花の還る場所  第二部

6.転 変


瘴気に満ちた沼地から、怨霊が次々に涌き出てくる。
対峙する安倍家の陰陽師は五人。
若い見習いが一人混じっているが、その他はみな手練れ揃いだ。
しかし、それでも調伏が間に合わない。
気がつけばいつの間にか怨霊共は陸に上がり、彼らを取り囲んでいる。

シャァァァッ!
怨霊の触手が地を這って、見習いの足に絡みついた。
「うわああっ!」
見習いはそのまま沼に引きずり込まれそうになる。
必死に地面に爪を立てて身体を止めようとするが、
怨霊にとってそのような抵抗は、無に等しい。
もがき続けても、ずるずると引き込まれていく。

その時、
「伏せていろ! 洞宣!」
年若い陰陽師がそう叫ぶなり、あろうことか怨霊の群れる沼に飛び込んだ。
見習いは抵抗を止め、がばっと地に伏せる。

「俺達も伏せるぞ!」
一番年長の陰陽師の指示と同時に、その場の皆が身を低くした。
刹那、地に衝撃が走り、怨霊の群が泥と共に空中に弾き飛ばされる。
その只中を見えぬ刃が走った。

怨霊と一緒に飛ばされ、断たれた触手と共に地面に落ちた見習いを、
仲間が素早く助け出す。

それを見届けると、「結界を!」と叫んで、若い陰陽師は呪を唱えた。
高々と両の手を上げ、次いでその手を振り下ろす。

「また無茶なことを!」
年長の陰陽師達が、皆を守る結界を張る。
その瞬間、天から巨大な光球が墜ち、目の眩む光が周囲を満たした。

「大丈夫…でしたか?」
若い陰陽師の心配そうな声に皆が顔を上げると、
怨霊の群も沼も跡形もなく消え、周囲の地面までもがえぐられて、
黒い土が遠くまで点々と飛び散っている。
凄まじい力が放たれた証だ。辺りに人家が無かったことが幸いだった。

「怨霊は一撃で仕留めたか。見事…と言いたいところだが、またやらかしたな晴源」
「礼は言う。だが力を加減することも覚えなければ」
「すみません…」
年かさの陰陽師の言葉に、晴源は小さくなった。

「我らがお前のおかげで助かったのは事実。しかしお前には、さらなる修練が必要だ。
お師匠様には私から報告しておこう」
年長の陰陽師はそう言うと、見習いに向かって言った。
「洞宣、礼の言葉はどうした?」
呆けたように周囲を見回していた見習いが、慌てて姿勢を正す。


しばしの後、荘園の怨霊を調伏した旨、待ちかまえていた貴族の家人に告げて、
陰陽師達は安倍家に戻った。

年長の陰陽師は、晴明の居室へと報告に赴く。

一部始終を語ると、晴明は深い吐息と共に言った。
「そうか、苦戦したか」
「はい。沼の瘴気が予想以上に強く…」
「一歩間違えば危ういところだったが、
見習いにとってはよい経験となったようだな」
「怯えてしまうのではと案じましたが、
もうけろりとして、見習い仲間に自慢話をしています」

晴明は苦笑し、そしてすぐに真顔に戻る。
「晴源は、またもや我が縛めの呪を解いたようだな」
「申し訳ありません。そのようなことにならぬよう、
人数を増やし、あの地の祓えから始めるべきでした」
「あやつの力は、己でもどうにもできぬほど強い。
皆を救いたいと念じれば、我が呪を弾き飛ばすか…」
「お師匠様の術までも消し去るとは…。
どこか空恐ろしい気もしますが、
晴源が優しき心根の持ち主なのが、せめてもの幸いです」

晴明は、膝に載せていた手を胸の前に上げ、掌を返した。
そこにぽっと小さな光が点り、白い蝶の形になる。
晴明が腕を伸ばすと、蝶はひらひらと外に飛んでいった。

「強すぎる力は諸刃の刃。優しさだけで抑えることはできぬ。
一歩踏み誤れば、滅びの道を転げ落ちることになろう」

晴明なればこそ、この言葉はずしりと重い。
化生の者ではないかとまことしやかに噂されるほどの力を
幼き頃より有していた晴明は、その危うき道を辿るのがどれほどに
苛酷で難しいものなのかを、誰よりも知っているのだ。

「今の式神……晴源をお呼びになったのですか」
晴明は黙したまま頷いた。


しかしその時、晴源は安倍家を飛び出し、京の街を走っていた。

陰陽寮に出仕している兄弟子達の雑談で、信じがたいことを聞いてしまったのだ。

――后町井の呪詛は、襲芳舎の更衣が麗景殿の中宮に仕掛けたものだそうだ。
仕掛けた男が捕まり、全て白状したとか。
襲芳舎からは、証拠の品も見つかったようだぞ。

后町井の呪詛……お師匠様の供をして、内裏を訪れた時のものだ。

呪詛は、お師匠様によって解かれた。
あっけないものだった。

そこで出会ったあの人のことは…よく覚えている。
いや、忘れることなどできない。
気がつけば今でも、あの人のことばかり思っているのだから。

花の香を、優しい声を、まぶしい微笑みを、白い手を、
艶やかな髪を、凜とした眼差しを……。

あの人は、襲芳舎に仕えていると言っていた。

――更衣は、内裏を下がったそうだ。
髪を下ろした…とか聞いたな。
仕えていた女房達がどうなったか?
そりゃあ、次のお勤め先を探したんだろうさ。
一緒に出家した忠実な女房もいたらしいが…
どこに行ったかだと?
そこまで分かるはずがないだろう。
どうしたんだ、晴源。
お前にしては珍しいな、女の話とは。


何があった。
私は何をした。
呪詛を…あのようなつまらぬ呪詛をお師匠様が解いて…
それが、あの人を陥れたのか。

あの人を…探さなければ!

探してどうするのか
詫びたところで、どうなるのか
だが、あの人に会って、力になれるのならば…

晴源は己の手を見、身の内に渦巻く力を感じた。

強すぎる力だと、お師匠様は言う。
だが、あの人を守るどころが、
辛い目に遭っているのを知ることさえできなかった。

強く首を振る。
後悔するばかりでは何も出来ない。
今でも何か、できることがあるはずだ。

遠くで雷鳴が轟く。
晴源は待賢門を通り、大内裏へと入った。




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―― 花の還る場所 ――
第二部
1.惜春  2.師弟  3.怨霊  4.大内裏・前編  5.大内裏・後編
7.兄と弟  8.疑惑  9.魔手  10.集う・前編  11.集う・後編
12.出奔  13.理に背く者  14.再会

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2009.06.22  筆