「では、次なる櫃を持って参れ」
気を取り直した進行役の貴族が、
精一杯の威厳を取り繕って厳かに命じた。
先程と同じ大きさ、同じ文様の布が掛けられた櫃が
中央に引き出される。
「今回は安倍家より先に答えよ」
貴族の言葉に、泰明は一言だけ答えた。
「札だ」
禁呪札を外すことのできた兄弟子が、慌てて叱りつける。
「馬鹿!違うだろう」
「お前ともあろう者が…」
一人が立ち上がり、言葉を継ごうとするが、
「安倍家の答えは札…ということじゃな」
貴族はぴしりと言い捨てると、大津の陰陽師に向き直った。
「やつも、仲間のようだな」
泰明がこともなげに呟く。
「何ということだ」
「帝の御前でこのような…」
「どうにかして、不正を暴く手はないものか」
「これでは安倍家が危ういぞ」
「だが泰明が、禁呪の術をかけた。
やつらに櫃の中が分かるはずが」
「いや、あらかじめ答えを知っているのだ。
何の痛痒もあるまい」
「しかし、禁呪の札が付いたままなのは、皆に見えている。
たとえ正しく答えたとしても、それは偶然か、さもなくば
前もって知っていたかということになる」
「おお、そうだな」
「でかしたぞ、泰明」
しかし泰明は黙然として大津の者達に目を据えたまま。
「大津の陰陽師よ、答えは如何に」
貴族が大声で問いかける。
最初の櫃の時と同じ男が前に進み出、全く同じ所作を繰り返して
恭しく口を開いた。
「匠の手により美しく仕上げられた鞠にございます。
その数は十六。間違いございません」
周囲がざわめいた。
殿舎の中から手招きされ、貴族がそちらに向かう。
やがて戻ってきた貴族は、渋面になっていた。
鞠と答えた男に、しぶしぶ尋ねる。
「確かめておかねばならぬ事がある。
禁呪の札が消えておらぬようだが、
如何にして櫃の中を知ったのじゃ」
しかし男は落ち着き払って答えた。
「畏れながら、我らが大津の力、侮られませぬように。
安倍の禁呪の札如きは、露ほどの力も持たぬゆえ、
敢えて、そのままに捨て置く次第。
櫃の中の物など、最初から全て見えておりまする」
「まことであろうな」
「我が宗主にかけて」
「ちっ、うまく言い逃れやがった」
「口だけはうまいやつだ」
「しかし、まずいぞ」
貴族は屋内にちら、と目を走らせ、承諾の意を受けると、
ほっとしたように、大声で呼ばわった。
「では、櫃を開けるのじゃ」
そして、櫃の中にあったのは、大津の陰陽師の言ったとおり、
十六個の鞠。
大津の側が勝ち誇った視線を安倍方に向けた。
しかしその時だ。
鞠が一斉に大きく跳ね、櫃から次々に飛び出した。
櫃を開けた者達が慌てて拾おうとするが、鞠はその手をすり抜け、
安倍と大津、それぞれの陰陽師に向かってぽんぽんと跳ねていく。
笑い声が、さざ波のように周囲を満たした。
全ての鞠は最後にぽーん、と大きく宙に舞うと、二つに割れた。
中から札がひらひらと落ちてくる。
「案ずるな。解呪の札だ」
泰明が小さく腕を振ると、陰陽師に取り付いた禁呪の札の上に
解呪の札が重なった。
同時に、二つの札は消滅する。
勝負の結果は、最初と同じ。
「この勝負、引き分けとする」
虚ろな目になった進行役の貴族が言った。
「三番目の櫃をこれへ。
これが最後じゃ。今度こそ、決着をつけるのだぞ」
恨みがましい目で、大津の陰陽師を睨む。
「……!」
運ばれてきた櫃を見たとたん、安倍の陰陽師に驚愕と緊張が走った。
「何というものを入れたのだ」
「とんでもないぞ」
「内裏に穢れを持ち込むとは」
泰明は鋭い眼で櫃を凝視している。
「大津の陰陽師よ、今度は先に答えよ。
櫃の中は如何に」
貴族が問うた。
しずしずと同じ男が進み出る。
最前と同じ所作を繰り返すかと見えたが、そうはせず、
櫃の前で辺りを睥睨し、静かに答えた。
「子鹿でございます」
「おい! その子鹿は…」
「即刻、櫃を退けられよ!」
「内裏に穢れを持ち込むは大罪」
安倍の兄弟子達が立ち上がり、口々に叫ぶ。
「安倍家にはまだ何も問うておらぬぞ!」
兄弟子達の剣幕に負けじと、進行役の貴族が叱りつける。
大津の男の顔に、薄ら笑いが浮かんだ。
慇懃な態度で貴族に言う。
「安倍家に邪魔されてしまいましたが、
最後まで答えてよろしいでしょうか」
「遠慮は要らぬ。続けてよい」
「では…」
男は咳払いをして、おもむろに続けた。
「中の子鹿は、胸を射られ、すでに息絶えております」
どよめきが起きた。
穢れが内裏に持ち込まれたのだ。
櫃を用意したのは誰か。
すぐに浄めを!
しかし、立ち騒ぐ貴族達に向かい、男は大きな声で呼ばわった。
「まずは、櫃をお改めを。
そこにもしも、我が見たものがあったとしても、
どうか心安んじて頂きたい。
その時こそ、我ら大津の力を示してご覧に入れましょうぞ」
男は自ら櫃の布を剥ぎ、蓋を取り去った。
中には、その言葉の通り、胸を射られた子鹿が横たわっている。
「おお!」
「これは!」
「あな、恐ろしや」
騒ぎがいっそう激しくなる。
満座の注目を集めた中で、大津の陰陽師は、
空に向かって高々と手を上げ、芝居がかった口調で叫んだ。
「春日の神の御使いよ、
我が力により、蘇りませ!」
と、その声に応えるかのように、内裏の上空に赤い光球が現れた。
静寂が辺りを包む。
光球はゆらりと動き、櫃に向かって下りてくる。
底知れぬ力が、波のように押し寄せる。
「させぬぞ!」
泰明は印を結び気を集め、一気に放った。
天を刺し貫くばかりの泰明の術と光球がぶつかり合う。
ぐおおっ……!!!
大気が揺らめき、そしてすぐに静かになった。
光球は何事もなかったように下りてくる。
眩い光が子鹿を覆い、そして、人々は奇跡に目を見張った。
光が消えると同時に、胸に刺さった矢がぽろりと抜け落ち、
子鹿はぴょこん、と起き上がったのだ。
そのまま、軽やかにはねて櫃から飛び出す。
「おおっ!」
「見事じゃ」
「大津の名、覚えおこうぞ」
喝采が庭を満たす。
大津の男は、深々と頭を垂れた。
「あ、あれは何だ」
「どんな術か、分からぬ」
「やつは、何をしたというのだ」
安倍の兄弟子達は皆、困惑の中にある。
「泰明、お前なら分かるか」
だが泰明は、無言で空を……光の現れた彼方を見ている。
……私の術は、赤い光にぶつかる寸前に、弾かれた
あの光の放つ強い気は……
似ている……
生きて…いるのか
晴咒…
―― 花の還る場所 ――
プロローグ
1.陰陽勝負・前編
2.迷子
4.裁定
5.惑い
6.夢魔
7.宗主
8.治部少丞の不在
9.蠢くもの
10.月影
11.妖変
12.右大臣
13.童子
14.露顕
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2008.10.12 筆