比 翼

− 5  比 翼 −

エピローグ 去りゆく者へ…



奥州と鎌倉の交渉は、互いが兵を退き、鎌倉軍の主力が撤退し
頼朝が平泉から戻った後も続いた。

主立った御家人が残留し、奥六郡との和議の話し合いに臨んだ。

結果、奥州国守藤原秀衡は任を解かれ、
その後は、嫡男泰衡に引き継がれることとなった。

藤原家の身分を安堵したことと引き替えに、朝廷に献上される奥州の馬は、
鎌倉が引き取った上で京に運ぶという取り決めが交わされた。
黄金に関しては、依然、両者の間で綱引きが行われている。

九郎の処断は、迅速に行われた。
九郎が犯したのは、二つの罪。
最初の土佐坊暗殺については、闇の中の出来事ゆえ、
九郎以外にも手を下した人物がいたかもしれない、ということで不問となった。
しかし第二の、護送の途中で仲間と結託して逃走したことについては、弁明の余地が無い。
源氏としての身分職分を全て剥奪の上、
鎌倉に足を踏み入れることは、この先一切罷り成らぬ、との裁可が下りた。
身柄は奥州藤原氏預かりとなり、俘虜の扱いとするようにとの、厳しい但し書きがつけられた。
だが、それに関しては鎌倉方の監視が付くわけでもなく、かなりの譲歩とも見て取れる。

熊野に関しては、思うところは多々あるのだろうが、
奥州と一括りに扱うこともできず、
――追って沙汰する。
ということになった。

伊勢の宮で異変に気づかれ、北の政所がいなくなったことで
騒ぎが大きくなったためもある。



一方、望美たちの帰還を祝う宴は、街をあげて幾日も続いていた。

その最中、そっと別当屋敷を抜け出す二つの人影があった。
気づいたヒノエが後を追う。

門の前に先回りして、ヒノエは声をかけた。
「黙っていくのかい?」
ヒノエの問いに、リズヴァーンは微笑みを浮かべ、静かに頷いた。
敦盛もまた、小さく頷く。

彼らの眼の中に決意を読み取ると、ヒノエは自ら門扉を開いた。
「感謝してる。二人のことは忘れないよ」

二人は黙礼すると、屋敷を後にした。


月明かりの照らす熊野の峠道を、若い公達と金色の髪の鬼が歩いている。

分かれ道にさしかかると、二人は足を止め、短く言葉を交わした。
そしてそれぞれ、別の道を歩き出す。

――神子
行く手を塞がれた熊野と奥州に、あなたは新たな道を開いてみせた。
私は…教えられた。
逃げ回って隠れているだけでは何もできないと。

この後も、鎌倉は平家の残党狩りを止めることはないだろう。
落ち延びた先で、皆息を潜めるようにして生きていることと思う。
かつて源氏に身を投じた私が受け入れてもらえるかどうか分からないが…
一門のため、できることはあるはずだ。

この身のある限り……。


――神子
私は、旅に出ようと思う。
遠い旅になる。もう帰ることはないだろう。

平家の落人が逃げ延びたように、
我が同胞も、どこかでひっそりと生きているかもしれぬ。
探し続けよう。終わりなき旅路の中で。

私の歳月の在った意味。
救わねばならなかった一つの命。
その行方を見届けた。
私の役目は終わった。

お前が信じる道を歩み、
それが幸多きものであること、
それが私にとって、何ものにも代え難い喜びだ。



そして次の冬が巡り来た。
奥州が再び雪に覆われる頃、藤原秀衡は逝った。
泰衡をはじめとする子供達、九郎、弁慶に見取られての静かな最期だったという。

――奥州の巨星墜つ
その報はまたたく間に国中に伝わったが、奥州が揺らぐことはなかった。

鎌倉の奥州征伐の後、国守は交代したが、
藤原泰衡を中心とした体勢が整うまでの間、
秀衡が健在で、四方に睨みを聞かせていたことは、
奥州にとってたとえようもなく大きな恩恵であったといえよう。
すでに奥州の足元は、しっかりと固まっていたのだ。

思い残すことなく、泰衡と九郎に後を託した秀衡は、
平泉関山に建つ金色の御堂で、二人の先達と共に眠りに就いている。


そして春…如月の頃、
若き秀衡が熊野に植えた桜は、今年も満開となっている。

満月の下の山道を、湛快と副頭領が桜の元にやって来た。

「ふうっ…」
大きく息をついて、湛快はどさりと木の根元に腰を下ろす。
副頭領は担いできた荷を解き、黙々と酒肴の準備をした。

やがて杯になみなみと酒が注がれた。
泰衡が送ってきた奥州の酒だ。

「一緒に呑もうや」
湛快は杯を高々と上げた。

「お前と呑んだ酒は、うまかったぜ」
一気に杯を空けると、ひょいっと腕を横に突き出す。
間髪入れず、副頭領が酌をする。

「まあ、お前も呑め」
「はい、ありがたくいただきます」
副頭領は自分の杯にもたっぷり注ぐと、喉を鳴らして飲み干した。
「……うまい酒です…本当に…」
副頭領の大きな肩が、震えている。
まだ一杯目というのに、目が真っ赤だ。

「馬鹿野郎、今宵は宴だ。湿っぽいのは無しだぜ。
きれいどころがいねえんだから、お前が賑やかしに歌くらい歌え」
「す…すみません…湛快様。む…無理です」
「やれやれ…。やつぁ、陽気な酒が好きだったのにな」

湛快は、ぐいっと杯をあおった。
ひょい…こぽこぽ…。

杯に眼を落とすと、満月がゆらゆらと映っている。

その時、音のない風が吹き、花びらが一斉に宙に舞い上がった。
月の光に淡く透けながら、桜吹雪がゆるやかに降り注ぐ。

杯にひとひら、花びらが浮かんだ。
揺らめいて一度消えた満月が、再び桜を載せて姿を現すと、
湛快は桜花と共に杯を干した。

そのまま腕をぐい、と横に出す。
空になった杯を、副頭領は黙って受け取った。

湛快はごしごしと眼をこすり、ぼそりと言った。
「ゴミが入りやがった…」

目の前に突き出された手に、副頭領は酒をいっぱいに注いだ杯を渡す。

高く上がった月を、二人は見上げた。
「いい夜だな」
そう言って、湛快は桜の幹に背中を預ける。

はらはらはらと、桜花は絶え間なく降り続け、
淡雪のように地面を覆っていく。

望月はしずしずと空を進み、熊野の春の夜は穏やかに更けていった。









− 5  比 翼 −

[1. 星夜]  [2. 帰郷]  [3. 下命]  [4. 出立の時]  [5. 向かうべき場所]
[6. 嵐の前]  [7. 小さき祈り]  [8. 飛翔]  [9. 継ぐ者達へ…]  [10. 帰還]
[エピローグ 去りゆく者へ…]

[後書き]
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− 余 話 −

[零零七番の使命]  [笑みと戸惑いの間]  [一夜の夢に]

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2009.8.23