花の還る場所

13.童 子


「異界?
およそ不可思議とは縁のない鷹通の口から、そのような言葉が出るとはね。
しかし、だからこそ、信じぬわけにはいくまい」

友雅の言葉に、鷹通はほっとしたように、大きく息をつく。
しかし泰明は、安堵の吐息を遮るように、顔色一つ変えずに問うた。

「夜霧の中で五彩に輝く水面とは、確かに常ならぬ光景だ。
だが、それだけで異界とまで言うことはないはず。
鷹通は、さらなる不思議を見たのだろう。
信じるかどうかは、全ての話が終わってから判断する。
今は、続きを話せ」

「は…はい……」
鷹通は言い淀む。
「ここまできて、どうしたのだね」
「友雅」
泰明は友雅の腕を押さえ、眼で友雅の剣を指し示した。
鷹通と二人を隔てるようにして、抜き身のまま置かれた剣。
鷹通の懇願にあえて逆らい、そこに置いたものだ。
友雅は黙って頷く。

話の筋道をはっきりと立てながら理路整然と語る鷹通が、言い淀む。
それは、話が核心に迫っているからに他ならないはず。

友雅は笑みを浮かべたまま、泰明は無表情なまま、鷹通の次の言葉を待った。
いつもと変わらぬように見えて、その実、一瞬の動きにも反応する体勢にある。

「……確かに、ここで話を止めたら、何の得るところも無いでしょう。
けれどこの先のことは、私自身、記憶が少し…曖昧というか、混乱しているのです。
不正確なところがあるかもしれないことを、お含み置き下さい」

―― 水面がどこまで続いているのか、鷹通のいる場所からは見当もつかない。
水の淡い輝きと白い空は、まるで繋がっているかのようだ。

その時鷹通は、追っていた男の姿を見つけた。
男は水に腰まで浸かりながら、遠くへと進んでいく。
「危ない! 戻るんだ!!」
しかし鷹通の叫びが男の耳に届いた様子はない。
あるいは、聞こえていて素知らぬふりをしているのか。
いずれにせよ、このままでは男が溺れてしまう。

鷹通は夢中で水の中に足を踏み入れた。

ひた……
鷹通の足に、不思議な感触がまとわりつく。

「な…何だ? これは…」
ただの水ではない、と直感するが、今は男を助けることが先決。
鷹通はがむしゃらに水をかき分けて進んだ。

しかし、もう少しで男に追いつく…そう思った時、突然水面が波立った。
眼も彩な波が、めまぐるしく色を変え、魚のように飛び跳ね、
空中を五彩の霧で満たす。

男は感極まったように両手を高く振り上げ、波の中心に立った。
その瞬間、男の姿が消え、同時に五彩の水も消え去る。

突然襲い来た闇に眼が慣れると、鷹通がいるのは、暗い夜の池だった。
我に返り、周囲を見回し、夢でも見ていたのかと思う。
しかし、自分が胸近くまで水に浸かっていることも、
水を含んでずっしりと重い直衣も現実。

追ってきた男は、眼の前で消えてしまった。
深みに足を取られて沈んだわけではない。文字通り、消えたのだ。
他の村人たちにも、同じことが起きたのだろうか。

思案しながら岸に向かおうとした時……

「彩なす水に迎えられるとは」
「あなたは稀なるお方」

言葉とは不釣り合いな、愛らしい子供の声がした。
振り向くと、そこには無邪気な笑みをたたえた童子と童女。
年の頃はまだ六、七歳というところか。

しかし、鷹通が驚きのあまり息を呑んだのは………
「彼らは、背に後光を纏い、
水の…上に並んで…立っていた…の…です」

苦しげに言葉を絞り出した鷹通が、前触れもなく動いた。
見えない糸にぐいっと引かれたように、
凄まじい速さで友雅の剣に手を伸ばし、掴む。
しかし泰明も友雅も、鷹通のするままに見ている。
鷹通は何の躊躇いもなく、剣を引き寄せざま自分の首に刃を向けた。
その刹那、友雅が剣を払った。
鷹通の腕は、まるで凍り付いたように動かない。
カラン…と音がして、弾き飛ばされた剣が床に転がる。

鷹通のこめかみに汗が流れた。
「大丈夫かい、鷹通」
「うっ…ううう…」
友雅が揺さぶるが、鷹通は言葉を失ったかのように呻くだけだ。

「話しかけても無駄だ、友雅」
泰明は首にかけた数珠を外し、鷹通に向けた。
「案じていたが、やはり鷹通は呪詛を受けている」
「やはり…? 泰明殿には察しがついていた、ということかな」
「あくまでも、推測の域だった。
だから、鷹通が何をするか見極めなければならなかった」
「やれやれ、それでぎりぎりまで鷹通の動きを見ていたというわけか」
「それは友雅も同じだろう。
友雅ならば、鷹通が剣を取る前に止めることはできたはず。
だが、それをしなかった」

友雅は眉を上げて少し微笑み、すぐに真顔に戻る。
「その呪詛、泰明殿なら解けるのだね」
泰明は小さく頷いたが、鷹通に向けた数珠を繰りながら眉をひそめた。
「……魂と魄に、捩れた楔が打ち込まれている」

泰明によって動きを止められた鷹通は、苦しげな表情を浮かべたまま、
視線を宙にさまよわせている。
泰明は呪符を二枚取り出すと、まじないの言葉を唱えた。
呪符に描かれた紋様が、左右対の形に光り出す。
「うああああ!!」
鷹通が叫ぶ。
泰明が呪符を突きつけると、鷹通に触れたと同時に激しく燃え上がり、
灰も残さずに燃え尽きた。

ゆっくりと、鷹通が前のめりに倒れる。
屈んで受け止めた泰明は、友雅を振り返った。
「終わった」





「お願いだよ、父ちゃんに会いたいんだ」
土と埃にまみれた汚い童が、だだをこねている。
垣を乗り越えて入り込んだところを見つかったのだが、
全く悪びれる様子はない。

「勝手に潜り込むとは、とんでもない子供だ」
「ねえ、宗主様ってのに会わせておくれよ」
「宗主様は子供にはお会いにならないと、何度言えば分かる」
「家はどこだ。早く帰れ」
白装束の男二人がつまみ出そうとするが、童はすばしっこく逃げ回る。

「おいら知ってるんだぞ。
ここの宗主様に頼めば、死んだ父ちゃんに……うわっ!!」

童が、軽々と宙に持ち上げられた。
後ろに現れたもう一人の男に、帯を掴まれたのだ。

「子供一人に、何を手間取っている」
男に叱責され、白装束の二人は決まり悪そうにしている。
「意外とすばしっこいやつなのでな…」
「子供相手に乱暴なこともできぬだろう」

「離せ!」
童はじたばたと暴れているが、宙づりになったまま下ろしてもらえない。
と、男は子供をぶら下げて、踵を返した。

「おい、どこへ行く」
「外に放り出すんじゃないのか」
男はうっそりと答えた。
「宗主様が騒ぎを耳にして、童の話を聞いてやろうと言い出したのだ」

「わあい! 本当か!
やっぱり、宗主様っていい人なんだな」

童は、大喜びでつり下げられたまま行ってしまった。

その場に残された白装束の二人は、やれやれと言ったように、顔を見合わせる。
「宗主様は欲のないお方だ。
あのような童、願いを叶えてやったところで、何の返礼もできぬのに」
「全くだ。貧しい者からは一切礼を取らないのだからな」
二人は周囲を見回した。
「貴族達から、たいそうな寄進を受けるようになったというのに、
立派な屋敷を建てることもしないとは」
「そのおかげで、お屋敷とは言っても、粗末な網代を編んだ垣しかないのだからな。
だから子供にまで、簡単に潜り込まれるのだ」
「だが、宗主様がお戻りになる前のことを考えれば」
「ああ、今は我が世の春だ」
「いや、これから大津はますます栄えるのだ」
二人は声を揃えて笑った。





「もう、鷹通は心配ないのだね」
「この術を使うのは初めてだ。だが、できることはやった」
「泰明殿がそのように言うとは、よほど強い呪詛だったのだろうか」
珍しく泰明が次の言葉をためらった。
「……友雅…」
「曰くありげだが、何かな」
「私がこれから言うことは、口外しないでほしい。
確証があるわけではないのだ」
「だが、私が知っておいた方がよいかもしれないことだというのだね」
泰明は目顔で頷き、口を開いた。

「鷹通にかけられた呪詛は……安倍家のものだ」
「……そのようなことが…」
友雅は絶句する。
「これを知っているのはお師匠と、他には僅か数人のみ。
もちろん、絶対に使ってはならぬ禁忌の術だ」
「だが、使った者がいるのは事実なのだね」
「そうだ。私はこれからすぐに戻り、このことをお師匠に知らせなくてはならない」

友雅は腕を組んだ。
「確かに、うかつに口にしてよいことではないね。
だが、教えてくれて感謝するよ、泰明殿」
「感謝は必要ない。友雅が口外しなければ、私はそれでよい」
「私の感謝ではあまり役に立たないかもしれないか。
では、私からも泰明殿に一つ、伝えておこうか」
泰明は眼を上げ、友雅を見た。
「鷹通のことか?」
「今の鷹通と同じことをして、哀れにも命を落とした男のことだよ」
「同じ?」
「その男が亡くなったのは、陰陽勝負の日、
そしてその男は櫃の中の物を用意する役目だった」

「う…ううん…」
その時、鷹通が眼を開いた。
「友雅殿、泰明殿! 私は…」
肘をついて身を起こそうとするが、すぐに倒れてしまう。
「無理せず、楽にしているといいよ」
「鷹通は強い呪詛を受けていた。しばし休む必要がある」

鷹通は拳をぐっと握りしめた。
「呪詛が…私に?」
「驚くのも無理はない。だが、安心していいよ。
泰明殿が呪詛を解いてくれたのだからね」
床に横たわったまま、鷹通は感謝の眼を泰明に向けた。
「泰明殿…ありがとうございます。
やっと…暗い道から抜け出たような気持ちです」

しかし泰明は素っ気なく、先ほどからの話の続きを促した。
「気分がよければそれでいい。
水の上に立つ二人の童は、その後どうしたのだ」
友雅が苦笑しながら、取りなすように言う。
「泰明殿、そう急かせるものではないよ。
ついさっき、話をしようとして恐ろしいことが起きたのだからね。
どうだね、鷹通、話を続けることができそうかな」

鷹通は大きく息を吸い、きっぱりと言った。
「私の体験したことが、果たして夢なのか現実なのか、
今以て曖昧なままですが、眼を背けることはできません」
「そうか」
「では、お願いしよう」

「横たわったままで、失礼します」
礼儀正しく前置きした後、鷹通は再び語り始めた。

「童の形はしていても、彼らが人であるはずがありません。
けれど、消えてしまったあの男と、何らかの関係があることは明らかです。
そこで私は問いました。
『ここは、桂の里なのでしょうか』
彼らは答えました。
『桂は現の名』
『だがここは現ではない』

『あなたがたは何者ですか』
『ここを住み処とし』
『ここを司るもの』

『消えてしまった人は、桂の里の村人なのです。
あなたがたが消したのですか』
すると、二人は揃って首を振りました。そして
『稀なるお方よ、あなたは問うばかり』
『名乗られよ。ならば答えよう』
『すみません。驚きの余り礼を失してしまいました。
私は藤原鷹通。私の家は、桂の荘園を所有しているのです』

と、童子と童女が、くるりと私に背を向けました。
そのとたん、二人は……白髪の老人になっていたのです…」

鷹通は言葉を切り、荒くなった息を鎮めた。
友雅と泰明は、微動だにせず、次の言葉を待つ。

「彼らは、しわがれた声で言いました。

『お連れしましょうぞ』
『宗主様の元へ』……と」



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―― 花の還る場所 ――
プロローグ  1.陰陽勝負・前編  2.迷子  3.陰陽勝負・後編
4.裁定  5.惑い  6.夢魔  7.宗主  8.治部少丞の不在
9.蠢くもの  10.月影  11.妖変  12.右大臣  14.露顕

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2009.03.13  筆