比 翼

− 4  奪 還 −

6. 天の時 地の利



弁慶の薙刀が一閃し、射かけられた矢をたたき落とした。
続けて二の矢三の矢が放たれるが、びょうっと吹きつけた風にあおられて、
多くがあらぬ方に飛んでいく。

薙刀を構えたまま、弁慶は薄い笑いを浮かべた。
「どうやら風は、僕の味方のようですね」
そして一歩、踏み出す。

「ええい! 矢はもうよい! やつは一人ぞ! 討ちとれ!」
先導の御家人が声高に命を下した。
外套の下で、弁慶の笑いが、歪む。
「一人…? 僕が?」

「仲間が…」
「どこかに隠れているのか」
討ちかかろうと太刀を抜く動きが、一瞬止まった。

弁慶はもう一歩、前へ出る。
「天の時、地の利、そして…」

後方から景時の声が響き、それを遮った。
「弁慶の言葉に耳を貸すな! 時間稼ぎと足止めのためだ」
ちら…と眼を上げ、弁慶は言った。
「さすがですね、景時…」

「九郎の周りを兵で固めろ! 絶対に九郎から目を離すな!」
「はひっ! 絶対に離しません!!」
九郎の轡を取った雑兵が元気よく答えたが、 緊張のためか声が裏返っている。

かねてより策を練っていたのであろう。
矢継ぎ早に下される景時の指示に、その他の兵も忠実に動く。
縦に長かった進行用の隊列が、瞬く間に九郎を中心とした形に変わった。
同時に、抜刀した徒の兵と騎乗の武者が、弁慶との間合いを一気に詰めていく。

しかしあと少しの所で、彼らの足元にぼこりと穴が空いた。
足を取られた馬は倒れ、そこに徒の兵が巻き込まれる。
「ぬぬう…」
「落とし穴とは、子供だましな」
穴とはいっても、それほど深くはない。
だが、素早く立ち上がり、すぐに態勢を整えようとした時には、弁慶は後方に退いていた。

黒い外套から天に向かい、すっと白い手が挙がる。

それを合図に、隊列の両翼、そして後方の雪に覆われた廃屋や崩れた土塁、
生い茂った灌木の雪が跳ね上げられた。
そこから幾人もの男達が一斉に姿を現す。

「なんだ、その人数で、我らを囲んだつもりか?!」
騎乗の武士の一人が、馬鹿にしたように叫んだ。

とその時、彼らは無言で、手に持った布袋から地面に何かをばらまいた。

雪の上を小さな黒い影がたくさん走ってくる。
よく見ればそれらは、ウサギにむじなにイタチ…。
すごい勢いで隊列に向かい、雪を蹴立てて走り寄る。
が、馬と人を恐れてか、周囲をぴょんぴょんわさわさと駆け回るだけ。

「策士策に溺れる、とはこのことよ!」
「愚かな! 軍馬がこの程度で怯えるとでも思ったか」
あちこちから哄笑が上がるが、
その声も、風にちぎられて吹き飛ばされていく。

しかし景時は笑わない。
「風が味方…そして、さっきから怯えている馬たち…」

九郎は真っ直ぐに背を伸ばし、弁慶にひたと眼をすえている。

景時は叫んだ。
「九郎の馬を押さえろ!」

馬達が身体を震わせ、嘶く。
同時に、獣の咆哮が三方から轟いた。

放たれたのは、三頭の狼。
先に放された小動物を追って、飛ぶように隊列を目指す。
馬たちは恐怖で暴れ出した。
その足元を、ウサギが逃げ回り、狼が後を追う。

隊列は大混乱に陥った。

――この隙に乗じて、九郎を助け出すというのか!

「九郎の馬には、誰も近寄らせるな!」
しかし景時の下命に従う余裕のある者はいない。
騎乗の者は馬をなだめるどころか、振り落とされぬようにするのが精一杯。
徒の者は、馬の蹄を必死で避けている。
もちろん、狼の餌食になどなりたくもない。

磨墨は、かろうじて落ち着きを取り戻したが、
九郎に近寄ろうとしても、他の馬が邪魔して近づけない。

「万が一のことあらば…」
景時は陰陽銃を取り出した。
「頼朝様は、こうなることを予期していたのか」
時折ぶるると胴を震わす磨墨に跨ったまま、九郎に狙いを付ける。
「それとも、望んでおられたのか」

雑兵が、馬に振り回されながらも轡にかじりついている。
蹄に蹴られそうになったのを、かろうじて避け、
腹の下をくぐっては、またすぐに轡の綱に飛びつく。

その時、九郎の馬が大きく前足を上げた。
九郎の身体が宙を舞う。

「しまった!」
「九郎を押さえろ!」

空中の九郎に向け、金の気をこめた弾丸が撃たれた。
が、くるりと態勢を変えた九郎には当たらず、長い髪の端だけが中空に散った。

そのまま地に叩きつけられるかと見えた九郎だが、
暴れる馬の鞍に、ひらりと着地する。
その後ろに、轡を放した雑兵が飛びついた。

「よくやった!」
「いいぞ! 取り押さえろ!」
剛の者が数人、ままならぬ馬から飛び降りた。
他の馬の蹄を避けながら九郎の馬に駆け寄る。

が、彼らの期待に相反して、雑兵は九郎を取り押さえるどころか、
小刀を出し、後ろ手に縛られた縄をざくりと切り落とした。

その意味を飲み込んで、武士が太刀を抜くより早く、九郎は馬の腹を蹴った。
「つかまっていろ! 喜三太」
「はいっ! 九郎様!」
そしてそのまま、乱れた隊列の間を、暴れる馬を巧みに御しながら駆け抜ける。

同時に、獣を放った九郎の仲間達は、土塁を越えて姿を隠した。
弁慶と、いつの間に現れたか伊勢三郎、常陸坊海尊が、
隊列に斬り込み、逃げ道を開いている。
そこを九郎が駆け抜けたと同時に、彼らも一斉に出口に走る。

「捕らえよ!」
すぐ後ろに迫る追っ手に向かい、弁慶はあちこちに転がしておいた大岩を投げつけた。
地に落ちた岩は勢いよく砕け、四方に礫が飛散する。
彼らが怯んだ隙に、弁慶は最後に門を走り出た。

「追え!!」
「逃がすな」

しかし、追っ手が出口に殺到した時、ズザザッ!と何かが倒れる大きな音が轟いた。
壊れた門柱の左右に立っていた大木が倒れたのだ。
しかしよく見れば、もともとこの場所にあった木ではない。

「ちょっとした仕掛けをさせてもらいましたよ。
こういうのは、景時の方が得意だと思いますが、必要とあれば、僕もね」
倒木に塞がれた門のあちら側から、弁慶が笑顔で言った。

「弁慶さん!」
馬が走り寄り、弁慶は軽々とした身のこなしで、騎乗の男の後ろに乗る。

倒木の向こうを、九郎を先頭に、何頭もの馬が駆けていく。
野太い鬨の声を上げる男達を乗せ、馬はどんどん遠ざかっていった。

風は変わらず、びょうびょうを音を立てて吹きすさび、
景時は陣羽織をはためかせながら、その背を黙して見送っている。

狼の唸り声、馬の蹄、動物たちの立てる音…
全てを、この風音が隠していた。

そしてどこで入れ替わっていたのか…。
雑兵に、喜三太を紛れ込ませて。

弁慶と一緒の馬に乗っていたのは、確か鷲尾義久。
三草山の猟師だった男だ。
あれだけの獣を集められたのは、この男のおかげだろう。

天の時、地の利を生かし…そして、
九郎のために命を賭した、人の和……。

頼朝様とは、あまりにも違う。
それゆえに疎まれていることに、なぜ気づかないんだ、九郎。

だが、気づいたとしても、九郎が変わることはない。
頼朝様が変わることがないのと同様に。

「景時殿、大失態ですな」
御家人が渋い顔をしてやって来た。

「ああ、かなりまずいことになっちゃったよね〜」
景時は肩をすくめて答える。
「でもまずは、倒木をどかすことが先決じゃないかな。
馬が一頭でも通れるようになったら、すぐに次の駅に早馬を出そう。
とにかく、早急に追っ手をかけないといけないよね」
御家人は大きくため息をついた。
「確かに、ここでじっとしているわけにもいきませんからな」

護送の途中で逃げたとなれば、頼朝様は九郎追補の院宣を出すよう、願い出るだろう。
あの法皇が、今の情勢の中で、鎌倉からの依頼を拒否するとは思えない。

九郎は、逃げたところで、いつかは捕まる。
逃げ回る日々に、安息など、訪れるはずもない。

だがその代償として、九郎は頼朝様の軛を逃れ、
束の間の自由を手に入れた……。

景時は、九郎に対してかすかな羨望の気持ちを抱いている自分に気づき、
悲しげな笑みと小さな吐息の中に、その気持ちを封じた。





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− 4  奪 還 −

[1. 窮地]  [2. 道を行く者]  [3. その夜]  [4. 決意]  [5. 火蓋]
[6. 天の時 地の利]  [7. 搦め手]  [8. 再会]  [9. 炎の中で]  [10. 脱出]

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大河に出ていた、電車ちびのりだーを思い出しちゃいますが、
こういう雑兵さんの役は、喜三太が適任かなあ…と思うのですが(笑)。

2009.4.27