8. 堀川強襲
夜陰、そして雨。
敵味方の区別も、互いの所在すらも定かならない。
だが堀川は源氏の館。地の利は九郎の側にある。
襲撃者はそれを承知の上で来た……。
「となれば、九郎、彼らは無駄に戦力を分散することはないでしょう」
「門を破る手間など掛けないな。おそらくは母屋に近い所から…」
「その通りですよ」
読みは当たった。
塀に幾本もの縄が掛けられ、それを伝って次々に男達が庭に飛び降りてくる。
闇の中にも関わらず、塀際の植え込みを巧みに避けては、次の者に場所を空けていく。
入念な下調べを元に、手筈を整えているのだろう。
その時突然、灯りが襲撃者を照らし出した。館の扉が一斉に開け放たれ、
幾本もの松明が掲げられたのだ。
うろたえ、一瞬動きを止めた彼らに向かい、
降り注ぐ雨を一文字に貫いて矢が射かけられた。
前面にいた者達が倒れる。
「くそっ」
「待ち伏せか!」
浮き足立つ男達に、大きな鬨の声を上げて堀川の手勢が一斉に襲いかかった。
泥を蹴立て雨の飛沫を切り裂いて、剣と剣が打ち合わされる。闇に白刃が光る。
その様を、塀に低く身を伏せた男が見ていた。
「読まれたな。あの娘が逃げ延びて報せたか…。
いや、それにしても早すぎる」
しかし、戦いの場に現れた九郎と弁慶の姿に、合点がいったように薄く笑う。
「あの時、軍師を仕留め損なったのが過ちか」
そして、
「土佐坊様、如何なさいますか」
男は隣を見、大柄な僧形の男に問うた。
土佐坊と呼ばれた男は、低くうなる。
「お前の言う通り、我らの動き、知られていたようだな」
「申し訳ありません。迂闊な者が口を滑らせました」
「過ぎたことを悔いたところで始まらぬ。
知られていたなら、いつ襲っても同じことだったのだ。
ならば、ここまで来て後には退けぬ」
「はっ」
「忘れるな。狙うは九郎義経一人よ」
「御意。御身はお守りいたしますゆえ、ご存分のお働きを」
「おう、儂がこの手で首級を上げて見せようぞ」
灯りの届かぬ先でも、剣と剣がぶつかり合う。転んで闇雲に剣を振り回す者、
それに躓く者、泥に顔を埋め、こときれる者。
機先を制し、勢いをそいだとはいえ、襲撃者達は遣い手揃いだった。
九郎の手勢と、同等に切り結んでいる。
たやすく追い詰められるか…とのかすかな望みはとうに潰えた。
雨が容赦なく、倒れた者達を叩く。
「このままでは埒が開かん!」
九郎は拳を握りしめた。
「何をする気ですか、九郎」
「敵将を引きずり出す!」
九郎はそう言うと、側にいた若武者に命じる。
「松明で俺を照らしていろ!
俺が走ったら、しっかりついて来い」
そして母屋の庇下に仁王立ちになり、朗々とした声で呼ばわった。
「源九郎義経は、ここにいるぞ!」
雨音に混じりながらも、剣戟の音に明らかな変化が生じた。
「俺の素っ首欲しい奴は、相手になってやる!!」
言うなり、ひらりと庭に飛び降りる。
「九郎はあそこだ!」
「逃がすな!」
しゃにむに打ち合いから逃れ、男達が一斉に九郎を追う。
九郎は庭を駆け抜けると、再び簀の子に飛び乗り、
屋敷の奥へ続く渡り廊下を走っていく。
若い武士が松明を掲げ、必死に後を追う。
さらにその後に襲撃者達が追いすがり、それを追って館の武士達も走る。
「我らも行くぞ!」
土佐坊が勇み出ようとするのを、男が止めた。
「お待ち下さい。……それよりも」
松明が照らすのは九郎の背中。前方は暗闇も同然だが、
九郎は過たず、確かな足取りで走る。
後ろから、多くの足音がうるさいほどに聞こえてくる。
それでも慌てはしない。
何年もに渡り居を構えてきた勝手知ったる館だ。
眼を閉じても迷わぬほど隅々まで熟知している。
そして九郎は開けた場所に飛び出した。
館の裏手の庭。北条時政が訪れた折に、館で働く者達を集めた場所だ。
三方を建物で囲まれ、木塀も設えられて、出口が分かりにくい。
そこに、九郎を追う襲撃者と館の手勢が集まった。
味方の者達は、途中から九郎の意図を察していた。
九郎は自らを囮に敵を一か所に集め、味方の戦力をそこに集中させたのだ。
雨中の徒な消耗戦は、これで回避した。
「よし!一気にけりを付けるぞ!」
斬りかかる襲撃者を倒しながら、九郎は将の姿を探す。
その時、背に殺気を感じた。
振り向き様、剣を振る。
射かけられた矢が真っ二つになって落ちた。
その横合いから、
「もらった!」
振り切った剣を返す間もなく、九郎に大刀が振り下ろされた。
「ふうん、やっぱりそうか」
「ヒノエくん!」
―――泰衡が九郎の敵に回る
ヒノエの口からその言葉が出るとは、想像もしなかった。
望美が驚いて顔を上げると、ヒノエのいたずらっぽい笑みがある。
「姫君のその顔、どうして知ってるの?…って書いてあるよ」
「ヒ…ヒノエくん…」
「でもね、簡単なことさ。
さっき姫君は、ずいぶん思い詰めた顔で泰衡を見ていたんだよ。
自分で気がついていたかい?」
「ううん…自分の顔のことなんて、考えてなかった」
「ははは、罪な姫君だね。
オレが隣にいるのに、他の男を見つめるなんて」
「え? そ、そんなこと…」
「その挙げ句に、あの質問だろう?
イヤでも分かってしまうよ」
「そ、そうか…、そうだよね確かに…」
望美は納得した。ここは、自分の分かりやすさを反省すべきか、
ヒノエの洞察力に感心すべきか、迷うところだ。
ヒノエが小声で続けた。
「お前の世界では、そうだったのかい?」
望美はドキリとする。
元の世界の歴史では、頼朝に追われて平泉に逃げた九郎は、
泰衡の裏切りにあって自害。
そして、泰衡もまた……。
「その様子だと、あまりいい結末じゃなさそうだね」
「えっ!」
「オレの言葉で、歴史の顛末を思ったんだろう?
そして、姫君の瞳には憂いの影が見えた」
「そ、そうだったの…」
望美の肩の力が、ふっと抜けた。
「ヒノエくんにはみんな分かっちゃうんだね」
「お前のそんな素直なところ、とても可愛いよ」
「も、もう、からかわないでよ」
「からかってなんかいないさ。
オレの姫君が何か思い詰めてるのを見たら、心配して当然だろ」
「ごめんヒノエくん、私ね……」
ヒノエは笑って、望美の手を励ますように強く握った。
「どうして謝るんだい? 姫君はどこも悪くない。
お前のいた世界では遙か昔に、源氏と平家の戦いがあった。
そうだね?」
「うん」
「そしてオレの姫君は、その先何があったかも知っている」
「うん」
「でもね、お前が考え込むことなんてないんだ。
この先は、オレ達が作っていくんだから、
同じになるはずがないんだよ、オレの姫君」
「……そう…なのかな」
「もちろん」
「ヒノエくん、自信満々だね」
「ああ、その理由が眼の前にあるんだから当然さ」
「え?」
望美は周りを見回そうとした。
が、ヒノエは望美の頬を抑えて
自分の方を向かせる。
「答えは神子姫様、お前自身なんだよ」
きょとんとした望美の眼を見つめながら、ヒノエは続ける。
「遠い世界から舞い降りたオレの姫君……、
お前がいなかったら、熊野は最後まで中立だったかもしれない。
もしかすると、平家に付いたかもしれない。
姫君以外の誰に頼まれようが、戦況をひっくり返すようなこと、
オレがするはずもなかったしね。
でもこんなこと、とっくに分かってたんじゃないかい、姫君?」
「あの戦いをそういう風に考えたことなかった…」
「お前のためなら、これからもオレは何だってするさ」
望美はふうっと大きく息をすると、空を見上げた。
「考えすぎても、先に進めないんだよね」
「そうさ。だから忘れないで、姫君。
時の流れを変えるのはオレ達なんだってこと……
ん?……」
その言葉が終わらぬうちに、ヒノエは足を止めた。
小鳥のさえずりが聞こえる。
耳を澄ませ、ヒノエは自分も鳥のような口笛を響かせた。
不思議そうな顔の望美に、ヒノエは言った。
「京に放った烏が飛んできたようだよ」
ヒノエの眼には、厳しい光がある。
別当自身が京に向かっていることを、当然烏は知っている。
それでもこうしてやって来たということは、
急ぎ、ヒノエの前に耳に入れておかねばならない大事があったのだ。
「姫君、ちょっとだけ待っててくれる?」
そう言うとヒノエはふい、と姿を消した。
「え? どこに…あれ、ヒノエくん?」
今でも時々、ヒノエの身軽さと素早さに驚かされてしまう。
望美は頭上の木の枝を見上げたが、
別の木に飛び移ったのか、ヒノエはもういない。
色づいた木の間越しに、光が降り注ぐ。
さらに遠く高く、青い空。
――待つしかないか。
望美は山の気を大きく吸い込むと、天に向かって、思い切り手を伸ばした。
道から逸れた深い藪の奥で、ヒノエは烏と対峙している。
「そうか…九郎が…」
「はい、今は身柄を六波羅に移され、そこに幽閉されております」
「弁慶はどうしてる?」
「今まで通り、五条で薬師をなさっておられます。
厳重な見張りはついていますが」
「ふうん、やつを泳がせておくなんて、甘いね…」
そして心の中で呟く。
見張りなんてどうにでもなるさ。
わざと自由にさせているのが、見え見えだ。
やつもとっくに承知しているだろうけどね。
望美は元の場所で待っていた。空を見上げてぽ〜っとしている。
その後ろからこっそり近づくと、ヒノエは望美の両目を塞いだ。
「きゃっ!」
「誰〜だ?」
「も、もうっ! ヒノエくんてば!」
「はは、待たせてごめん。さあ、行こうか」
再び手を繋ぎ、何事もなかったように歩き出す。
鎌倉が、表立って動き始めた。
静かな水面に大きな石が投げ込まれたのだ。
幾重もの波紋が…遠くまで広がっていくのだろう。
その波に、熊野はとうに巻き込まれている。
――だが、オレ達を巻き込んだこと、
最後には後悔させてみせるぜ。
ヒノエの足下で、枯れ葉がカサリと音を立てた。
[1. 京 鞍馬・五条]
[2. 平泉・熊野]
[3. 策動 六波羅・鎌倉]
[4. 焦燥 六波羅・勝浦]
[5. 暗夜 京邸・勝浦・五条]
[幕間 春 時空を隔てても]
[6. 秋雨 熊野・五条・堀川]
[7. 使者 法住寺・堀川]
[8. 堀川強襲]
[9. 挟撃]
[10. 雌伏]
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2008.11.22