比 翼

− 4  奪 還 −

1. 窮 地



足から崩れるように倒れかかった望美を、景時の腕が支えた。
そのまま、意識のない身体を抱え上げる。

しかし、出て行こうと扉に手をかけた時、背中に鋭い視線を感じて振り向いた。
眼に暗い火焔を宿した娘が、景時を睨め付けている。
手傷を負っていながらも、隙を見せない動き。その上、望美のことを知っていた。
さらにここは弁慶の診療所。仔細ありげというより、曰くありげな娘だ。

娘は、食いしばった歯の間から、血を吐くように言った。
「源氏は…こうやって人を陥れていくのか!」
激しい怨嗟が迸り、景時を打つ。
景時はゆっくり息を吐き、取り出そうとした銃を収めた。

「撃たないのか」
「ああ」
「別当の女は、死んだのか」
「気を失っているだけだ」
「どこへ連れて行く」
「愚問だね。オレが答えるはずがない」

再び景時は娘に背を向けた。
「一つだけ、忠告しておくよ。
暗くなるまで、ここから出ない方がいい」
「親切ごかしに何を言う」
「ついでに、物音も立てない方がいいよ」
「お前は…偽善者だ」
「その通りだよ」


小屋から出ると、景時はその扉を封印した。 こうしておけば、侵入者が入り込むことはない。
娘も出られなくなるが、もう一つの抜け口を使えばいい。
景時は、薬草棚の脇壁にある多数の傷痕を見逃してはいなかった。

磨墨の側には、いつの間に来たのか、 藤原屋敷を囲んでいたはずの男が二人、待っていた。
景時に抱えられた望美を見て、軽く頭を下げる。
「首尾は上々のご様子」
「これで梶原殿も、心おきなく京を後にできるというものです」

――やはり、オレの後を尾けてきたか。
景時は望美を鞍の前に乗せると、自分も磨墨に飛び乗った。
「まだ、やることは残っている」
そのまま眼を閉じ呪を唱え始めた景時を、男達は物珍しそうに見ていたが、
望美の姿がふっと消えた瞬間、驚きに息を呑んだ。
「梶原殿が陰陽の術を使われると、知ってはおりましたが」
「お見事」

景時はにこりともせず、答えた。
「まさか街中を堂々と運ぶわけにもいかないだろう。
それより、後のことはオレがやると言ったはずだ」
「その通りです。しかし、万が一にも、その女を取り逃がすことはなりませぬゆえ」
「だが、万が一はなかったよ。これから先はオレだけでやる。
知っている人間は少ないほどいい」
「御意」

行きかけた景時を、男の一人が呼び止めた。
「あの診療所、残しておいてよいので?」
「どういうことだ」
「源氏にとっては何かと目障りかと」
「火を放てば、すぐに」

景時の心に呼応するように、磨墨が低く嘶いた。
「場所を考えているのか。枯れた葦が生い茂っているんだ。
五条橋まで焼け落ちたら、騒ぎどころではすまないよ」
景時のぴしりとした声に、男達はしぶしぶ引き下がった。

空が低い。
鴨川の広い河原を、寒風が吹き抜けていく。

「雪になるかも…しれないな」
景時は、誰にともなくつぶやいた。

馬上の望美は景時に背を預けたまま、元より答えることはない。
しかし姿が見えなくても、身体から伝わるぬくもりはあたたかい。

そのあたたかさが、景時をさいなむ。

――熊野の人間とか、源氏の武士とか、
君には、そんなこと関係ないんだろうね。
君の眼には、きっと…もっと大きなものが映っているんだろう。
オレには到底届かない、大きくて広い世界が…。

君の優しさを、オレは利用した。
朔は、君を止めなかったことで、自分を責め続けるだろう。

大切な人達を傷つけて…
でも、こうすることでしか、守ることができない。

勝手な理屈…だよね。

でも、こんなひどいことをしたのに、オレは、
かすかな希望を…抱いてしまう。

希望なんて、最初から無いはずなのにね…。



* * * * * * * * * * * * * * * * * *



藤原屋敷に着く前に、門の前に立つ朔の姿が見えた。
屋敷が何やら騒がしい。水軍衆も慌ただしく出入りしている。
ヒノエの背に、冷たいものが走る。

「ヒノエ殿!!望美が…」
朔が駆け寄ってくる。ヒノエは走る馬から飛び降りた。
「望美に何かあったのか?!」
「帰ってこないの…。ごめんなさい、私が一人で行かせたから…」

一番恐れていたことが、起きた。

「落ち着いて、最初から話してごらん」
まるで自分に言い聞かせているようだ…意識の片隅で、そんなことを思う。

朔は胸に手を当て、一部始終を語った。

景時が、この屋敷を訪ねてきたこと。
九郎護送の任のため、急に出立することになったこと。
止めようとする望美と、小さな諍いのようになったこと。
帰り際に、弁慶が今日中に京を所払いになると言っていたこと。

「望美は、弁慶殿に、どうしても伝えなければならないことがあるからと、
五条橋へ向かったの。
ヒノエ殿に断りもなく抜け出すのを、とてもすまながっていたわ。
私…それで、望美が出かけたこと、ずっと黙っていたの。
けれど、すぐに戻ると言っていたのに…五条橋ならもうとっくに…
それで私…」

「弁慶さんの診療所は、もぬけの殻でしたぜ」
馬で往復した水軍衆が、戻ってくるなり言った。
「扉がどうしても開かないんで、ちょっくら壁を剥がしましたが」
「いや、おかしな扉でした。中から閂もかけられていなかったのに」

その言葉にヒノエの顔が強張り、朔は青ざめた。

「ヒノエ様、まずはお屋敷に」
副頭領が促した時、何頭もの蹄の音が聞こえた。武具の触れ合う音もする。
音は、真っ直ぐにこちらを目指して近づいてくる。
屋敷の中にいた水軍衆が、わらわらと外に飛び出してきた。

彼らの目の前に現れたのは、江間四郎率いる六波羅の武士団であった。

江間四郎は馬上から一渡り見回し、腕組みした副頭領から目をそらし、
次に朔に少し長く目を止め、馬から下りるとヒノエの前に歩み出た。

「熊野別当藤原湛増殿とお見受けする」
「ああ。で、あんたは」
「六波羅題を預かる江間四郎である」

ヒノエは、四郎の後ろに控える武士団を見やった。
総数三十騎はあろうか。徒の者は一人もいない。
さらにはその出で立ちから見て、 全員がそれなりの身分であることが分かる。

「ずいぶん大げさな訪問だけど、何の用?」

武士のしきたりに慣れている江間四郎は、ヒノエの言葉遣いにむっとした。
しかし、その横の美しい尼僧の視線に気づき、立派に振る舞わねばと 気を取り直す。

「熊野別当殿には、先に取り決めたる約定をお守り頂きたいと、
その旨伝えに来た次第」
「もちろん、約束は守るぜ。 用がすんだら、さっさと熊野に戻るさ」

江間四郎の声が高くなった。
「北の方が何と仰せになったか、覚えていないと言うのか。
『すぐに熊野に帰れ』とは、命令であったはず。
よもやお忘れではあるまい」
「一日二日の猶予もないとは聞いてないぜ」
「そのようなことは、言うまでもないからだ。
鎌倉殿がすぐ、と言われれば、即刻ということではないか。
出陣に猶予などあろうか」
「これから戦をするわけじゃないんだけどね」

江間四郎はさらに声を張り上げた。
「言葉のやりとりなど無意味。
熊野別当とその家人に、今この時に京を立ち去るよう、申し渡す」
武士の一団が馬を下り、剣に手をかける。
それを見た水軍衆が、じり…と前に出た。

「あいにく、そうはできない事情があってね」
「熊野には、そうしなければならない事情があるのだ」
「どういうことだい」

「こういうことだ」
江間四郎の隣に控えた武士が書状を取り出し、四郎に手渡した。
表書きの文字を見たヒノエと朔の顔色が変わる。
間違いなくそれは…

江間四郎は書状を広げた。
「これは、源氏御家人梶原平三景時殿より預かった書状である。
ここには『 熊野別当藤原湛増殿、 約定通り、即刻熊野に取って返すこと、
以降、一歩たりとも熊野の地より出ぬこと、
この二つを守るならば、お預かりした北の方の命は保証する』…とある」

「兄上……兄上が…そんな…」
朔は喘いだ。
「卑怯じゃねえか…」
「すぐに退去しなかったのは熊野別当殿だ」
「だから望美を拐かしたっていうのかい」

江間四郎は再び書状に目を落とした。
国同士の保障のために、人質を取るのはよくあること。
しかし…景時殿は、どうも人さらいのようなことをしたらしい。
不作法な別当は気にくわない。
しかしこれでは、武士としての誇りはどこにあるのか…。
ため息をつくこともならず、四郎は書状の続きを読み上げる。

「北の方の身柄は、最も安全な場所にある。
それゆえ、湛増殿が約定を違えぬ限り、案ずる要はない」

書状をたたみ、四郎はヒノエに手渡した。

――最も安全な…場所?
ヒノエの眼が鋭く光る。

「兄上は! 今、どこにいるのですか?!」
朔が転がるようにして江間四郎の前に出た。
「すぐに兄上に伝えて下さい! 望美を帰すように…
お願いです!」

――この尼僧は、梶原殿の…。
必死に懇願する朔に四郎は胸が痛むが、その願いを聞き入れるわけにはいかない。
かといって、この場で慰めるわけにもいかない。
なので、精一杯優しい声で言う。
「梶原殿より、妹御を京邸へお送りするよう、頼まれている。
護衛につくゆえ、ご心配なきよう」
朔から返事はなかった。

その時、ヒノエがくるりと後ろの水軍衆に向き直った。
すわ、一戦交えるのか!と皆が肩を怒らせたが、
ヒノエの口から出たのは思いがけない一言だった。

「野郎共、支度はすんでるな、熊野に帰るぜ」

その言葉に、水軍衆ばかりでなく六波羅から来た者達も、あっけにとられた。
熊野別当が、これほどあっさり引き下がるとは思ってもみなかったのだ。
それゆえ、いざとなれば力ずくも辞さない覚悟で、何十騎も連ねて来たのだが…。

「こんな雪の降り出しそうな夕暮れ時に追い出されるとは思わなかったけど、
まあ、仕方ないね。ここでごねたところで、怪我人が出るのがオチだ」
拍子抜けしながら、江間四郎は答える。
「熊野別当殿は、正しい判断をされた。
源氏と熊野は敵対関係ではないのだ。 こうして穏やかに話がすんだことは喜ばしい」

屋敷の中から、水軍衆が荷物を運び出している。
屋敷の主の貴族が門の中に立ち、心配そうにこちらを見ていることに気づき、
副頭領がのっしのっしとそちらに向かう。

若い衆が抱えている小さな荷は、望美のものだ。
それをちらりと見て、ヒノエは江間四郎を冷たく一瞥した。
「望美に傷の一つでもつけたら、容赦しないぜ」
斬りつけるような口調に一瞬たじろぐが、四郎は、こう答えるしかない。
「梶原殿のお言葉、信じないのか」
「あんたは、信じられるのかい」

それだけ言うと、ヒノエは朔に向き直り、泣きそうな朔に微笑んでみせる。
「朔ちゃん、自分を責めることはないよ」
「ヒノエ殿…」
朔の頬に、こらえきれずに涙がこぼれ落ちた。
「ごめんなさい…兄上のこと…許してなんて、言えないけれど
本当に、ごめんなさい……私…」

ヒノエの眼に、静かな怒りが燃えている。
「オレの姫君ばかりじゃない…
妹にまで、こんな辛い思いをさせるなんてね」
朔はかぶりを振った。
「いいの、私はいいの。でも望美が…」

ヒノエは朔の肩にそっと手を置いた。
「望美は…オレの姫君は、朔ちゃんのこと責めたりしない。
もちろん、オレだってね。
だからいいかい? 朔ちゃんが自分を責める必要はないんだよ」

そして身を翻すと、全員揃った水軍衆の中央に立つ。

「行くぜ、野郎共!!」
「おおっ!!」
暮れかけた空に、野太い声が谺する。
ヒノエの指揮の下、統制の取れた水軍衆の動きは速い。
誰一人振り向くこともなく、熊野の一行はその場を去っていった。

身じろぎもせず、彼らを見送る朔に、江間四郎は声をかけた。
「朔殿、どうか源氏の御家人の妹御として、立派に振る舞…」

しかし返事の代わりにきっと睨まれ、四郎はそれ以上の言葉を言えなくなってしまった。




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− 3  冬の始まり −

[10. からくりの三]

− 4  奪 還 −

[1. 窮地]  [2. 道を行く者]  [3. その夜]  [4. 決意]  [5. 火蓋]
[6. 天の時 地の利]  [7. 搦め手]  [8. 再会]  [9. 炎の中で]  [10. 脱出]

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第4章、開始です。
望美ちゃんと九郎さんが大変なことになっていますので、
そのまんまじゃいけないよ、ということで、タイトル通りの話になります。
分かりやすくていいですね。

ただ、分かりやすいけれど、書くのは難しい所です。
物語のその先に進むために、何としても通らなければならない道なので、
分かりやすい=先の展開が読めてつまらない、にならないように、
一生懸命がんばります。
どうぞ最後まで、よろしくおつきあい下さいませ。

2009.3.25