花の還る場所  第二部

13.理に背く者


――鷹通さんのお母さん…?

あかねは一瞬、耳を疑った。
鷹通の母はすでに他界しているのではなかったか。
それは他ならぬ、鷹通自身の口から聞いたことだ。

「あの…でも、鷹通さんのお母さんは」
遠慮がちに問いかけたあかねの言葉に、鷹通は頷いた。

「はい、母は何年も前に亡くなりました。
けれど、宗主の指し示す先にいたのは、間違いなく、
幼い私を引き取り、可愛がってくれた育ての母でした。
生きていた時と同じ姿で、同じように優しい笑みを浮かべて」
「ウソだ! 鷹通まで、ダマされてるのか」
イノリが叫んだ。
友雅がそれを穏やかに諫める。
「イノリ、少し落ち着いて話を聞くものだよ。
鷹通がこのような場で嘘を言うような人間ではないことくらい、
分かっているはずだ」

「わ…悪かった、鷹通」
イノリはぺこっと頭を下げた。
「いいえ、気にしないで下さい。無理もないのですから。
このような話、信じてくれと言う方がおかしいのでしょう。
けれど…ここにいる皆さんになら」
鷹通が見回すと、真剣な眼差しが返ってきた。

「続けろ、鷹通。母御とは言葉を交わしたのか」
泰明の問いに、鷹通は記憶の底を探りながら答える。
「僅かな言葉しか覚えていませんが…
『お会いしたかった』と私が言うと、母も同じように言いました。
そして、『立派になったのですね、その姿を見られて嬉しいです…』
というようなことを……」

そこで鷹通はぐっと唇を噛みしめ、思い出を振り払うように言った。
「すみません。思い出せたのはこれだけです」
「いや、鷹通の話は意義深かった」
泰明はそこで少し、首を傾げた。
「だが、確認したい。鷹通は宗主の前にいたと思う…と言った。
そして見えたのは宗主の双眸、だとも言った。
つまり、顔を見てはいないのか?」
「それが、はっきりしないのです。
何か覚えていてもよさそうなのですが、
少なくとも年老いた男のような感じはしなかった…としか」
「そうか…」

泰明は眼を伏せ、考える。
この矛盾を、どう解きほぐせばよいのだろう。

これまで、宗主と晴源が同一人物であることは、ほぼ間違いないと思っていた。
だが、晴源が出奔したのは、播磨洞宣が見習いだった頃。
それから少なくとも二十年は経っている。
ならば晴源は今、齢四十を過ぎているはず。

しかし、鷹通は老人ではないと言い、
街の女達は、宗主を若くて美しい、とまで形容した。

では、晴源と宗主は別人なのか。
だがそうであるならば、大津の宗主が安倍の禁術を使えるのはなぜか。

泰明が黙している間にも、話は続いている。

「宗主という方からは、何か恐ろしいものを感じます」
永泉は、陰陽勝負の時のことを思い出している。
「そうだよな永泉。オレもそう思うぜ」
イノリはカリッと爪を噛んだ。
「オレの子分がどうしてダマされたか、やっと分かった。
宗主に頼めば、病を治してもらえるし、憑き物も落としてくれる、
死んだ人にだって会わせてくれるって、街のヤツらが噂してたんだ。
それを信じて、子分のやつは宗主の所まで行っちまった。
変な術で、死んだ父ちゃんに会ったみたいで、
家に帰ってからは、そればっかり話してた」

「子供の心をもてあそぶなど、何とむごいことでしょう」
「知らないところで、大変なことが起きていたのですね…」
藤姫が、ぶるっと身震いした。
あかねが側に寄って、藤姫の小さな手を握る。

鷹通が毅然として顔を上げた。
「子供ばかりではありません。
人は…人の心は弱いものです。私もまた…」
鷹通は大きく息をつく。
「もう一度母に会いたいと思う気持ちが無い、と言ったら偽りになります。
けれど同時に、私は理解しました。
荘園から消えた人々に、宗主という人物が何をしたのか、ということを」

友雅が腕を組み、微笑んだ。
「強いのだね、鷹通は」
「いいえ、ただ私は事分けて考えただけです。
世を去った人々に会うなど、イノリの言う通り、あり得ないこと。
しかし、もし宗主が不可思議な術を施してそれを成していたのだとしても、
その行為は人として許されることではないと思うのです」
「許されぬ行為を以て殿上人に取り入り、街人の心をも掴んでいる、か。
宗主という男は、いったい何を企んでいるのだろうね」

それは皆が等しく感じる疑念であった。
だが泰明が、友雅の言葉を素っ気なく断ち切って言った。

「友雅、お前はなぜ神子を探していた」
「何だよ泰明、急に話を変えるなよ」
イノリがもっともなことを言う。
しかし泰明はにべもない。
「東の市に出向いてまで神子を探す。
切迫した理由がなければ、友雅がそこまでするとは思えない」
「そういえばそうだよな」
「確かに」
「あ、あの後、友雅殿は市に行かれたのですか」

あかねはにっこり笑っている。

皆から一斉に眼を向けられた友雅は、困ったね…とでも言いたげに眉を上げた。

ここは左大臣邸。
右大臣の名を迂闊に出すことはできない。
だが、大津の宗主が、思った以上に不穏な動きをしていることは
ここまでの話で明らかになった。

龍神の神子のことは、どこまで知られているのだろう。
そして、右大臣が大津の陰陽師との会見で、
人払いをして、さらに管弦の音で声も漏れ聞こえないようにしてまで
話していたこととは何だろう。
左大臣の牛車を怨霊が襲った件とは、果たして無関係なのだろうか。

友雅はあかねに微笑み返し、次いで笑みを納めて真顔になると、
ゆっくり口を開いた。

「あくまでも推量の域を出ないのだが、ここにいる我々の他に、
龍神の神子の存在を知り得る者がいる…かもしれないのだよ」

その言葉が雷のように皆を撃ったのを見、友雅はあかねに向かって言った。
「だから、用心に越したことはない。分かるね、神子殿。
もちろん、内密に警護はつけさせてもらう。これは帝からの下命でもあるのだよ」

驚いて眼をぱちくりしているあかねから眼を移すと、
泰明の険しい視線とぶつかる。

友雅に眼を据え、泰明は低い声で言った。
「神子のことを知りうる者、と言ったな。
答えろ、友雅。それは、大津の宗主か」

泰明の射るような視線を受け止め、友雅は頷く。
「その通りだよ、泰明殿」





右大臣はせわしなく動き回っている。
何しろ、祓えの儀式に関わる一切を取り仕切るのだ。
遺漏が無いのは当然のこと、万事が滞りなく進められなければならない。
この件では左大臣を蚊帳の外に追いやった。
あやつにうるさく口出しされぬのは幸いだ。
朝廷の皆々に我が器量を見せつけてやるにはよい機会というもの。

思わず顔が緩むが、人の気配に慌てて威厳ある表情を作る。
取り次ぎの者に案内されて、中務省の大輔が来た。
実際に儀式を行う陰陽師を束ねるのは陰陽寮。
陰陽寮が属しているのが中務省だ。

大輔には、我が下命を忠実に為してもらわねばならぬ。

右大臣は、懐から書き付けを取り出した。
そこには祓えを行う日取りが書かれている。

――はて、いつこれを受け取ったのであったか…。
一瞬疑念がよぎるが、頭を振ってそれを打ち払う。
確か…占いで嘉き日と出たゆえ如何…と大津の宗主が寄越したのだった。

「この日を儀式の日と定める」
「では直ちに、安倍晴明殿に占いを」
「いらぬ!」
大輔の言葉に、右大臣は不快感を露わに即答した。

「されど、大事な儀式。占うのは当然のことと…」
「安倍の占いなどいらぬ。すでに大津の宗主が占いをした」
「しかし儀式の吉凶はいつも晴明殿が」
「くどい! 此度の儀式を執り行うのは誰か」
声を荒げた右大臣に、中務の大輔はそれ以上言葉を重ねることができなかった。



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―― 花の還る場所 ――
第二部
1.惜春  2.師弟  3.怨霊  4.大内裏・前編  5.大内裏・後編
6.転変  7.兄と弟  8.疑惑  9.魔手  10.集う・前編
11.集う・後編  12.出奔  14.再会
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2009.09.18  筆