4. 焦燥 六波羅 ・ 勝浦
秋の日は短い。
ついさっき、日が傾いたばかりなのに、
狭い路地の続く六波羅の一画は、もう夕靄に沈んでいる。
がらんとして人の姿もまばらな小路を、背を丸め、大きな荷を担いで、
薊はとぼとぼと歩いている。
と、前方から、二人連れの男が何やら話しながらこちらに向かって歩いてきた。
薄暗がりにもかかわらず薊は目を伏せ、自分の気を押さえつける。
自分の存在を気取られたくない。
こいつらは、刺客だ。
いやでも、気づいてしまう。
かつての自分たちと同じ気を発しているから。
彼らが六波羅に現れたのは、つい最近のこと。
重苦しく猛々しい殺気を押し殺し、日がな一日、何をするでもなく
過ごす者達。ある者は寺社をぶらぶらとうろつき、
ある者はふらりと姿を消し、、また
ある者は、路上で流れ者相手に賭け事などしている。
目の前の二人連れも、その仲間だ。
漏れ聞こえる言葉は、東国のもの。
しかし源氏の館に近寄る気配はない。
また、お互い見知った風でもない。
だが見せかけなど、どうにでもなる。
何人、いるのか。
何が目的か。
気には、なる。だが、それでどうこうしようなどとは思っていない。
関わると、ろくなことにならないのだから。
二人連れとすれ違わぬよう、大路へ抜ける道を曲がる。
偶然だった。
夕靄を払って気まぐれに吹いた風が、彼らの言葉を運んできたのだ。
――― 堀川……機を待て……雨……
聞くともなく、聞こえてしまった。
堀川?
機を待つ?
一瞬、様々な思いがめまぐるしく駆け巡る。
大路からこちらに人が一人やって来ることに、薊は気づいていた。
しかし、夕靄に沈む黒い影としか分からぬくらいに、その人影は遠い。
後ろから二人連れが同じ道を曲がってきたことに気づかぬほど、
周囲への警戒心が薄れ、薊の足運びは、自分でも気づかぬうちに、わずかに遅くなっていた。
それは本能のなせる技だったかもしれない。
抜刀の音と同時に身を翻し、その音に向けて針を投げた。
背に負った荷箱が、真っ二つになり、がらりと地に落ちる。
遠いと思っていた人影が、眼前に来ていた。
殺気もなく、気合いの声もなく、次の攻撃が来る。
が、先程の速さはない。
身をかわすとき、その腕に刺さったままの針が、ちら、と光って見えた。
こいつ、…危険だ。
刃が走り、薊の衣が大きく広がって、ばさりと斬られた。
「衣で視界をふさぎ、その隙に逃げたか」
男は、黒装束となった薊の後ろ姿を目で追いながら、うっすらと笑った。
「何をしている!」
「いきなり女に斬りつけるなど、気でも狂ったか。
街中で目立ったことはするな!」
二人連れの男が駆けて来た。
「大声を出すな。俺の剣をかわした女だぞ。
捨て置けるか」
剣を持った男は、冷たい声でぴしりと言い捨てると、薊を追って走り出す。
二人連れも慌ててその後を追った。
「あの女、何か聞きつけたようだ。
お前達、うかつなことは話していないだろうな」
その言葉に、二人は顔を見合わせる。
「聞こえたとも思えないが、聞いても何も分からんはずだ。
「堀川は、いつになる、とか、そんなところだな」
「いきなり斬りかかるなど、やましいところがあると
自ら言っているようなものだぞ」
「おとなしく斬られていれば、ただの街娘…。
だが、そんな甘い娘じゃなさそうだ。
悪い芽は確実に摘んでおくに限る」
男達の足音が確実に近づいてくる。
全力で走っても、女の足では逃げ切れない。
左右に目を走らせるが、ここは大路に向かう一本道。
逃げ込める路地はない。
板塀や屋根に飛び上がることも考えるが、
ここまで暗くなっては目測が利かない。
失敗したなら、距離を詰められるだけだ。
奇妙なものだ。
なぜ、逃げる。
彼らに仇なす事など、何もしていない。
しかし、漏れ聞いてしまったあの言葉――。
彼らにとってみれば、聞かれたかもしれないというだけで、
娘一人を殺めるほどの、大事なのだろう。
いや、彼らは人を殺めるなど、何とも思ってはいない。
予告もなく、何も知らぬかもしれない者に、剣を振り下ろすことができるのだから。
皮肉だ。
息が、切れる。
相手は三人。しかも武士。
とても勝ち目はない。
六波羅から、出よう。
源氏の館に近づいてはならない。
ああ、皮肉だ。
ここまで追い詰められて、私は生きたいと、願っている。
憎しみにまみれ、仇の死を願い続けた私が…。
ざあざあと流れる川の音が聞こえてきた。
目の前に、鴨の河原が開けている。
対岸には蘆の茂みがあるが、こちら側は川辺まで石ばかり。
身を隠す場所はない。
「そこまでだ!」
「観念しろ!!」
怒声がさっきよりもずっと近く聞こえる。
薊は橋に向かった。
危ないことは承知の上だ。
だが、夜の闇がこちらに味方してくれる。
じゃりじゃりと、石を蹴散らす足音が近づいてくる。
しかし薊が橋にさしかかったとき、雲間から月がのぞいた。
川面がきらきらと光る。
ひゅん!と風を切る音がした。
弓か!
横に飛んで避ける。
しかし今、薊の姿は月明かりにはっきりと浮かぶ影。
体勢を立て直す間もなく、二の矢が来た。
ふくらはぎに熱感が走る。
よろけて橋の欄干に寄りかかると、間断を置かず放たれた矢が、
背と肩にぶすりと刺さった。
ぐらり……
身体を支えていた腕がすべり、倒れそうになる。
このままでは的になるだけ。
両腕を欄干に巻き付け、動く方の足を思い切り高く蹴り上げる。
月が、隠れた。
何もない欄干に、幾本も矢が刺さる。
追っ手の男達の耳に、ざば…という水音が届いた。
「こっちは用意できてるぜ」
勝浦の湊。
目立たぬ船が一艘、着いたばかりだ。
その船から下りてきた男に、ヒノエは挨拶抜きで声を掛けた。
「こちらもだ」
そう答えたのは藤原泰衡。
顔色が悪い。眉間に皺を寄せることすら大儀そうだ。
「具合が悪そうだね」
原因は分かっているが、しれっとしてヒノエは言う。
「気遣いは不要だ。
準備ができているなら、すぐに出発するべきだと思うが」
「熊野の山道はきついぜ。
熊野川の本流に出れば、船を使えるけどね」
「俺は、二度と船には乗らん!」
泰衡の蒼白な顔に、かすかに朱がさした。
「ははっ、じゃあ、お客人の仰せのままに」
この……俺が船酔いと知っていて、からかうか。
食えんやつだ。こんなやつの誘いに乗って俺はこんな所まで来たのか。
これで無駄足だったら、こいつ、どうしてくれようか。
うっ………。
「泰衡様、遠路はるばる、熊野にようこそおいで下さいました」
ヒノエの後ろに控えていた雲を突くような大男が、外見に似合わず丁寧な物腰で
礼儀正しく挨拶をした。
うう……熊野にも、少しはまともなやつがいたのか…。
うっ……。
「ねえ、急ぎたいのは山々だけどさ、少し休んだらどうだい。
半日もあれば、すっきり元通りってね」
本当か…本当に半日で……
いや、こいつの言うことなど、信用できるか!
「急ぎたいなら、お前に合わせてやる」
泰衡は、ふらつく足を踏みしめ、言い放った。
と、その時、御館から言いつかったことを思い出す。
泰衡は、ヒノエの目の前に酒瓶を突き出した。
「何?これ」
「奥州の酒だ。湛快殿に御館からだ。
飲んで驚け、と伝えろ」
「へえ、これはありがたいね。
親父に代わって、礼を言うよ。
ぜひ一緒に酒盛りといきたいところだけど、残念だね」
酒の臭いを思っただけで、泰衡の顔はさらに青くなった。
「す…すぐに、京に出発だ…」
「やるねえ、泰衡、見直したよ。
男のやせ我慢も、いいもんだね」
貴…様ぁぁぁ!……
軽やかに歩き出したヒノエの後に続き、泰衡はよろよろと歩を進める。
一歩ずつ足元を確かめながら。
[1. 京 鞍馬・五条]
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[4. 焦燥 六波羅・勝浦]
[5. 暗夜 京邸・熊野・五条]
[幕間 時空を隔てても]
[6. 秋雨 熊野・五条・堀川]
[7. 使者 法住寺・堀川]
[8. 堀川強襲]
[9. 挟撃]
[10. 雌伏]
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2008.9.27