比 翼

− 1 初 秋 −

6. 京  六波羅 ・ 梶原邸


深夜。
灯火もなく外界を照らす月の光もなく、深い闇に沈んだ部屋の中で、 景時は一人眼を開いていた。

時政上洛の沙汰があって以来、景時はほとんど休みも取らず働いてきた。 景時の仕事は、時政の仮の居所となる六波羅の普請を進めるだけではない。 上洛の大きな目的は、平家の持っていた権限を、鎌倉へと移譲、強化することなのだ。
そのためには、朝廷を動かさなければならない。 いまだ実権を握っている法皇はもちろんのこと、 朝議に出る貴族達への根回しも必要だ。
だが、東国武士への侮蔑、不信の感は貴族達の間に根強い。 時政自身が彼らと会うには、それなりのお膳立てが必要になる。
つまりは、根回しのための根回し。 くだらぬ…の一言で片付けられないのが、京の貴族、そして朝廷というものだ。 目通りを願う文を書き、遣いを幾度も行き来させ、 剛柔使い分けながらの交渉。 鎌倉の御家人の中で、それができるのは景時を置いて他にはいない。

しかし今、景時を捕らえている思いは別の所にある。

景時は闇に手をかざし、見えぬ掌を握りしめた。
血塗られた手だ。
戦が終わってなお、命じられるままに、この手で数多の暗器を作っては渡してきた。
許せないのは、自分自身。 それらを使うのが自分でないことに、かすかな安堵を覚えてはいなかったか。

あの簪に細工した時も、また同じ。

「政子様……この簪は、若い娘のものでは…」
「まあ、若いお嬢さんには優しいのね」
「しかし……そうまでする必要が、あるのですか」
「くすくすくす…今さら何を言うのかしら」

そして、躊躇う景時の心を見透かすように、政子は続けた。
「あなたは直接手を下さなくてよいのよ。
自分の手にかかって倒れる人の姿を目にしなくてすむ、と
内心ほっとしているのではなくて?」

見えない蜘蛛の糸に絡め取られ、あがくことすらもうできない。
その糸の一本一本が、オレの手で赤い血の色に染まっていく。

望美ちゃん……。

心臓の鼓動が、早まる。
頼朝様も政子様も、目的を遂げぬまま終わらせるようなことはしない。
平家を滅ぼした鎌倉の、次の標的は明らかだ。
時が来れば、命が下るかもしれない。
オレの手で君を……と。

諦念と自嘲の中に、奥深く沈めてきた痛み。
向き合うことを怖れ続けてきたもの。

連日の激務で酷使された身体が、眠りというひとときの安息を要求して悲鳴を上げている。

しかし、闇が景時を見据えて離さない。

その夜、景時に眠りが訪れることはなかった。



* * * * * * * * * * * * * * * * * *



「ねえ姫君、褥で語るにはふさわしくない話だけど、
大事なことなんだ。聞いてくれるかい?」
そう言いながらも、ヒノエの声は、大事を語るにはふさわしくない甘いささやき。

しかし、
「それって、夕方ヒノエくんと一緒にいた女の人のこと?」
望美の一言で、ヒノエは絶句した。
余裕を失うことなどないヒノエだが、望美はそんなヒノエの意表をつく、ただ一人の存在だ。

「気づいていたんだね、望美」
「うん」

薊を止めることと、隠し持つ剣呑な武器を取り上げることに気を取られていたが、 彼女の狙いは望美。つまりは、望美を狙える場所に動いたのだ。 となれば、望美からもその場所は……。

そして、その時ヒノエがしていたことといえば、傍目には 後ろから若い娘を襲っているのと同じ。 普通の娘ならば、平手打ちの一つも飛んでくるのだろうが、六条堀川で ヒノエを迎えた時から今の今まで、望美は平静そのものだ。

ヒノエは、ふっ…と息を吐き出した。 最初に出逢った時からずっと、望美には驚かされてばかりだ。

「あれは薊だ。お前を狙っていた」
単刀直入に言う。
「そう……」
短い答え。
「驚かないの?」
「うーん、半分驚いた…かな」
「へえ、じゃあ少しは予想してたってこと?」
「うん。だってヒノエくんが、わけもなく女の人の嫌がることをするはずがないもの」

嫌がる?
そうきたのか、姫君…。

「それに、ただの曲者だったら館の人を呼ぶでしょう?
だから、熊野に関係することかもしれないな…って」
「ははっ…さすがだよ。戦女神の勘はますます冴えてるってね」

褒め言葉にもかかわらず、望美は首を振った。
「ううん、残り半分は分からないの。
だって、私が六条堀川に行ったのは偶然みたいなものでしょう?
久しぶりに九郎さんや源氏の人達と会いたいなって、
京に来てから私が言い出したんだもの。
九郎さんが館にいる日だって、たまたま今日、
ヒノエくんが法皇様に会う日と重なったわけだし…。
だから、薊さんは、私が行くって知らなかったはず。
第一、なぜ薊さんが九郎さんの所にいるのかが分からないよ」

「そうかい?
お前の言ったことの中に、もう答えは出ていると思うけど」
「え?……
そうしたら、もしかして……薊さんの目的は、九郎さん?」

「それ以外に考えられるかい?
法皇暗殺を企てた罪で、見つかれば容赦なく斬首だよ。
なのに、法皇のお膝元の京にいるんだから」

「でも、熊野の事件と九郎さんは関係ないよ」
「薊にとっては、大いに関係があるとしたらどう?」

ヒノエは声をひそめた。
「彼らをそそのかしたのが、源氏…だとしたら」

望美は息を呑んだ。
「……本当…なの?」
声が震えている。

「ごめん…」
ヒノエは望美の肩を抱き寄せた。
「急にこんな話をして、驚かせてしまったね」

「ヒノエくん…前から分かっていたことなの?」
「いいや、まだ…確証は……ないよ。
だからといって、見過ごすわけにはいかない」
「じゃあ、さっき邸の中を探っていたのも?」

「……それも気づいていたのかい、姫君」
「うん」

望美には驚かされてばかりだ。
……ヒノエが内心苦笑した時、望美が言った。

「でも、景時さんを疑うなんてひどいよ、ヒノエくん」

心臓が、ドキリと鳴る。
……望美を抱く腕に、不用意に力が入らなかっただろうか…。

「それに薊さんのこと、九郎さんにも知らせなくちゃ。
どうしてさっき、黙っていたの?」

気づかれぬよう、安堵の息をする。

「大丈夫さ。仮にも源氏の館だよ。手練れの武士がうようよしてる所で、
うかつに九郎に手出しはできないさ。
それに、薊にはちょっとした手伝いをお願いしてあるんでね」

「え…?でもそれって、無理矢理じゃないの……」
望美の声には、咎めるような響き。
姫君…お前の命が狙われたんだよ……。

「仇に協力するかどうかは、薊が決めるさ。
もしかしたら、今夜のうちに逃げているかもしれないね」

「……手伝いって、何なの?」
「知りたい?」
「うん」
「明日のことだよ」
「明日?」
「九郎から何か聞いてない?」
「……そういえば、時政さん…政子様のお父さんが来るって言ってた」
「ま、そういうことさ」
ヒノエは指を鳴らした。

「時政って野郎を、見定めておきたくてね」




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2008.7.11