花の還る場所

11.妖 変


「そもそもの始まりは、桂の荘園での揉め事でした。
管理を任せていた家司から、報せが入ったのです。
田畑の耕作を怠ける者が次々に現れ、中には姿を消してしまう者もあるとか」
鷹通は姿勢を改め、きちんと端座して泰明と友雅に向かい合っている。
落ち着いた口調、礼儀正しい言葉遣いはいつもの鷹通だ。
どこにも変わったところはない。

だが、鷹通と泰明、友雅の間には、まるで両者を分かつかのように、
友雅の剣が抜き身のままに置かれている。

鷹通はその剣から眼をそらしたまま、話を続けた。

――― 荘園を出奔する者が一人ならず出たという報告は、
捨ておける類のものではない。
風邪気味で伏せっていた父に代わり、治部省の勤めを休んで鷹通は桂に向かった。

そこで見た様子は、想像以上のものだった。
種や苗の植え付けで忙しいはずのこの時期に、全く人のいない田畑があるのだ。
手入れをされないまま、そこには雑草ばかりが生い茂っている。

その土地を通る水路は半分土に埋まって、水が下の方の田畑に流れていかない。
水がなければ、耕作はできない。

このままでは、鬼が四神を奪い、京に日照りをもたらした時と同じ事が起こる。
鷹通は荒れ果てた畑に足を踏み入れ、ひび割れた土を手に取った。
それは形を保つこともできず、ぱらぱらと手からこぼれ落ちていく。

最初のいさかいが、水を巡るものだったことは、
管理に当たっている家司の説明を待つまでもなく、
容易に想像できた。

しかし耕作を放棄した者は、近隣の者達に囲まれ、怒りを向けられても何も答えず、
ただぼんやりと微笑んだまま、日がな一日何もせず家にこもったきり。
そしてある日、ふらりと出かけて戻ってこなくなるのだ。

それが一人や二人の内は、物の怪にでも取り憑かれたか、と
誹り半分に囁かれたものだったが、立て続けに同じ事が起こるとなれば、
さすがに放っておくことはできない。
真面目に働いている者達の間にも動揺が広がっている。

家にこもった者を引きずり出して、厳しい見せしめを…と
さかんに言い立てる家司を、鷹通は押しとどめた。
「まずは、理由を聞いてみなければ」と。

「話の通じる者達ではありません」という家司の言葉を背に、
鷹通が村に足を踏み入れると、そこは異様な雰囲気に支配されていた。

時折見回り来る鷹通のことは、皆が知っている。
荘園領主の息子という身分であるのに、
困り事があれば親身になって相談に乗ってくれ、
争い事には公平な判断を下す鷹通は、
村人から全幅の信頼を寄せられているといってもいい。

田畑で仕事に精を出す村人が、鷹通の姿を見つけ駆け寄ってきた。
そのうちの一人が、思い切って口を開く。
「やっと来て下さいましたか。わしら…どうしていいか…」
おろおろしながら次の言葉を探しあぐねているの男の肩に、鷹通は手を置いた。
「落ち着いて下さい。そのために私は来たのです」
男はやっと、小さく息をついた。
「ああ…そうです。藤原様なら、きっとわしらを助けて下さる…」
「田畑はかなり酷い様子ですね。しかし、原因が分かりません。
家にこもったきりの人に、これから話を聞きに行くのですが、
あなたには何か心当たりがありますか?」

男はふいっと横を向き、家司と同じことを言った。
「あんなやつと話したって、何も」
同意の声が周囲から上がる。
「どうして、そのように決めつけるんです!」
鷹通の大きな声に、男はひっと身をすくめた。
そして、口惜しそうに付け加えた。
「…人のいいやつだったんです。この間までは。
藤原様になら、何か答えるかもしれません」

それだけ言うと男は深々と頭を下げ、他の村人も畑仕事に戻っていった。

鷹通が訪れたのは、竹藪を背にした粗末な小屋。
付き従っていた武士が先に入り、中を改めてから鷹通を招じ入れた。
土間に筵を敷いただけの小屋は、何かを隠すこともできないほど狭い。
その小屋の真ん中に、この屋の主が膝を抱え、
膝小僧に頭を埋めるようにして座っている。

「藤原様ぞ! 頭を上げよ!」
武士が大声で呼ぶと、男はゆっくりと顔を上げた。
その顔には、たゆとうような笑みがある。

鷹通は男の前に膝を付き、静かに話しかけた。
「藤原鷹通です。私が分かりますか?
この村の異変を調べているのです。ぜひ協力して頂きた…」
鷹通は言葉を切った。男の視界に入っているはずなのに、その目は鷹通を見ていない。
まるで心が肉体から切り離されてしまったかのようだ。
話が通じない…とは、このことだったのかと悟る。

しかし、何か糸口があるかもしれない。
鷹通は辛抱強く言葉をかけ続けた。
「この村の人が、何人かいなくなっています。
あなたも、どこかに行きたいと思いますか?」
と、男がぼんやりとした声で答えた。
「行く…もう一度…」
「もう一度? ではそこには以前、行ったことがあるのですね」
男は口をつぐんだ。
「そこへもう一度、行きたいのですね」
男は茫洋とした顔のままうなずいた。

そういえば…
その時、鷹通は気付いた。
昨年村に来た時、この男はお腹の大きなおかみさんと一緒ではなかったか。
だが、小屋には女子供の気配はなく、すえたような男所帯の臭いしかない。
何があったかは、察しがつく。珍しいことではないのだ。
それでも、鷹通は心が痛んだ。恰幅のいい元気なおかみさんだったのに…。

鷹通は詫びた。事の異様さに気を取られ、相手への当然の思いやりさえ忘れるとは。
「申し訳ありません。先に…事情を尋ねるべきでした。
さぞ、お寂しいことと思いますが、どうか…」

と、男が笑った。
「ややこは…」
しかし言葉の続きは、ぶつぶつとした呟きの中に消える。

その後は何度話しかけても、身体を揺すっても、男はもう何も答えなかった。





小さな川に沿った山間の村に、夕暮れが訪れた。

村はずれの廃屋のような小屋の前で、
痩せた女が暮れゆく光に紙をかざし、
そこに書かれた言葉に繰り返し目を通している。

「あんた、字が読めたのかい?」
通りかかった女が、驚いたように声をかけた。
「少し…ほんの少しだけです」
痩せた女は首を振って答える。

やがて空が薄墨色になり、文字が追えなくなると、女は丁寧に文を閉じた。
家に入る女の顔には、静かな喜びの表情がある。

あの子も、貴重な紙を使わせてもらえるようになったのね。
やっと術も使えるようになったから、と書いてあるけれど…

女は何年も前の別れを思った。

――『顔を上げよ。子供は預かる』
あの日から、ずいぶん時間がかかったものだと思う。
だが、間違いなくあの子は成長している。

辛いこともあっただろうに、心優しく…。

―― ぼくが一人前になったら、
お母さんも京に来て下さい。

ありがとう……。
その心だけで、私は幸福です。

炉に小さな火を熾し、あたたかな炎を見つめる。

だが次の瞬間、その炎は黒く揺らめき、消えた。

思わず懐を抑え、ぎこちない動きで振り返ると、
手を伸ばせば届く距離に、男が一人、座している。

女と見まごうばかりの白く美しい顔に、切れ長の瞳。
その瞳は、白い顔にくっきりと描いた闇の裂け目のようだ。

声もない女に、男は微笑みを浮かべた。
「久々の訪いに、挨拶も無しか…?」
そして形のよい唇が、冷たく歪む。
「お前は老いた。
もはや彼の(ひと)の面影など、 どこにも宿してはおらぬ」

女は喘ぎながらも、精一杯かすれた声を出した。
「歳月と共に全てが変わる…それが人の世の理ではありませぬか…」

闇色の眼が細くなった。
「無駄口はよい」

女の声が途切れた。
聞こえるのは、女の喉を通るひゅうひゅうという息の音だけ。

「私はお前に会いに来たのではない」

男は立ち上がった。
女を見下ろし、その懐の文に気付く。
男が手を差し伸べると、文は糸に引かれるように、その手の中に収まった。

女が文を取り返そうと男にむしゃぶりつくと、男は無造作に腕を横に振る。
女の細い身体が宙を飛び、壁に叩きつけられた。
それを見ようともせず、男は文を開いた。
蛍火のような光が中空に現れ、文面を照らす。

「お前は……」
男は文を閉じると、女に闇色の眼を向けた。
そこに表情を読むことはできない。

「あの…晴明に……」

男は、うつぶせに倒れたままの女に足をかけ、ごろりと返した。
仰向けになった女の眼に、涙が一筋流れる。

「浅茅を……私の子を…預けたというのか」



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―― 花の還る場所 ――
プロローグ  1.陰陽勝負・前編  2.迷子  3.陰陽勝負・後編
4.裁定  5.惑い  6.夢魔  7.宗主  8.治部少丞の不在
9.蠢くもの  10.月影  12.右大臣  13.童子  14.露顕

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2009.02.14  筆