比 翼

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2. 帰 郷



白河の関で、泰衡率いる平泉の一行が足止めをされている。

朝廷に金と馬を献上するためここを通った往路では、このような扱いは受けなかった。
今は、京での用をすませ奥州に戻る途上。
しかし、行きの時のようにすんなりとは行かないようだ。

無理もない。九郎義経なる危険人物が、その配下を引き連れて逃亡中なのだ。
奥州平泉と九郎が縁深いことは、周知の事実。
となれば、この一行に九郎義経が紛れこんでいることも十分あり得る。

「それらしき人物がいないか、一人ずつ、確かめさせてもらう」
関を守る武士の一団が、一行を取り囲んだ。
泰衡はひくりと眉を動かし、突き刺すような視線で関守の長を見た。
長は精一杯の威厳をこめてにらみ返す。
「泰衡殿はご不満か。だがこれは鎌倉殿直々の…」
「フッ…」
泰衡は鼻で笑った。
「ならばさっさと済ませてもらおうか。
遊山の旅ではないのだ。無駄な時間つぶしなどご免被る」
関守の長は、鞭を手に身じろぎもせずこちらを睨む泰衡に向かい、 負けじと声を張り上げる。
「お言葉ながら、理由無きことではない。
記録を見れば、奥州よりの遣いの人数、上洛した時よりも増えているのはこれ如何に。
他ならぬ泰衡殿自身の姿も、行きの道中にはなかったのですぞ」
だが泰衡は不機嫌な表情のまま素っ気なく答えた。
「朝廷や法皇から賜った荷を運ぶため、途中で雇い入れた強力もいる。
私は別の道を通って上洛したまで。
そのように下らぬことを詮索するために、関守殿はここにおられるのか」
「くっ…下らぬとは…失礼ですぞ! このお役目は鎌倉殿直々の…」

しかし長が最前と同じ言葉を繰り返して声を荒げた時には、泰衡はすでに背を向けていた。
無礼な態度だ。だが泰衡は平泉の一行に、同じ方向を向いて並ぶよう指示を出している。

――協力する素振りは見せたか。
頑なに拒むようなら、それこそが九郎義経を匿っている証拠。
かまわず全員捕らえよ、との命だったが…。

ほどなくして平泉の一行は全員が兜を脱ぎ、烏帽子まで外して並んだ。
関守の長は、九郎やその配下の顔を知っている者達を呼び出し、
端から一人ずつ、顔を改めさせていく。
しかし、二度三度と繰り返し確かめても、彼らは首を横に振るばかりだった。

「いかがかな。これで気がすんのなら、出立させて頂きたいが」
泰衡が馬の鞍に手をかけた。
しかし、これで終わりではなかった。

「待たれよ。荷の検分が終わっておらぬ」
その言葉に、泰衡は動きを止めた。
そしてゆっくりと長を振り向き、次いで、自分達一行を取り囲む武士の一団を見渡す。

「どうなされたかな、泰衡殿」
長はにんまりと笑いながら尋ねる。
泰衡の眉根がぎゅっと寄せられた。
「何か都合の悪いことでも?」
かさにかかって長は言う。

泰衡は深く息を吐き出した。
「不都合などない。荷ならここで全て解いてやる。
だが心して扱え。荷に万に一つも傷をつけたなら、
それなりの覚悟をしてもらわねばならぬが、それでもよいか」
そして、手にした鞭をぴしりと鳴らす。
「畏れ多くも朝廷より賜った品々、軽々しく扱ってもらっては困る」
それでも長は引き下がらなかった。
「見るだけだ。荷を開ける役は、そちらにやって頂こう」

泰衡と関守の長のやりとりに、平泉の一行は困惑したように顔を見合わせている。
その様子に、何か隠し事があるに違いないと察した関守達は、勢いづいた。

一つずつ、荷が開かれていく。
中には、一行の使う日用品が詰め込まれたものもあるが、
目も彩な縫い取りの施された衣、螺鈿の細工もの、香の匣などもある。
下賜の品というのは、あながち偽りではなさそうだ。

しかし一つだけ、身を屈めれば大人でも入れる大きさの荷がある。
それほど屈強そうにも見えない男が背負っているので、
たいした重さとは思えないが、大きさという点では一番怪しい。

「その者、荷を下ろして開けよ」
その言葉に、男は驚いたように泰衡を見た。
泰衡はやれやれといった様子で、他の者に指示を出す。
地面に素早く綾織りの布が敷かれ、男はそっと荷を下ろした。

「何をもったいぶっているのだ」
「よほど大層な物が入っているのだろう」
揶揄するような声を上げていた関守達が、一斉に息を呑んだ。

泰衡がゆっくり荷箱の蓋を開くと、そこには仏の座像があったのだ。
端正な顔、柔らかな衣服の線、一目で優れた仏師の手になる物と分かる。
「し…失礼した」
関守の長は上ずった声で詫びた。
泰衡が蓋を戻すと、再び男が荷を背負う。

「では、通してもらうぞ」
関の扉が開き、平泉の一行は奥州の地へと足を踏み入れた。

関守達は、もやもやとした気持ちを抱いたまま、それを見送るしかない。



そして粛々と列は進み、半時ばかりの後、小暗い森に入るとその足を止めた。

荷箱が開かれ、中の座像がごろりと地面に転がされる。
泰衡が呪を唱え、背に張られた札を剥がした。
その瞬間、座像は九郎の姿になる。

九郎は跳ね起きて泰衡に詰め寄った。
「ぶはっ! や、泰衡! 貴様というやつは! ぶはっ!
いったい何のつもりで! 暗かったんだぞ! 狭かったんだぞ!
そこで身動きもならんとは! ぶはっ! しかも埃っぽいし」

「落ち着いて下さい、九郎。関を無事に抜けるためだったんですよ」
泰衡につかみかかった九郎の腕を、弁慶が押さえる。
「俺だって、小芝居くらいできる! 泰衡の術で固められる必要はない!!」
「一番芝居に向いていないのが九郎なんですが。
だから僕が泰衡殿にお願いしたんです」
「何だって? どういうつもりだ弁慶! え? 弁…慶…?」

弁慶に向き直った九郎の眼に映ったのは、
声は弁慶だが、凡庸で特徴のない男の顔だった。
つい先ほどまで、九郎の荷箱を背負っていたのはこの男なのだが、
九郎はそれを知る由もない。
そして平泉の一行を見回すと、その中に自分の仲間の顔は一つもないことに気づく。
「いったいこれは…何があったんだ!」

「泰衡殿、そろそろ僕たちにかけた術も解いてくれますか?」
男が弁慶の声で言うと、泰衡は少し眉を上げた。
「お前達の術は単純で弱いものだ。放っておいても勝手に消える」
「ふうっ、困りましたね。僕はかまいませんが、九郎があれでは…」

「弁慶〜…三郎〜…常陸坊〜…喜三太〜…」
「僕はここにいますよ」
「三郎は俺です」
「わしが常陸坊じゃ」
「はいっ、九郎様!」

「フッ、黒法師、お前の立てた策だ。俺はそれに協力したまで。
後始末は自分でつけるんだな」
泰衡は落ち込んだ九郎を一瞥すると、出立の合図をした。



森を抜けた一行の背後に、狼煙が上がる。
それは次々と南に伝わり、その日の内に鎌倉へと届いた。


* * * * * * * * * * * * * * * * * *



――熊野中辺路。
切り立った崖際の道に覆い被さるように、冬なお深い緑の木々が生い茂る道を、
望美と朔、薊、敦盛、リズヴァーン、そして先導役のミサゴが歩いている。

田辺では、神職達がヒノエを待ちかまえていた。
年越しの祓え、新玉の年の儀式に別当がいなかったら…と、
やきもきしていた彼らにしてみれば、ここまで出迎えに来るのは当然のこと。
だが三山を統べる神職として、一番安堵しているのはヒノエ自身であっただろう。
望美と勝浦での再会を約すと、いつになく素直に神職達に連れ去られていった。

足の治っていない薊に合わせ、一行はゆっくりと山道を行く。

「ここを歩いたのが去年のことだったなんて、何だか信じられないわ」
朔が、感慨にふけるように言った。
「あの時は熊野川が氾濫して、本宮まで行けなかったんだよね」
「不思議だわ。昨日のことみたいな気がするのに、ずっと昔のことのようにも思えるの」
「あ、私もそうだよ」

時折、このような短い言葉を交わす以外は、険しい道を黙々と行く。
しんがりを守って歩く敦盛とリズヴァーンは、滅多に口を開かない。

「去年か…」
まだ、兄は生きていた。仲間も皆、生きていた。
薊の胸の奥で、名前のないものがきりきりと痛む。
悲しみでも苦しみでも悔悟でもない何か。
…いや、その全てなのかもしれない。

今、自分がここにいること、熊野の地を歩いていることすら、
ひどい大罪なのではないか……。
その思いが、どうしても消せない。

朔は、兄を助ける手だてを考えたい…と言って、望美と共に来た。
公達と鬼は、「神子」が望むなら…と言って同行している。

私は……「一緒に帰ろう」という望美の言葉に、すがってしまった。
自分を省みるより先に、頷いていた…。

私は弱く、愚かだ。

杖を握りしめ、熊野の道を一歩一歩進む。
幾つもの峠を越えた。
空に近づき、森に沈み、道はどこまでも続いている。

山裾が幾重にも折り重なり、雲上に峰が連なる。
冬の深い山の気が身体を包み、心に染み入っていく。

――この峠を越えたら……海が見える。

「少し休もうか」
望美の言葉に、薊は少しほっとした。

音を上げまいと決めていても、怪我の癒えていない足をかばって、
もう片方の足も悲鳴を上げている。

小さな湧き水で喉を潤し、木の根方に腰を下ろしてしばし休むうち、
薊はいつの間にか寝入っていた。



ゆらゆらと心地よく身体が揺れる。
童たちの笑い声が弾けている。
頬に当たるのは、柔らかな布の感触。あたたかくて懐かしい匂い。

「母…上…」
自分の声で目を覚まし、薊は、自分がふくよかな女性に背負われていることに気づいた。
「わっ!」
思わず声を上げ、慌てて頭を起こす。
「目が覚めましたか、お嬢さん。子供達がうるさくてすみません」

頭を巡らして見れば、ここは峠道の急な坂。
しかし女性の足取りは着実だ。
周りを大小取り混ぜた六人の童が取り巻き、
急坂などものともせずにはしゃいでいる。

「すまなかった。下ろしてくれ。自分で歩く」
「じゃあ、この坂を登り切ったら」
「いや、ここは上り坂だ。大変だろう」
すると女性は明るく笑った。
「そんなこと、気にしなくていいんですよ。女は体力ですから」

子供達が、望美を取り巻いてぴょんぴょん跳ねている。
「おかえりなさい、のぞみおねえちゃん」
「ねえ、おともだちいっぱいだね」
「いちばんうしろの大きいひとはだれ?」
「きれいなおねえさんは何て名まえ?」

「うるさくしちゃだめ!」
末の妹を背負った一番上の姉が、望美の周りから弟妹達を追い払う。

「きれいなおねえさん…なまえおしえて」
姉に追い払われた男の子が、にこにこしながら薊に話かけてきた。
「でもね、ぼくにさわるとやけどするんだよ」
「え…」
薊が答えに詰まっていると、年長の女の子が慌てた様子で駆け寄ってきた。
そしていきなり、男の子の頭を
ぽかっ!
「いたい!」
男の子は頭を抱えた。
「だめよ!しつれいでしょ!」
女の子は弟を叱ると、薊に向かってぴょこんと頭を下げる。
「ごめんなさい」
「なんだよう、おねえちゃんのばか」
「おとうさんのまねしちゃいけないって、いつもいってるでしょ。
おねえさんにあやまりなさい!」
「ううう…ごめんなさい、きれいなおねえさん」
「あ、謝ったなら、もういい」
「ありがとう、きれいなおねえさん」

子供達は、きゃっきゃと笑いながら坂道を駆け上がって行ってしまった。

毒気を抜かれる…とはこのことだろうか。
薊はふっと力を抜いた。
「あなたの子か」
「すいませんねえ、どうか、気を悪くしないで下さいね」
「いや別に…気にしていない」
「ああ、よかった」
そして女性は、世間話の続きのように淡々と言葉を続けた。
「お嬢さん……幸せになることを怖がっちゃいけませんよ」

心の内を見透かされたような言葉に、薊は身を固くする。
会話はそこで途切れ、女性は薊を背負って黙々と坂道を上った。

空まで続くかと思われた道の頂上が次第に低くなり、坂の上の空が広がっていく。
長い上り坂が終わった。
薊は、杖を握りしめ、再び熊野の地に足を下ろした。

まばらな木々の間から、冬の日射しが穏やかに降り注ぐ。
小高い山々の向こうに、青いきらめきがある。

あの海は……
まぶしさに眼を細めても、そこから視線を離すことができない。

「おかえりなさい、薊さん」
望美がにっこり笑った。朔がその隣で微笑んでいる。

来た道を振り返れば、それは深い山に続き、
行く道を仰げば、それもまた山へと続き、やがて海へと至る。

山を鳴らして風が吹きすぎた。

――なぜだろう……頬に、熱いものが流れている。

地に膝を付き、眼を閉じた。

風の音、鳥の声、葉擦れの音、子供達の声、そして遠くに轟く波の音。
風の匂い、山の匂い、土の匂い、水の匂い、森の匂い…そしてかすかな潮の香。

眼を開けば、緑と青が視界の中で滲んで溶け合う。

熊野は……故郷は今なお、あたたかい。

ごめんなさい、兄上。私はここに還ってきた。

私は…ここで……生きたい。




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− 5  比 翼 −

[1. 星夜]  [2. 帰郷]  [3. 下命]  [4. 出立の時]  [5. 向かうべき場所]
[6. 嵐の前]  [7. 小さき祈り]  [8. 飛翔]  [9. 継ぐ者達へ…]  [10. 帰還]
[エピローグ 去りゆく者へ…]

[後書き]

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補足説明です。
後半に出てきた女性って誰?と思われた方、すみませんでした。
彼女は、前作「深き緑に眩(まばゆ)き青に」の 第5話 に出ています。
よろしければ読んでみて下さい♪

2009.6.19