏みし、落ち着きなく身を揺らす。

漠然とした不安が、皆の心をよぎった。
「ええい、馬を急がせよ!」
京から同行した御家人が、苛立たしげに声を上げた。
徒兵が小走りになり、騎乗の武士は御しにくい馬に鞭を当てながら、関の奥へと進む。

――来るのか?
景時は磨墨をなだめながら油断なく四囲を見回し、そして九郎を見た。
東国に入る前に仕掛けるならば、ここが最後の機会だ。
何しろ、弁慶のこと。数の不利を覆すために奇策を弄して来るはずだ。
が、思い通りにさせはしない。
肝心なのは、九郎を渡さないことだ。それを第一に態勢は整えてある。

やがて東の土塁が途切れ、関の出口が見えた。
…その時、
源氏の武士達は、そこに立ち塞がる人影に気づいた。

手には長い薙刀。風に煽られ、黒い外套がはためく。

「待っていましたよ」
柔らかな声が、剣の鋭さを帯びた。
「僕は武蔵坊弁慶。九郎を返してもらいます」

間髪入れず、矢が雨のように射かけられる。
馬たちが地を蹴り、激しく嘶いた。





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− 4  奪 還 −

[1. 窮地]  [2. 道を行く者]  [3. その夜]  [4. 決意]  [5. 火蓋]
[6. 天の時 地の利]  [7. 搦め手]  [8. 再会]  [9. 炎の中で]  [10. 脱出]

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せっかくですから、関ヶ原近くで決戦を。
ウソばっかり並べていますので(サブタイは承知の上で)、
あれもこれも違うんじゃない?というツッコミは
無しってことでお願いします(滝汗)。
話自体が大嘘ですから、今さら…なお願いなのですが(苦笑)。

2009.4.13