比 翼

− 2  秋から冬へ −

1. 京  鞍馬 ・ 五条


六十余頭の騎馬が海道をひた走っていた。

馬上の武者は皆一様に眉根を寄せ、口を真一文字に引き結んでいる。 びりびりとした気が走る。

大磯を抜け富士の裾野を行き、遠く甲斐の白根山を臨み、手越を過ぎた。 しかし彼らは止まる様子もなく、さらに西を目指し駆けて行く。



* * * * * * * * * * * * * * * * * *



鞍馬山、道無き道のさらに奥に、澄んだ笛の音が響く。
妙なる調べを聴くのは、山と川と谷、そして黒々とした木々ばかりだ。

梢を鳴らして夕風が吹き過ぎた。
敦盛は、笛を構えた手を静かに下ろす。
人家のある方へと、風の向きが変わったようだ。

少し、遅くなったかもしれない。もう庵に戻ろう。

敦盛は、通い慣れた山の道を身軽に駆け下りていく。

夕暮れの山を包む大気が日を追うごとに冷たくなってきている。
そろそろ冬支度に取りかからなければ……。

そこまで考えて、はたと行き詰まる。
何を、どうすればよいのだろうか。

敦盛は今、鞍馬にあるリズヴァーンの庵に身を寄せている。 が、当のリズヴァーンは、敦盛に庵を任せ旅に出ているのだ。 一人暮らしなどしたことのない敦盛にとっては、 毎日が七転八倒の日々だ。

とはいえ、敦盛に居場所を作ってくれたリズヴァーンの心遣いには、 たとえようもなく感謝をしている。

源平合戦の折に、敦盛は自らの意志で、九郎の率いる源氏の軍にいた。 しかし、熊野の参戦により、なし崩し的に源氏が勝利を手中に収めた後は、 もう源氏の元に留まる理由は無くなった。
敦盛が平家の出自であることを、知らぬ者はいない。 八葉同士という奇しき絆で結ばれた九郎は、それを意にも介さなかったが、 戦の後に、勝者が何をするものか、敦盛はいやというほど分かっている。
九郎は、どのような咎めを受けようと、臆することなく敦盛をかばうだろう。 しかし、そのようなことはさせられない。 仲間として受け入れてくれた九郎に、自分のせいで累を及ぼすことがあってはならないのだ。

そして敦盛は、同様に源氏の軍を去ったリズヴァーンと共に、鞍馬に来た。 人目につくことを厭うという点では、リズヴァーンも敦盛も同じだ。
今も、平家の残党狩りは執拗に続いている。 京を離れても、それは同じこと。 南に逃れることができずに、追っ手におびえながら、 鳥も通わぬ深い山に逃げ込んだ一門の者達を思えば、 敦盛にとっては、雨露しのぐ場所があるだけでも幸いといえる。

ならば、いずれその「時」が訪れるまで、心静かに過ごそう、と思う。

枝を離れた楓の葉が、敦盛の足下にひらひらと落ちてきた。



* * * * * * * * * * * * * * * * * *



五条橋のたもとに建つ掘っ立て小屋の下に広がる河原に、大勢の街人が集まっている。
その中心にいるのは武蔵坊弁慶。
病人、怪我人を丁寧に、しかし手早く診ては、ある者には薬を与え、 ある者には手当を施していく。

九郎は口元をへの字にして、乱暴な足取りで河原へと下りた。
今まで心配した分、何事もなかったかのように京に戻り、 自分に何の報せも寄越さない弁慶に、少なからず腹を立てている。

「弁慶!」
開口一番、拳を握りしめて大声を出した九郎に、 弁慶は驚いた様子も見せず、相変わらずの調子で言った。
「ああ、久しぶりですね」
「何だ、その図々しい挨拶は。今までどこにいた」

「ふふっ、そんなにせっかちに聞かれても、返事に困ります」
そう言うと弁慶は、周囲の患者に「少し待っていて下さい」と声をかけると、 人のいない水辺を指して歩いていく。
その動作を見て、九郎の顔から怒りの表情が消えた。 急ぎ足で、弁慶の後を追う。

枯れた蘆の間を抜け、人々のざわめきが遠ざかったところで弁慶は足を止めた。
ざーざーと流れる水音だけが耳につく。
「ここでいいかな。九郎は声が大きいですからね」
しかし、少しからかうような口調のその言葉に答えることなく、 九郎は真顔で弁慶に真向かい、低い声で尋ねる。

「怪我をしたのか、弁慶。
相当な深傷だったようだな」

「……九郎」
思わず言葉を失った弁慶に、九郎はさらに続けた。
「長年のつきあいだ。お前の動きの異変ぐらいは分かる」
「はは…九郎も意外と細かいところに気づくんですね」
「ごまかすな!
今まで、どこに行っていた?熊野だけではあるまい。
深傷が癒えてからも身を隠さねばならん事でもあったのか」

矢継ぎ早の質問に、弁慶はため息を一つついてから、九郎の眼を見据え、答えた。

「そこまで考えるなら、すぐに六条堀川に戻ることです。
僕は源氏と袂を分かった者ですよ。違いますか?」
「いきなり、何を言い出す?!」
「少なくとも僕は自由に動きたいんです。
源氏と関わると、ろくな事がありませんから」
「弁慶!!言っていいことと悪いことがあるぞ!!」

激した九郎に、弁慶は怯む気配もなく言葉を続けた。
「分かっていないようですね。
では、はっきり聞きましょう。
君は、鎌倉が熊野の切り崩しを謀っていることを知っていますか」

「く!………」
九郎は、唇を噛みしめた。

「うすうす気づいてはいるようですね」
「ああ……。
秋の初めに上洛された北条時政殿が、戦の報償のことでヒノエと会った。
だが、あの時の時政殿の言葉や態度が、どうにも引っかかるんだ。
単なる報償ではない。熊野に対して含むところがあるのでは、と」

「だとして、君はどうしますか?」
弁慶は平然として、さらなる問を発した。
問う者と問われる者の立場が、いつの間にか逆転している。

九郎は、自分に言い聞かせるように、言葉を一つ一つ拾いながら答えた。
「俺は……源氏の者として、兄上のため、戦の後の世の平定に力を尽くしたい」
「九郎らしい答えですね」
「当然の答えだ」

「では、僕が京を離れていた間に、鎌倉殿から何かご沙汰がありましたか」
九郎は小さく頭を振る。
「いや、兄上からは何も言ってこない。
京を守るよう命じられているが、無冠の身では限界がある。
任官の話は頂いているのだ。それを受けてもよいものか、書状を送ったのだが」
「木曾義仲殿の悪例がありますからね」
「俺は、帝や朝廷を軽んじるつもりもなければ、
それに取って代わろうなどと思っているわけでもない。
兄上から頂いた役目を、よりよく務めようとしているだけだ」

「そう…九郎は二心を持てるほど器用ではありませんからね」
「おい!二心などと物騒な話、聞き捨てならんぞ!」

九郎が再び弁慶に詰め寄ったとき、
「九郎様だ!」
「堀川の九郎様がいらっしゃるぞ!」
弁慶を待つ街人達の声が聞こえてきた。
どうやら、少なからぬ者達が、こちらに押し寄せて来ているようだ。

「九郎は貴人達だけではなく、街人にもよく知られているんですね」
くるりと背を向けた弁慶の前に、九郎は回り込む。
「話はまだ終わっていないぞ」
「いいえ、話はここまでです。
けれど一つだけ、忠告しておきましょう。
くれぐれも、自分の周囲に注意することです。
どこに落とし穴があるとも限らない」
「……どういう意味だ、弁慶」

しかし弁慶は九郎を手で押しのけると、患者達の待つ河原へと戻っていってしまった。
入れ替わりに、街人達が九郎を取り囲む。

「九郎様!」
「わしの倅が、九郎様のおかげで助かったのです」
「堀川で頂いた水で、夏を越すことができました」
「坊やを助けてくれて、ありがとうございました」
皆、六条堀川に助けを求めて来ていた者達だ。 九郎に親しげに話しかけては、口々に礼の言葉を言う。

弁慶のことを気にかけながらも、九郎は彼らに笑顔で応じた。
「力になれたのなら、俺も本当にうれしい」
その言葉に嘘はない。九郎の気持ちが、素直に彼らに伝わっていく。
「京の復興のためには、みんなの力が必要だ。
力を貸してくれ。皆で協力すれば、きっとできる」

心が結ばれていくのが分かる。希望の灯がともり、明るい笑顔が広がる。

背を向けていても、それが弁慶には分かる。

……九郎、人の心を掴む、君のその類い希な力、
鎌倉殿はどのように考えているんでしょう……。

もう答えは出したのでしょうか。
利用するのか…
それとも………。




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− 1 初 秋 −

[1. 京 法住寺]  [10. 京 法住寺  熊野 勝浦]

− 2  秋から冬へ −

[1. 京 鞍馬・五条]  [2. 平泉・熊野]  [3. 策動 六波羅・鎌倉]
[4. 焦燥 六波羅・勝浦]  [5. 暗夜 京邸・熊野・五条]
[幕間 時空を隔てても]
[6. 秋雨 熊野・五条・堀川]  [7. 使者 法住寺・堀川]
[8. 堀川強襲]  [9. 挟撃]  [10. 雌伏]

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2008.8.19