浅茅が眼を開けると、心配そうな先輩の顔があった。
同い年だが、浅茅より何年も前から修行を始めている先輩だ。
――いけない、ぼく、寝坊しちゃったんだ!
慌ててぴょこんと起き上がり、ぐるっと周りを見る。
いつもの自分の部屋だ。でも、何だかおかしいと思う。
朝にしては、外が明る過ぎる。
そこまで考えて、一気に記憶が蘇った。
そうだ、ぼくはあの時……
「おい浅茅!大丈夫なのか?」
先輩が乱暴に浅茅を揺すった。
「お前、道端に倒れてたのを、運びこまれたんだぞ。
何かあったのか?具合が悪いのか?」
「あ…ああ…ぼく…」
浅茅は口ごもったが、
さっきのような変な気分は、きれいさっぱり消えている。
先輩にこれ以上心配かけたらいけない。
「何でもありません。大丈夫です!」
浅茅は元気よく答えた。
はあっと、先輩はため息をつき、次に恐い顔になる。
「ったく、心配させるな、じゃなくて、人騒がせなことするなよ!」
「は、はい…すみません」
その時浅茅は気がついた。
「あ! 掃除と水汲み!!」
「水は汲んだ」
「え…?」
先輩はそっぽを向いて言う。
「みんな困るだろ?だから、やっといた」
「あ、ありがとうございます!!」
「掃除はちゃんとやれよ」
言い捨てて、先輩は出て行こうとした。
その時、母屋の方が騒がしいのに気付く。
「何かあったんですか?」
浅茅の問いに、先輩はむすっとした顔で答えた。
「今日の勝負のこと、お師匠様へ報告が済んだんだろう。
みんなが取り囲んで、いろいろ聞いてるみたいだ」
そうか、泰明さん達、もう帰ってきていたんだ。
「内裏の術比べってどんなだったんだろうなあ、後でぼくも聞いて…」
苛立った声が返ってくる。
「何のんきなこと言ってるんだよ。引き分けだったみたいだぜ」
「え?」
浅茅は耳を疑った。
勝負には泰明さんが出たはず。それなのに……引き分け?
もぞり…
何かが浅茅の中で動いた。
どきんとして、浅茅はお腹を押さえる。
でも、お腹の中じゃない。胸の辺りでもない。
身体の奥の奥……。どこなんだろう……。
外を見ている先輩は、浅茅の様子に気付かないまま話し続けた。
「みんな揃って不機嫌な顔して帰ってきたんだ。
勇気のあるやつが『負けたのか』って聞いたら、
凄い目で睨まれて、『負けるわけがないだろう!』って怒鳴られたんだ。
でも勝ったんなら、あんな口惜しそうな様子をするわけないだろ。
だから、引き分けたんじゃないかって、もっぱらの噂なんだ」
泰明さんがいたのに?
どうして……?
相手方に、そんなにすごい人がいたんだろうか。
そのような陰陽師といえば、浅茅は二人しか知らない。
お師匠様の晴明様と、
あの暗い洞窟の奥にいた、泰明さんとそっくりな晴咒という人。
「じゃな、話聞いてくる。
お前は早く掃除終わらせろよ。日が暮れちまうぞ!」
先輩はそう言うと、走っていってしまった。
不機嫌な兄弟子さん達には近づかない方がいいのに……。
先輩の後ろ姿を見送りながら、浅茅はぼんやりと考えた。
泰明さんは不機嫌そうに見える時と、不機嫌な時があるけど、
今日は間違いなく不機嫌なんだろうな。
何があったんだろう……。
もぞり……
再び何かが蠢いた。
くるくると頭を回してみる。
ぴょんぴょん跳ねてみる。
逆立ちしてみる。
両手をぶんぶんと振ってみる。
何でもない。
さあ、掃除をしよう!!
浅茅は気にしないことにした。
――何のために、あのようなことをしたのでしょう。
あの、大きな力は誰のものなのでしょうか。
内裏から退出し、帰りの牛車へと案内されながら、
永泉は先程の陰陽勝負のことを繰り返し考えている。
第三の櫃が開かれた時、皆は穢れが持ち込まれたと騒いでいた。
永泉もその言葉を鵜呑みにして、恐ろしいと思ったのだ。
しかし、どこか不自然なものが感じられた。
なぜだろう……。
突き詰めれば、この問いになる。
子鹿は、死んでいたのだろうか、と。
そして、永泉には分かるのだ。
あの大津という陰陽師達の後ろに、大きな力が働いていた。
赤い球を出現させたのは、仰々しく振る舞っていた男ではない。
ましてや、あの男に泰明の術をはね返せるはずもないと。
だが、子鹿が死から蘇ったのを目の当たりにした朝廷の者達は……
その力に感極まって歓喜の声を上げていた。
永泉には、それが何より恐ろしい。
その時永泉は、遠くに友雅の姿を見た。
突然あらぬ方へと急ぎ足で歩き出した法親王を、
側近達が慌てて止めにかかる。
「友雅殿! お待ち下さい!!」
懸命に叫ぶ永泉の後ろを、
「法親王様! お待ち下さい!!」
側近達が追いかけていく。
陽が傾いている。
家路を急ぐ泰明の顔には、常の如く表情はない。
家の前に来ると泰明は足を止め、首を傾げた。
――扉に残るこの気は……イノリが来たか。
かすかな術の気配もある。
未熟なこの術は……浅茅だ。
また人前で式神を呼んだのか。
二人はあきらめて帰ったようだが、一応
………祓っておこう。
泰明は浄めの呪を唱えた。
そして、家を出る時に施した結界に異変の無いことを確かめ、
門をくぐる。
「今帰った、神子」
いつものように帰宅を告げるが、桜の木の下にあかねはいない。
「神子っ!」
しかしすぐに小さな声で返事がある。
「お帰りなさい、泰明さん」
「神子!!」
信じられぬものを眼にして、
泰明は簀の子に座っているあかねに駆け寄った。
何と、あかねの膝で、もう一人の泰明…留守居の式神が
すやすやと眠っていたのだ。
あかねを守るために置いていった、犬の形の式神だ。
結界を張ったとはいえ、それでも不測の事態が起こるかもしれない。
ただの犬と侮られぬよう、泰明自身の姿を模すように術までかけた。
それが、帰ってみれば……。
「泰明さん、どうしたんですか?」
仏頂面の泰明に、あかねは不思議そうに言った。
「私のことはいい。神子は大事なかったか」
「はい、大丈夫ですよ。今日は泰明さんに言われた通り、
どこにも出かけなかったし、誰も来ませんでした」
あかねはにっこり笑う。
「お天気もよくてあたたかくて、静かな一日でした」
「そうか。ならばよかった」
泰明も微笑んだ。
「しかし…」
泰明は仏頂面に戻る。
「これの体たらくは何だ」
「大きな声を出すと、式神さんが目を覚ましちゃいますよ。
せっかく気持ちよく眠って…」
「神子を守るための式神が、神子に気遣われてどうする」
にこっ。
「静かな日だったんですから、問題ないですよ」
「これが問題ないというのか?」
そう言うなり泰明は式神に手をかざした。
ぼわん!!
式神の姿が元に戻る。
くぅん…?
目を覚まして尋ねるようにあかねを見上げた式神は、
自分に注がれる恐ろしい視線にやっと気がついた。
きゃういいいいいいん!!
飛び退こうとした式神を、まるで猫の背を掴むように
泰明は捕らえた。
大きな式神をぶらんと目の高さまで持ち上げる。
「何か言うことはあるか」
泰明の眼光に圧され、式神はやっと弱々しいかすれ声を出した。
「くうんくうん…(いいえなにもありませんすみませんごめんなさい)」
「泰明さん、叱らないで下さい。
式神さんは何も悪いことしてないんですよ」
そう言うとあかねは、式神の前足を握り、頭を撫でた。
「今日一日、ありがとうございました、式神さん」
「くぅん…きゅぅ…」
嬉しそうな式神の声が途切れた。
きゃわーーーーーーん!!
泰明に投げられて、式神は塀の外へ飛んでいく。
「自覚するべきだ、神子。以前にも言わなかったか。
式神は式神。決して人ではないと」
「そんな…、あれじゃかわいそうですよ!
何か式神さんが悪いことをしたんですか?」
「した」
泰明はくるりと振り向くと、あかねを抱きしめた。
「え?…泰明さん?」
「神子、神子……神子…」
「泰明さん、…どうしたんですか…」
泰明の腕の力が、苦しいぐらいに強くなった。
そしてあかねの存在を確かめるかのように、髪に頬を押し当てる。
「……神子…神子…」
――何か、あったんだ。
こんな時の泰明さんは……辛いんだ。
「泰明さん…」
強い力で抱きしめられたまま、
あかねはそっと顔を上に向ける。
「神子……」
あかねを見つめる泰明の瞳には、深い惑いの色があった。
―― 花の還る場所 ――
プロローグ
1.陰陽勝負・前編
2.迷子
3.陰陽勝負・後編
4.裁定
6.夢魔
7.宗主
8.治部少丞の不在
9.蠢くもの
10.月影
11.妖変
12.右大臣
13.童子
14.露顕
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今回は少しコミカルな風味でまとめてみました。
最後のわんこな式神さんの災難?なエピソードは、
「お留守番(泰明編)」と、こっそり繋がっています。
別に繋げなくてもいいのですが、
管理人の道楽みたいなものですので(笑)。
このSSを書いた頃から漠然と構想していた話が、
やっと形になり始めています。
道は長いけど、泰明さんの話を書いているだけで幸せなので、
楽しくがんばります。
2008.11.15 筆