10. 雌 伏
間合いを計ったかのような登場だ。偶然ではあり得ない。
この時を狙っていたということだろう。
しかし、六波羅の真の目的は何か。
全てが繋がっているなら、襲撃者の頭目が斬られたことと無関係ではあるまい。
暁の冷たい光の中、
六波羅の武士達が小暗い影のように表門からわらわらと入ってくるのを、
弁慶はただ見ていることしかできない。
ぬかるんだ土のそこかしこに残る戦闘の跡、まだ運ばれることなく転がったままの
骸を目にして、六波羅の者達は驚きの叫びを上げた。
鮮やかな色の直垂をつけた若い武士が進み出た。九郎とあまり変わらぬ年頃か。
「六波羅守護、江間四郎である。これは如何なることか」
門まで迎え出た九郎が答える。
「夜襲を受け、やっと撃退した次第。しかし、江間殿はなぜここに」
「堀川の源氏館で騒ぎが起きているとの報を聞き、急ぎやって来たのだ」
弁慶がやんわりと疑問を口にする。
「妙ですね。堀川と六波羅はかなり離れている。
夜更けの、しかも大雨の中でどのようにして騒ぎを聞きつけ、
六波羅まで報せが行ったのでしょう」
江間四郎はじろりと弁慶を睨み、九郎に向き直った。
「鎌倉殿の弟君に万一のことあらば一大事と、馳せ参じた。
九郎殿がご無事で安堵しているが、
この様子は鎌倉殿から命を受けた六波羅守護としては捨て置けぬ。
何があったか、調べさせて頂きたい」
「……承知した」
否やの言える状況ではない。九郎は頷くしかなかった。
江間四郎の合図で、六波羅の手の者が館の四方へと散っていく。
ほどなくして、奥から大きな叫び声が上がった。
「これは!」
「鎌倉殿の…」
弁慶の息が、ぐっと詰まった。
六波羅の守護自らが現れた時から恐れていたことが…。
武士達は厳しい表情を浮かべ、息絶えた曲者の頭目を幾重にも囲んでいる。
「江間殿…こちらへ」
武士達は道を空け、四郎は人垣の中に入っていった。
「土佐坊殿!!」
人垣の向こうで四郎の悲痛な声。
進み出ようとする九郎を、周りの武士達が押さえる。
「守護殿の検分中。お控え下さい」
「しかし…その名、聞いたことがある!
間違いないのか!」
「その通り、間違いなくこの方は鎌倉殿の御家人、土佐坊昌俊殿」
人垣が割れ、四郎が歩み出る。
「九郎殿、大罪ですぞ」
九郎は呆然として、人の足の間から見える土佐坊の遺骸を見た。
「知らなかった……兄上の…御家人が、俺を襲った?」
九郎の手勢には源氏の武士もいるが、
弁慶を始め、私兵ともいえる者達が大部分だ。
もちろん彼らの中に源氏での公の役目を仰せつかっている者はいない。
さらには頼朝が九郎の配下としてつけた御家人と言えば、梶原景時くらいのもの。
黄瀬川で合流して以来、すぐに合戦に出た九郎とその仲間にしてみれば、
戦で顔を合わせていなければ、御家人といえど、その顔を知る由もない。
六波羅に源氏の根拠地を移したのは、京に睨みをきかせるためばかりではなく、
堀川切り離しの目的もあったということだ。
仕事を分け、場所を分ければ自然と交流も少なくなる。
それでいながら、源氏同士ということで
むやみに情報の探り合いをすることはない。
九郎のような気性ならば、なおさらのこと。
しかし、
「知らぬ、ですまされることではない」
四郎はにべもなく言った。
「だが、土佐坊殿は名乗りもせず、夜討ちを仕掛けてきたのだ!
応戦するのは当然だろう!」
「ならばなおさらのこと。生け捕りにしたなら、
まず何者かを取り調べるのが筋というものではないのか。
捕らえてすぐに有無を言わさず処断するとは、あまりに非道」
四郎の非難の言葉は激しい。
「違う! 取り調べをしていたのだ。だが土佐坊殿は何も言わなかった。
そこに突然曲者が現れて、土佐坊殿を斬ったのだ」
「見損ないましたぞ! そのような見え透いた空言を弄すとは。
これでは、夜討ちという九郎殿の主張までも疑わしい」
九郎はその言葉に激怒した。
「何を言う! この館の者達も無傷ではすまなかったんだぞ!
そこまで言うからには」
と、四郎は無言で血に染まった書状を突き出した。
「何だ、これは」
「土佐坊殿の懐から出てきたものだ。
鎌倉殿からの書状だ。読んでみろ」
「何……」
九郎は絶句した。震える手で受け取り、そこに書かれたものを読む。
「この書状には、『官位に就くこと罷り成らぬ』……とある。
これは九郎殿の意に沿わぬこと」
「……兄上……」
「己の願いが叶わなかったことに苛立ち、
怒りに任せてこのような愚挙に出られたか」
「違う! 捕らえた時に懐は改めた。その時には、何も…」
「だが、あったのだ。しかも書状は開かれている」
弁慶が割って入った。
「鎌倉殿の遣いとしては、ずいぶんな刻限に
訪れたものだとは思いませんか」
「宵の口に来たのではないか?
望まぬ報せをもたらした者と、夜更けて諍いとなった」
「それは違いますね。この館の者達全員が、証人です」
「だがここには九郎殿の子飼いの者ばかり。
九郎殿の不利になるようなことを言うはずがない」
「御家人の土佐坊殿ならば、上洛してまず六波羅に立ち寄ったはずですが」
「急いでいたのであろう。我らは知らぬ」
推測と憶測と嘘を重ねた強引な話だ。
あの書状を土佐坊が所持していなかったのは事実。
つまりは、人垣で隠していた間に土佐坊の懐にねじ込み、血染めの
書状としてから再び取り出したということだ。
あまりに見え透いたやり方。しかも結論は周到に準備されている。
「もういい、弁慶」
反論しようとする弁慶を、九郎は押しとどめた。
「咎を負うのは、俺だけでいい」
「九郎! 何を言い出すんですか」
「よき覚悟だ。では、調べが済むまでそこで待たれよ。
その後は、この大事、我が一存では決めかねるゆえ
政子様ご上洛まで、九郎殿の身柄を預からせてもらいたい。
鎌倉殿の弟君として、相応の扱いはさせて頂く」
周囲がどよめいた。九郎の配下の中には剣の柄に手を掛ける者もいる。
しかし九郎の一瞥でしぶしぶその手を下ろした。
しばしの後、六波羅の武士達は館の中を我が物顔に歩き回っていた。
九郎は庇の下に立ち、その様子を黙然として見ている。
「九郎…」
「ああ、弁慶か。とんだことに巻き込んでしまったな」
振り向くこともなく、九郎は言った。
「君が詫びることはない。読み切れなかったのは僕です」
「気休めを言うな。どちらに転んでも、俺は逃げられなかったんだ」
「……そうですね。これは幾重にも仕掛けられた罠でした。
土佐坊殿は、利用されたにすぎなかったようです。
夜討ちが成功すれば、それでよし。
失敗したならば、手勢に紛れ込んだ暗殺者に口を塞がれる」
「そして、そこに都合よく六波羅守護が現れた。
……江間殿は政子様の弟だ。
捕らえられた者達は、口裏を合わせて答えるのだろうな」
「ええ、その通りでしょう」
沈黙が落ちる。
辺りはすっかり明るくなったが、空はどんよりと曇り、時折湿った微風が吹くばかり。
いつもならばうるさいほどの雀の声も、なぜか今日は聞こえてこない。
やがて九郎が、ぽつんと言った。
「あの書状は……兄上の字だった」
平静な声だ。だが、弁慶はそれに欺かれはしない。
「土佐坊が一存でしたこととは思えない
これは……兄上自らが、お命じになったのだ」
事実を受け止めることすら苦しい中で、自ら結論を出したということか。
「弁慶…」
「はい、何ですか」
九郎は大きく息を吸ってから言った。
「よくここまで俺についてきてくれたな。
礼を言う」
ああ、また九郎の悪い癖だ。
弁慶は少し笑いを含んだ声で言った。
「ここまで…ですか?
礼を言うのはまだ早いですよ。
僕はあきらめが悪いんです。
濡れ衣を着せられたままなんて、ごめんですから」
九郎の背中が、ぴくんと動く。
「いいのか…」
「軍師として言うなら、協力者は多い方がいいと思いますよ。
君もまだ、あきらめていないんでしょう」
九郎は空を仰いだ。
「ああ、俺は…伏して時を待つ」
「ふふ…それでこそ、九郎です」
「青い空が…恋しくはないか、弁慶。
平泉の、束稲山の上に広がる空が…」
六波羅の武士が近づいてくる気配がして、弁慶はその場を音もなく離れる。
軍師として、再び立つ時が来た。
常と変わらず穏やかな笑みを浮かべながらも、
その眼には押さえきれぬ激情がたぎり、荒ぶる光がほとばしる。
自らの御家人を……功ある者、忠ある者を人身御供にしたのか、頼朝は。
そこまでして、九郎を……弟を、葬りたいのか。
自分を信じてつき従う者を、九郎ならば決して裏切らない。
最後の最後まで、信じ抜き、共に歩もうとするだろう。
―――それが…恐ろしいか、頼朝!!!
「九郎さんが…?」
「九郎が…?」
入京を前に、ヒノエが九郎幽閉の報を伝えると、望美と泰衡は一瞬絶句し、次いで
同じ言葉を発した。
「きっと何かの間違いだよ。幽閉されるようなことなんて、
九郎さんがするはずないもの」
「さあ、それは判断する者の立場によって違うんじゃない?
九郎の存在は、ある者にとっては必要だ。
でも、立場が変われば脅威になるかもしれない。
戦の時と同じだよ。敵と味方で対処は変わるだろう?」
「ヒノエくん、それってすごく冷たい言い方だよ!
今は戦の時とは違うんだから」
「昔から、そうだ…」
泰衡が苦々しげな口調で言った。
二人の同意を求めているわけではない。
視線は床に落としたまま。眉間の皺がいつにも増して深い。
「あれで戦上手とは信じられん。
自分のこととなると、お粗末きわまる」
「へえ、九郎のことを心配するなんて、
泰衡もいいとこあるじゃない」
ヒノエの言葉に、泰衡は荒々しく立ち上がった。
「これから京に入るというのに、余計なもめ事は困るということだ。
明日は早い。失礼する」
そう言うなり、泰衡は部屋を出て行った。
「あの荒法師は…何をしていた」
呟き声が扉の向こうから聞こえ、足音が遠ざかる。
望美が向きを変えるより早く、ヒノエの腕が望美を捕らえた。
それでも望美は話を続ける。
「どうにかして九郎さんに会えないかな」
「会ってどうするんだい?」
ヒノエの返事は素っ気ない。
「励ますことができるよ。それに、
直接事情を聞いてみれば
何かできることが見つかるかもしれないし」
しかしヒノエはゆっくりと頭を振った。
「囚われ人との逢瀬なんて、許すわけにはいかないよ」
「またそんな言い方でごまかすんだから…」
「妬けるね…そんなに九郎のことが心配かい」
「決まってるじゃない!
それに今は、妬けるとかそういう問題じゃないよ」
「そういう問題だからこそ、姫君には迂闊に動いてほしくないんだ」
「どういうこと? 分からないよ」
ヒノエは望美の手をとった。
「いいかい、もしお前が九郎に会えたとしても、そこは六波羅。
つまり源氏の監視の下だ。九郎が自由に話せると思う?」
「あ……」
「お前が源氏の神子だったことは、みんなが知っている。
だったら、お前が九郎を助けるために何か画策している…と
疑われても仕方ないんだよ」
「でも、助けたいのは本当だし」
「だが、その手だてが見つかるまで、下手に手の内を見せてはだめさ」
「でも何もしなかったら、いつまでも手だてはみつからないと思う」
「オレの姫君……お前は、やっぱり白龍の選んだ神子だね。
どこまでも前に進もうとする…」
「だって、何も分からないままじゃ、どうしようもないもの」
ヒノエは望美の頬に指を這わせた。
「柳眉を逆立てていても、神子姫様は美しいね。
お前には勝てないよ」
望美はぱっと顔を輝かせた。
「じゃあ!」
「ふふっ、そんなに慌てないで。
ここで話していても何も変わらないんだし、
心配するのは京に入ってからにしない?
その時はオレも一緒に何ができるか探してみるよ。
これでいいかい?」
「ありがとう! ヒノエくんが一緒なら心強いよ」
「もちろんオレはサイコーだぜ、いつだって。
だから、一つだけ約束してくれないか?」
「約束?」
「京では、頼朝の北の方との謁見が待ってる。
熊野のこれからに関わる真剣勝負なんだ。
だから、それが終わるまで待っていてほしいんだ、姫君」
望美はにっこり笑って請け合った。
「分かった。京には、政子様と会うために行くんだものね。
がんばってね、ヒノエくん」
「がんばるさ、神子姫様のためにもね」
―――しかし事は、それ以上の速さで動いていた。
[1. 京 鞍馬・五条]
[2. 平泉・熊野]
[3. 策動 六波羅・鎌倉]
[4. 焦燥 六波羅・勝浦]
[5. 暗夜 京邸・勝浦・五条]
[幕間 春 時空を隔てても]
[6. 秋雨 熊野・五条・堀川]
[7. 切迫 法住寺・堀川・熊野]
[8. 堀川強襲]
[9. 挟撃]
[10. 雌伏]
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いろいろ大変なことになったまま、第2章終了です。
ここまでお読み下さり、ありがとうございました。
開始当初は長編・予定でしたが、ここに来て長編・確定みたいです。
第3章では、政子様が上洛してきます。
この人がいるだけで、大波乱のフラグが立ちますね(笑)。
どうか次もよろしくおつきあい下さいませ。
2008.12.7