「おや、少丞殿はまたいないのかな?」
「これは、左近衛府少将殿。
わざわざお運びいただき恐縮です」
治部省を訪れた友雅を、鷹通の同僚が出迎えた。
鷹通とどことなく雰囲気の似た、礼儀正しい若者だ。
「先日もお見えになりましたが、急ぎの御用でしょうか?」
「いや、しばらくご無沙汰していたのでね、
たまには一献…と思ったのだよ。ではまた後で来るとしようか」
しかし若者は、すまなそうに答えた。
「それが…その…少丞殿は今日もお休みされているのです」
「ほう、仕事の虫にしては珍しいね。
どこぞの美しい女人の元にでも通って……
はは…そのようなことはないか、あの鷹通に限ってはね」
友雅の軽口に、若者はひきつった笑いを浮かべた。
その表情を見た友雅の眉が上がる。
「鷹通の欠勤に、何か仔細があるのかな?」
「い、いいえ。別にそういうわけでは…というか…」
「そのように言われると、余計聞きたくなるものだが」
「そ、それが…その…あの…」
「やれやれ、鷹通に影響されたのかい、若いのにずいぶん真面目なことだね。
そのように素直にうろたえられると、私がまるで悪者のようだよ」
「い、いいえ、少将殿を、決してそのような、あのその…」
友雅はいたずらっぽく笑って扇を広げ、口元を隠しながら耳打ちした。
「ここだけの話…ということにしておこう。
なに、私は仕事柄、とても口が堅いのだよ。
安心して打ち明けてはもらえまいか」
信じられない!と思いながらも、相手はあの「名高い」橘少将。
真面目一方の若者は、それ以上抵抗できなかった。
「実は……その……というわけで…」
「ほう?桂の荘園で…?」
「はい……厄介なことに……、あ、どうかこのことはご内密に。
自分の家のことで余計な心配はかけたくないからと、仰っておりましたので」
友雅は心得たというように頷いてみせた。
「まあ、鷹通のことだ。うまくやっているだろう。
揉め事の仲裁は天職みたいなものだからね。
実は、左近衛府で仕事をしてもらいたい、と思うくらいなのだよ」
若者は慌てて叫んだ。
「こっ困りますっ! 戸籍の管理も、少丞殿の才を生かすお仕事!
勝手に連れて行かないで下さい!!」
「ははは、ただの戯れ言だ。気にすることはないよ。
しかし冗談を真に受ける所など、やはり鷹通の影響かな」
焦りまくる若者を残して、友雅は治部省を後にした。
さて、酒でも酌み交わしながら、少し話したいと思っていたのだが、
どうしたものか……。
勤めに戻るか、気の利いた女房殿のところに顔でも出すか。
陰陽勝負のことは鷹通も聞き及んでいるはずだ。
冷静に、理詰めの考え方のできる鷹通ならば、
その場にいなかったからこその見方ができるのではないか、と
友雅は考えている。
しかし……勤めをもう四日も休んでいるとは。
荘園の人々から信頼され、慕われている鷹通が、
やけに手間取っているものだ……。
「鷹通はいないのか」
友雅が帰って間もなく、いきなりぶっきらぼうな声がした。
さんざん友雅にからかわれて、まだ心の乱れている鷹通の同僚が、
再び真面目に応対に出る。
「申し訳ありません。少丞殿はお休みされているのです」
「そうか、では自分で調べる」
「わっ!お、お待ち下さい。勝手に入られては困ります」
若者は慌てて止めようとするが、男はかまわずんずんと歩き出した。
着物の袖を掴むと、凄い力でそのまま引きずられてしまう。
友雅のことは知っていても、若者は泰明とは初対面だ。
「御用の向きを言って下さい。そうしましたら、私が…」
「問題ない。籍の台帳を確認したいだけだ。
どのように分類整理されているのか分かれば、すぐに目当てのものは見つかる」
「いけません!規則です!少丞殿のお留守、私がしっかり守らねば!!」
いきなり泰明が立ち止まった。若者は勢いよく転倒する。
「い痛たたた…」
腰を押さえて起き上がった若者の目の前に、書き付けが突き出された。
「規則か。ならばこれが要るか」
受け取って目を走らせると、それは陰陽師・安倍晴明からの依頼状。
「こ、こういうものは、最初から見せて下さい」
恨みがましい目で、若者は泰明を見上げた。
「紙のやりとりなどしないですめば、その方が無駄がない」
「こっ戸籍は、国の大元です! 大切に管理しなければ!と
少丞殿に教わっております」
「ん?そういえば、鷹通は休み、と言っていたな。
理由は何だ」
若者はため息をついた。
なぜ今日は同じ事ばかり尋ねられるのだろう。
しかし、少丞殿から口止めされていることだし、
毎回その約束を破るわけにはいかない。
「何も伺っておりません」
と、泰明の瞳がかすかに光った。
若者の口の前に指を立て、小さく呪を唱える。
ほどなくして、泰明は治部省を出た。
その背をほっとして見送る若者には、鷹通について話した記憶はない。
それが、真面目な若者にとっては、せめてもの慰めか。
泰明の威圧感に、それまでろくに仕事が手に着かなかったのだから。
しかし、若者には泰明の目的が分からない。
泰明の読み進める速さは尋常なものではなかった。
内容を把握するなど、できるはずがない……。
若者は再びため息をつくと、仕事に戻った。
泰明自身はといえば、その若者のことはもう心にない。
一目見れば、内容などすぐに読み取れる。
目当てのものは探し出せた。
それよりも、かすかに引っかかるもがあるのだ。
泰明の家には、八葉がしばしば訪れる。
―――いや、しばしば、ではなくほぼ毎日だ。
あかねが優しくしすぎるからだ。
―――だが、それであかねが嬉しいならば、がまんしてもよい。
つい先日のことだ。
「神子、その本はどうした?」
「鷹通さんが貸してくれたんです」
「………家にある本では不足か」
「漢字ばかりで難しくて…。他の本は、字がくずしてあって読めないし。
なので、易しい子供向けの本を貸してもらったんです」
「学ぶ必要があるなら、私が神子に教える」
「忙しいのに、いいんですか」
「問題ない。この本、鷹通に早く返せ」
「はい。でもあの、続きも貸してもらうことになってるんですけど…」
「何か? 神子」
「昨日、持ってきてくれるはずだったんです。
でも鷹通さんは来なくて、連絡もないんです」
「神子との約束を破るとは、以ての外。
だが……義理堅い鷹通にしては、珍しいことだ」
「具合でも悪いのかなあ…」
―――二条の邸に行ってみるか。
杞憂に終わるなら、それはそれでよい。
その時は神子に、心配する必要はない…と知らせることができる。
泰明は朱雀門に向かった。
朝堂院前の広場まで来た時、門から一人の男が入ってきたことに気付く。
同行しているのは二人の貴族だ。
泰明の視線に、向こうもこちらを見る。
先日の陰陽勝負で、大津の者達を率いていた男だ。
盛んに話しかける貴族に、男は鷹揚に頷いている。
門に向かう泰明と、門から入ってきた男。
両者の距離が近づく。
午後の広場に小さなつむじ風が起こり、乾いた土埃がくるくると上がった。
風に巻き込まれ、二人の貴族は顔を覆う。
泰明と男は、構わず歩いていく。
すれ違い様に、視線がぶつかった。
だがそれは一瞬のこと。
無言のまま、足を緩めることもなく、
何事もなかったように、両者は別れた。
―― 花の還る場所 ――
プロローグ
1.陰陽勝負・前編
2.迷子
3.陰陽勝負・後編
4.裁定
5.惑い
6.夢魔
7.宗主
9.蠢くもの
10.月影
11.妖変
12.右大臣
13.童子
14.露顕
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2008.12.17 筆