花の還る場所

8.治部少丞の不在


「おや、少丞殿はまたいないのかな?」
「これは、左近衛府少将殿。
わざわざお運びいただき恐縮です」
治部省を訪れた友雅を、鷹通の同僚が出迎えた。
鷹通とどことなく雰囲気の似た、礼儀正しい若者だ。
「先日もお見えになりましたが、急ぎの御用でしょうか?」
「いや、しばらくご無沙汰していたのでね、
たまには一献…と思ったのだよ。ではまた後で来るとしようか」

しかし若者は、すまなそうに答えた。
「それが…その…少丞殿は今日もお休みされているのです」
「ほう、仕事の虫にしては珍しいね。
どこぞの美しい女人の元にでも通って……
はは…そのようなことはないか、あの鷹通に限ってはね」
友雅の軽口に、若者はひきつった笑いを浮かべた。
その表情を見た友雅の眉が上がる。

「鷹通の欠勤に、何か仔細があるのかな?」
「い、いいえ。別にそういうわけでは…というか…」
「そのように言われると、余計聞きたくなるものだが」
「そ、それが…その…あの…」
「やれやれ、鷹通に影響されたのかい、若いのにずいぶん真面目なことだね。
そのように素直にうろたえられると、私がまるで悪者のようだよ」
「い、いいえ、少将殿を、決してそのような、あのその…」

友雅はいたずらっぽく笑って扇を広げ、口元を隠しながら耳打ちした。
「ここだけの話…ということにしておこう。
なに、私は仕事柄、とても口が堅いのだよ。
安心して打ち明けてはもらえまいか」

信じられない!と思いながらも、相手はあの「名高い」橘少将。
真面目一方の若者は、それ以上抵抗できなかった。

「実は……その……というわけで…」
「ほう?桂の荘園で…?」
「はい……厄介なことに……、あ、どうかこのことはご内密に。
自分の家のことで余計な心配はかけたくないからと、仰っておりましたので」
友雅は心得たというように頷いてみせた。
「まあ、鷹通のことだ。うまくやっているだろう。
揉め事の仲裁は天職みたいなものだからね。
実は、左近衛府で仕事をしてもらいたい、と思うくらいなのだよ」

若者は慌てて叫んだ。
「こっ困りますっ! 戸籍の管理も、少丞殿の才を生かすお仕事!
勝手に連れて行かないで下さい!!」

「ははは、ただの戯れ言だ。気にすることはないよ。
しかし冗談を真に受ける所など、やはり鷹通の影響かな」

焦りまくる若者を残して、友雅は治部省を後にした。

さて、酒でも酌み交わしながら、少し話したいと思っていたのだが、
どうしたものか……。
勤めに戻るか、気の利いた女房殿のところに顔でも出すか。

陰陽勝負のことは鷹通も聞き及んでいるはずだ。
冷静に、理詰めの考え方のできる鷹通ならば、
その場にいなかったからこその見方ができるのではないか、と
友雅は考えている。

しかし……勤めをもう四日も休んでいるとは。
荘園の人々から信頼され、慕われている鷹通が、
やけに手間取っているものだ……。





「鷹通はいないのか」
友雅が帰って間もなく、いきなりぶっきらぼうな声がした。

さんざん友雅にからかわれて、まだ心の乱れている鷹通の同僚が、
再び真面目に応対に出る。
「申し訳ありません。少丞殿はお休みされているのです」
「そうか、では自分で調べる」
「わっ!お、お待ち下さい。勝手に入られては困ります」
若者は慌てて止めようとするが、男はかまわずんずんと歩き出した。
着物の袖を掴むと、凄い力でそのまま引きずられてしまう。
友雅のことは知っていても、若者は泰明とは初対面だ。
「御用の向きを言って下さい。そうしましたら、私が…」
「問題ない。籍の台帳を確認したいだけだ。
どのように分類整理されているのか分かれば、すぐに目当てのものは見つかる」
「いけません!規則です!少丞殿のお留守、私がしっかり守らねば!!」

いきなり泰明が立ち止まった。若者は勢いよく転倒する。
「い痛たたた…」
腰を押さえて起き上がった若者の目の前に、書き付けが突き出された。
「規則か。ならばこれが要るか」
受け取って目を走らせると、それは陰陽師・安倍晴明からの依頼状。
「こ、こういうものは、最初から見せて下さい」
恨みがましい目で、若者は泰明を見上げた。
「紙のやりとりなどしないですめば、その方が無駄がない」
「こっ戸籍は、国の大元です! 大切に管理しなければ!と
少丞殿に教わっております」

「ん?そういえば、鷹通は休み、と言っていたな。
理由は何だ」
若者はため息をついた。
なぜ今日は同じ事ばかり尋ねられるのだろう。
しかし、少丞殿から口止めされていることだし、
毎回その約束を破るわけにはいかない。
「何も伺っておりません」

と、泰明の瞳がかすかに光った。
若者の口の前に指を立て、小さく呪を唱える。

ほどなくして、泰明は治部省を出た。
その背をほっとして見送る若者には、鷹通について話した記憶はない。
それが、真面目な若者にとっては、せめてもの慰めか。
泰明の威圧感に、それまでろくに仕事が手に着かなかったのだから。
しかし、若者には泰明の目的が分からない。
泰明の読み進める速さは尋常なものではなかった。
内容を把握するなど、できるはずがない……。
若者は再びため息をつくと、仕事に戻った。

泰明自身はといえば、その若者のことはもう心にない。
一目見れば、内容などすぐに読み取れる。
目当てのものは探し出せた。
それよりも、かすかに引っかかるもがあるのだ。

泰明の家には、八葉がしばしば訪れる。
―――いや、しばしば、ではなくほぼ毎日だ。

あかねが優しくしすぎるからだ。
―――だが、それであかねが嬉しいならば、がまんしてもよい。

つい先日のことだ。
「神子、その本はどうした?」
「鷹通さんが貸してくれたんです」
「………家にある本では不足か」
「漢字ばかりで難しくて…。他の本は、字がくずしてあって読めないし。
なので、易しい子供向けの本を貸してもらったんです」
「学ぶ必要があるなら、私が神子に教える」
「忙しいのに、いいんですか」
「問題ない。この本、鷹通に早く返せ」
「はい。でもあの、続きも貸してもらうことになってるんですけど…」
「何か? 神子」
「昨日、持ってきてくれるはずだったんです。
でも鷹通さんは来なくて、連絡もないんです」
「神子との約束を破るとは、以ての外。
だが……義理堅い鷹通にしては、珍しいことだ」
「具合でも悪いのかなあ…」

―――二条の邸に行ってみるか。
杞憂に終わるなら、それはそれでよい。
その時は神子に、心配する必要はない…と知らせることができる。

泰明は朱雀門に向かった。

朝堂院前の広場まで来た時、門から一人の男が入ってきたことに気付く。
同行しているのは二人の貴族だ。

泰明の視線に、向こうもこちらを見る。
先日の陰陽勝負で、大津の者達を率いていた男だ。
盛んに話しかける貴族に、男は鷹揚に頷いている。

門に向かう泰明と、門から入ってきた男。
両者の距離が近づく。
午後の広場に小さなつむじ風が起こり、乾いた土埃がくるくると上がった。

風に巻き込まれ、二人の貴族は顔を覆う。
泰明と男は、構わず歩いていく。
すれ違い様に、視線がぶつかった。

だがそれは一瞬のこと。

無言のまま、足を緩めることもなく、
何事もなかったように、両者は別れた。




次へ





―― 花の還る場所 ――
プロローグ  1.陰陽勝負・前編  2.迷子  3.陰陽勝負・後編
4.裁定  5.惑い  6.夢魔  7.宗主
9.蠢くもの  10.月影  11.妖変  12.右大臣  13.童子  14.露顕

[花の還る場所・目次へ]   [小説トップへ]



2008.12.17  筆