8. 再 会
「今さら何をおめおめと帰ってきた」
頭上から降ってくる声に、継信春信兄弟は身を縮めた。
平伏したままでも、泰衡の眉間の皺が、どれほどに深いか分かる。
「御館からの命、よもや忘れたわけではあるまい」
「ははーっ!」
「もちろんでございます!」
「だが…果たせなかったので、こうして戻ったというか」
その言葉に、二人は弾かれたように顔を上げた。
「泰衡様!!」
「わ、我ら、命惜しさに戻ったのではありません!
九郎様をお助け頂きたいと」
泰衡の眉がぴくりと動く。
「ではここから取って返して、たったこれだけの手勢で鎌倉の兵と事を構えろとでも?」
鋭い視線に射すくめられながら、継信と春信は必死に言葉を継いだ。
「い…いいいいいえ、そのようなことではございません」
「い…いいいい今頃は、弁慶殿が助け出しているはず」
泰衡は手にした鞭を、ぱしりと鳴らした。
「黒軍師が、鎌倉に仕掛けたというのか。
つまりは、お前達がここに来たのも、あやつの指図なのだな」
「はっ!」
「九郎様のことにつき、泰衡様にお願いしたき儀があると…」
泰衡の眉が、高々と上がった。
「ほう、黒軍師がしおらしい真似を」
「いいえ、真似ではなく、衷心からのお願いでございます」
「フッ…随分と手なずけられたものだ。
腹黒の手腕に免じて、話だけは聞いてやろう」
「は! ありがたきお言葉」
「弁慶殿のお言葉をそのままお伝えいたします。
『鎌倉の追っ手からあてどなく逃げ回るは良策に非ず。
奥州へ迎え入れて頂けるよう、泰衡様に伏してお頼み申す』とのこと」
「弁慶殿ばかりではございません、我らからも…なにとぞ、お願いいたします!!」
「どうか、どうか…!!」
泰衡が予期していた通りの話だった。
平泉への途上にある一行の前に、この二人が姿を現した時から分かってはいた。
九郎が捕らえられて行く当てがなくなったから戻りたい、
などと願い出るような者達ではないことは、泰衡自身、よく知っている。
彼らが、九郎に付き従えとの御館の命を受け、
晴れがましさに頬を真っ赤にしながら平泉を後にした日のことは、まだ覚えている。
だが、口に出したのは、奥州を統べる藤原家嫡男としての言葉。
「お前達は、それがどういうことか分かっているのか」
泰衡の足元にひれ伏した二人は、頭を地にこすりつけたまま頷いた。
「はい…鎌倉に刃を向けること…にございます」
「奥州を、反逆の徒にしてもいいと?」
「泰衡様!!」
顔を上げた二人の額には、黒い土がついている。
その顔は、流れる涙と泥でくしゃくしゃだ。
「何とぞ!! 九郎様を!!」
「お願いでございます!!」
悲痛な声で叫ぶと、二人はまたひれ伏した。
佐藤の兄弟と言えば、奥州の名家の出自にして、名の知れた剛の者。
源平の戦で活躍した話は奥州にも届いている。
その彼らが、ここまでするのはなぜなのか。
泰衡は眼を上げ、道の向こうに連なる山々の、
さらにその先に白く輝く富士の頂を見やった。
九郎を奥州に受け入れる。
是か非か。
突然、目の前に突きつけられた問いに、即刻決断を下さねばならない。
この決断は、奥州の命運を左右するもの。
泰衡は長く深く息を吐いた。
山々の峰に切り取られた冬の空は、高く青い。
平泉の雪空へと続いているのが、信じられぬほどに。
此度のこと、頼朝の側に義はない。
それでも強権をかざし、黒を白ともするのだろう。
我が父御館、我が祖父基衡殿、そして凄惨な戦いの果てに、
浄土を希求した奥州藤原の祖清衡殿……。
奥州は源平の戦の中にあっても、どちらにも与することなく、
侵すことなく侵されることもなく、平和なればこそ繁栄の道を歩んできた。
迷いはない。
だが……
泰衡はゆっくりと、佐藤兄弟に視線を移した。
奥州の命運を賭けるために、確かめねばならないことがある。
「顔を上げて答えろ」
「は…」
二つの顔が、泰衡を見上げる。
「奥州に来ることは、九郎の意志か。
一度白川の関を越えれば、もう後戻りはできぬぞ」
「はい…なればこそ、我らも必死でここまで参ったのでございます」
「堀川で源氏に捕縛される前、九郎様は鎌倉殿と袂を分かつ覚悟を決められました。
その時に弁慶殿に仰ったのです。
平泉の空が懐かしい…と」
「待たせたね、神子姫様」
岩壁の隙間から届いた声に、望美ははっとして振り向いた。
「ヒノエくん?!」
狭い隙間に身を滑らせる。
「そうだよ、オレの姫君」
太い格子の向こう、ほのかな灯火を受けて立つ人影がある。
黒い輪郭だけでも、それが誰なのか見間違えようもない。
「ヒノエくん!!」
手を伸ばして駆け寄り、木組みにぶつかるように身体を寄せて、格子を挟んで手を握り合う。
「助けに来たよ、望美」
「…ありがとう…ヒノエくん。きっと来てくれると思ってた」
「当然さ。海賊が花嫁をさらわれて黙って引き下がると思う?」
「……でも…ごめん。こんなことになっちゃって。
私が黙ってお屋敷を抜け出したばっかりに…」
ヒノエの手が、望美の頬に優しく触れた。
指が顔の縁をなぞり、いたずらっぽく唇をちょんと押す。
「お前は悪くなんかないよ。悪いのは、お前の優しさを利用した景時。
そして、その後ろで動いてるヤツらだ」
と、その時
「別当様」
格子のすぐ横から声がした。
顔を巡らして見れば、烏と覚しき男が倒れた二人の武士の横に膝を付いている。
「あの人達…まさか?!」
望美が震える声で言うと、ヒノエはくすっと笑いながら答えた。
「大丈夫。気絶してるだけだよ。ミサゴは腕っ節が強いからね」
そのミサゴは、困惑した様子で首を振りながら立ち上がる。
「こいつら、鍵を持っていません」
そうだった! ヒノエくんに教えないと…。
しかし望美が鍵のことを説明しようと口を開くより早く、
ヒノエは格子の内側にある鍵穴をめざとく見つけていた。
「姫君、これだね。で、鍵の在処は分からない…と」
「うん。鍵は誰も持ってないって、この人達は言ってた。
だったら、こっち側にあるかもしれないと思って、探してたところなんだ」
そして小さな声で付け加える。
「まだ見つかってないけど…」
低い口笛が鳴った。
「さすがだね、神子姫様。その考えはたぶん当たっているよ。
それにしても…」
ヒノエは笑って望美を引き寄せた。
「まいったね。お前は自力でここから出ようとしてたのかい?」
「うん。ヒノエくんはきっと来てくれると信じてたけど、
やっぱり自分で招いたことだから…」
何か言おうとしたヒノエが、後ろを振り返った。
梯子の上が明るくなる。
烏がヒノエに飛びつき様、格子を蹴って反対側に転がった。
「姫君、退がれ!」
望美は格子から飛び退く。
その刹那、ヒノエのいた場所に幾本もの矢が打ち込まれた。
同時に、梯子が素早く引き上げられる。
「梶原殿の後を尾けておいてよかった…というわけだ」
頭上から暗い声が、漂うように降りてきた。
「これほど容易く感づかれる場所に人質を閉じこめておくとは、
梶原殿も甘いものだな」
別の声が嘲笑するように言った。
「だが、こうしてのこのこ現れるとは、さらに甘いな。熊野別当。
どのように処断されようとも、非は全てお前にある」
上方を窺いながら、烏が低い声でヒノエに耳打ちした。
「こやつら、夏の一件の時、熊野に入り込んでいた者に相違ないかと」
「ほう、我らの顔、烏には知られていたか。
さすが名高い熊野の烏と褒めてやりたいが…」
「烏を囮にしてオレをおびき出したのは、後ろにいる野郎か」
ヒノエの言葉に、暗い忍び笑いが返された。
「残念だったな。あの時討ち取られていれば、苦しい思いをせずともすんだろうに」
パチパチという小さな音が聞こえてきた。
そして煙の臭い。
「ミサゴ!」
「はっ!」
ミサゴが梶原の郎等二人を死角に引き入れるのと入れ替わりに、
火のついた藁束が投げ落とされた。
続けて、乾いた藁と
藁束がめらめらと燃え上がった。
「お前達を射殺すのは簡単だが、格子の中までは届かぬのでな」
「熊野別当が、京にいるはずがない。
どこの誰とも分からぬ者が、ここで果てる…それだけだ」
呟くような言葉と共に、窟の上で扉の閉じる音がした。
[1. 窮地]
[2. 道を行く者]
[3. その夜]
[4. 決意]
[5. 火蓋]
[6. 天の時 地の利]
[7.搦め手]
[8. 再会]
[9. 炎の中で]
[10. 脱出]
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2009.5.23