比 翼

− 1 初 秋 −

5. 奥州 平泉  京 梶原邸


「鎌倉めが、たわけたことを言うて来ておるぞ」

からからと笑いながら、藤原秀衡は読んでいた文から顔を上げた。
その言葉に泰衡は前に進み出、父の手の書状を受け取った。

文面を読み進むうち、泰衡の眉間に深い皺が寄っていく。

「奥州の馬も黄金も、鎌倉を通じて都に送れと?
フ…確かに、たわけた言い分だ。しかし……」
書状をにらみつけたまま、泰衡は押し黙った。

「途中で言を切るはよくないぞ。最後までお前の考え、言うてみよ」
「奥州が応じるなど、最初から思ってはいないはず。
それでもこのような文を送りつけてきたということは、
着々と地歩を固めつつある証左かと」
秀衡は眼を細めた。
「この文、小手調べと取ったのか、泰衡」
「ほう、御館は穏やかな物言いをなさるものだ。
この文は、鎌倉に従わねば奥州にも矛先を向ける…と
言っているようなもの」
秀衡は破顔一笑した。
「ははは…。その通りじゃ。いかな頼朝といえど、
大義名分無くば、白河の関を越えること能わぬからのう」
「この文がその名目の一つになっているのをご承知で、
それでもお笑いになるのか、御館」

泰衡は立ち上がった。
「これにて失礼するが、よろしいか」
「半分背を向けておいて、よろしいか、もないだろう。
慌てて動くは得策ではないぞ」

「フ…しかし、少々急いだ方がよいかと」
「何を考えているのか知らぬが、戦は皆でするものぞ。
総大将が考えを明かさぬでは、軍がまとまらぬ」
「……御館のお言葉、否定するものではありませんが」

それだけ言うと、泰衡は部屋を出て行った。

「やれやれ。言葉を途中で切るなと言ったばかりというに」

秀衡は床に置かれたままの書状にちらりと目をやり、やおら 腰を上げると庭に降り立った。 秋とはいえ、紅葉にはまだ間がある。梢の青い葉は、高い空を背に、 いずれ散ることなど知らぬげに陽光を浴びている。

平泉を彩る紅葉の次には、長く厳しい冬が来る。
青空を流れゆく雲よりも、疾く。



自邸に帰るなり、泰衡は関東から戻っていた間者を召し出し、その報告を聞いた。 時間がかかった割に、収穫はほぼ無いに等しい。 泰衡の眉間の皺が、これ以上ないほど深くなった。

伊豆を起点とする頼朝の足跡を辿っても、確たるものがつかめず、 肝心の鎌倉には、驚くほどに情報が少ない。 頼朝が御所を構えて以来、鎌倉は、諸国の人々が流入し様々な文物の行き交う 大都市へと、変貌を遂げつつある。 しかし、それでもなお、不確かな話以上のものは入手できないのだ。 隠蔽しようとする作為の、かすかな痕跡があるのみ。

人々の口に上る、その場限りの他愛ない話の数々…根拠などあるはずもない。 ……それらの底に共通して流れるものを掬い取るとすれば、稲荷にまつわる噂くらいか。

腕の立つ郎党が一人でもいたなら……。

ふと、そのようなことを思い、心の中で苦笑する。
無いものを願うほど無駄なことはない。

元より、藤原家の郎党は粒よりの者達が揃っている。 抜群の器量を持つ者がいないだけだ。
俺は、その中で、道を求めなくてはならない。
奥州が生き延びる道を……。

泰衡は長い沈黙の後、間者に新たな指示を与えた。



* * * * * * * * * * * * * * * * * *



景時のからくり小屋の中には、うっすらと埃が積もっていた。

ことのほか警戒していた梶原家の郎党も、しょせんヒノエの敵ではなく、 母家からの死角を利用してまんまと忍び込んだ。……まではよかったのだが…。
一面に積もった埃のせいで、中を歩けば足跡が付き、物にさわれば手の跡がつく。 侵入者があったかどうか、すぐに知れてしまうというわけだ。 一番簡単で、効果的なやり方だ。

しかし、
「わざと…だろうね」 ヒノエはにやりと笑った。
「じゃ、堂々とやらせてもらうよ」
すり足で足跡の形を消しながら、あちこちを調べ始める。

鎌倉が法皇暗殺の陰謀に加担していた……否、おそらくは首謀者であったなどと、 容易に弾劾できるものではない。ヒノエの知る中に、確たる証拠は皆無だ。

もちろん、このようなところでその片鱗を発見しようなどとは、思っていない。 だが、ここは頼朝の御家人、梶原景時の邸。 鎌倉の動きに繋がる何かが、隠されてはいないだろうか。

だが同時に、万が一何らかの証拠があったとしても、あの法皇自身すら、それによって 動くかどうか、はなはだ怪しいものだ…とヒノエは承知している。 大きな権力は、大きな岩と同じ。簡単に動くことはない。 しかし、ひとたびそれが動き出したならば……再び大乱の時が訪れる。

景時は、表だって動くことのできない鎌倉のために、 陰で何らかの仕事をする手駒なのだろう。

そう、ヒノエは読んでいる。

ずらりと並んだ使途不明のからくりに一渡り目を走らせると、 ヒノエは細工用の道具を入れた箱を、棚から取り出した。

箱の中には、丁寧に手入れされた道具類が、きちんと並べられている。
景時が自ら作ったと思われる、様々な形をした細かい部品も、 きれいに仕分けされて収められていた。 その中に……

小さな金具を次々とつまみ上げては、確認していく。 あの簪に使われていたのと同じ物ばかりだ。

やはり、あれを作ったのは景時…。

だが、望美の簪…と聞いた時の景時の驚いた顔は、本物だった。 景時は、自分の作った物がどこで誰に使われるか、知らなかったのだろう。
ヒノエにとっては、知らなかった、で許せるものではないが。

その時ふいに、なぜ薊が六条堀川にいるのかが、分かった。

末端で動く者には、一部の情報しか与えられない。
なるほどね……。薊は、誤解しているのか…。

部品を箱に収め、元の棚に戻そうとした時だ。
ヒノエの視野の隅で、何かがかすかに光った。

ひゅ〜
唇を、音のない口笛の形に尖らせる。

羽目板の隙間からの薄明かりを頼りに探すと、光の源はすぐに見つかった。 暗がりで色も分からないが、手触りから察するに、それは翡翠でできた玉。 外からのかすかな光を反射して光ったのだ。

一つだけ…ってことはないか。

素早く小屋の中を探ると、次々と玉が見つかっていく。
どれも壁板の間に、丁寧に埋め込まれている。 ちょうど腰より低い位置にあり、あまり目をやる高さではない。おそらくは、それを考えに 入れてのことだろう。

玉の埋め込まれた位置を頭にたたき込み、ふと気づいて、暗がりに沈んだ床に手を這わせた。
思った通り、一方向に板を並べたものではない。

埃に気を取られて、こいつを見逃すなんてね……。

床板に沿って手を動かし、その形も覚えていく。

しかしその時、
「おい、景時様の離れ屋に誰かいるぞ!」
ふいに、小屋の近くで郎等の声がした。

「どうした?」
「何事だ?」
仲間が二人、駆けつけてきたようだ。

「壁板の隙間に、影が動くのが見えたんだ」
「ん? 俺には何も見えないぞ」
「暗い所に、さらに影…か?」
「確かめてみよう」
「しかし……景時様のお許しもなく…」
「そうだ。勝手に中に入るなと言われているのだぞ」
「だが見過ごしにはできない。中を確認するだけなら」
「その通りだな」
「行ってみよう」

郎党の一人が剣を抜き、おそるおそる扉を開けた。後ろの二人も、油断なく身構える。

しかし……
暗がりを透かしてみても、小屋の中には人どころか、鼠一匹いない。

床の足跡は闇に沈み、郎党達には見ることができなかった。





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2008.7.4