3. 策動 六波羅 ・ 鎌倉
ここ数日、逢坂の関を越えて西に向かう武士の数が、常より少し多い。
彼らが一団となって通り過ぎたなら人目に立つこともあったかもしれない。
しかし、一人の者もいれば数人連れの者もあり、騎馬の者もいれば歩行の者もいたので、
彼らが互いに目的を同じくする者同士とは、関守とて分かるはずもなかった。
いや、正しくは、皆が同じ目的を持つのではなく、
密かに別の目論見を胸中に秘めている者もいたのだが…。
さて、彼らは無事関を通ると、三々五々京に入り、洛東六波羅の近くにそれぞれ居を定めた。
六波羅――かつて平家の牙城であったその地は、平家都落ちの時に火を放たれ、
その焼け跡は一時期、街人や流人に占拠されていた。
しかし戦の後、立ち並んだ掘っ立て小屋は取り壊され、
今では源氏の根拠地となりつつある。
とはいえ、流入した人々がそこから去ることはなかった。
新しい館が次々と建てられ、物資や人の行き来が盛んになるにつれて、
付近一帯にはそれを目当てで集まる商人をはじめとして、
怪しげな有象無象の者達までやって来た。六波羅界隈は今、
かつてと変わらぬ猥雑なほどの熱気に満ちている。
ヒノエが以前根城としていた六波羅の町は、今でも
京で身を隠すにふさわしい場所といえるだろう。
彼らの入洛を知っている者はごく僅か。
人のひしめき合うこの六波羅にあっては、その存在を気にとめる者はいない。
―――大きな荷を負い背中を丸めて歩く、物売りの娘を除いては。
「ねえ、私、どう見えまして?」
新しく仕立てた豪奢な衣装に身を包み、袖を口元に当てて、
政子は弾んだ声で問うた。
「東国の姫には見えぬな」
「まあ、それだけですの」
「内裏に上がってもおかしくない…と朝廷の者共は言うだろう。
安心しろ」
政子は恨めしげな視線を送るが、その視線の先にいる頼朝は、気づいた様子もなく
付け加えた。
「だが、この程度で怖じ気づくお前でもあるまい」
「もう…意地悪ですのね!
そのようなことを聞いているのではありませんわ。
女心の分からない方ね」
政子のふくれ面に、頼朝は口元を斜めにして笑った。
「美しい…と言わせたかったか。
女とは、回りくどいものだ」
政子は手を合わせて、にっこりと微笑む。
「ああ、やっと仰って下さいましたわね。
私、あなたの口からその言葉が聞けて満足ですわ」
「そのために着物を仕立てたわけでもないだろう」
「でも、着物などで侮られてはいけませんでしょう?」
頼朝の口が、再びかすかに斜めになった。
「朝廷の者達の目を見張らせてやろう、とでも企んでいるのか」
「あなたの名代として、過不足無くお役目を果たすためですわ」
頼朝の目が、すうっと細くなった。
「お前がそのことを心得ているなら、それでよい。
ここに至ってもまだ、朝廷には
東国武士を快く思わぬ者が多いのは事実だからな」
「都人にとって、関東は蛮国も同然のようですわね」
「知らぬものを侮ってかかるとは、愚かしいものだ」
「仕方ありませんわ。
木曾殿のなさったことを考えれば」
頼朝の表情に、不快そうな影がよぎった。
答えぬ頼朝にかまわず、政子は話を続ける。
「その点、九郎はよくやっていますわ」
「ああ…」
「昌俊たちは、もう着いている頃ですわね」
「ああ…」
「でも、その先のことは」
「言わぬがいい」
夜の底のような声で、頼朝は政子を制した。
「くすくすくす…。わかりましたわ」
ちらりと政子に一瞥をくれると、頼朝は座を立ち、庇の下に歩み出た。
庭の木々はちらほらと色づいている。
静かな秋の日。青い空には、筆で刷いたような雲が一筋浮かぶだけだ。
暗い眼差しのまま、何の感慨も含まぬ声で、頼朝は言った。
「平家の過ちを繰り返すは、我が本意にあらず」
頼朝の横顔を見上げて、政子は答える。
「私はどちらでもかまいませんのよ。
あなたのなさることを、お助けするだけですわ」
「血縁に執着した平清盛の末路を知らぬ者はない」
「平家の過ちは、そのことだけだったのかしら」
「同族、親子兄弟が相争うが、世の常だ。
保元、平治の乱を思い起こすまでもない。
我が父上も……」
頼朝は言葉を切った。その口元が、斜めに歪んでいる。
今度の笑いは、嘲笑……政子は見て取った。
淋しい方…。
政子は自分も庇に下り、頼朝の隣に立った。
「九郎は、あなたを慕っていますわ」
「あれは危険、それだけだ」
「危険?あの子があなたを裏切るとは思えませんことよ」
「国を束ねるに危うきものはいらぬ。確かなのは心ではない」
悠々と空を舞っていた鳶が、音もなく降下した。
その行方を目で追いながら、頼朝は続けた。
「関東の諸国がこの頼朝に従ったのは、何のためか――、
源氏から受けた恩義などと、きれいな理屈を信じている者などおらぬ」
「恐ろしい方ね。
尾を振って慕い寄ってくる子犬を、平気で切り捨てられる…」
「お前にも、できよう」
政子は童のように無邪気に笑って答えた。
「ええ、もちろんですわ。
あなたのためならば……」
[1. 京 鞍馬・五条]
[2. 平泉・熊野]
[3. 策動 六波羅・鎌倉]
[4. 焦燥 六波羅・勝浦]
[5. 暗夜 京邸・熊野・五条]
[幕間 時空を隔てても]
[6. 秋雨 熊野・五条・堀川]
[7. 使者 法住寺・堀川]
[8. 堀川強襲]
[9. 挟撃]
[10. 雌伏]
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今回は短めな話になりました。
でも、中身が薄いわけではありません(と信じたい)。
そして今回からサブタイトルの形式が変わりましたが、
こちらはどうか、気にしないで下さいませ。
これからの展開によっては、同じ地名が繰り返されるだけの場合も
あるかと思われますので(←書いてる本人が不確かってどうよ・汗)。
それに、こっちの方がかっこいいかも(爆)。
2008.9.18