「晴咒に…似ていた」
陰陽勝負の一部始終を冷静に語り終えた時、
泰明は取って付けたように、そう言った。
だがその声は少し震えている。
「泰明さん…?」
心配そうに顔をのぞき込むあかねを引き寄せると、泰明はその胸に顔を埋めた。
晴咒――
それは泰明が、一度だけ口にしたことがある名だ。
雪の降る寒い夜のことであった。
今でもまだ、忘れることのできない日だ。
幾日もの間行方不明だった泰明が、雪と共に帰ってきた日…。
「私は、私と同じ者に出会い、……戦い、壊した。
晴咒…という名の造化の者を……」
泰明が語ったのは、それだけだった。
内裏に関わることだけに、全てを明かしてはならないのだ。
だが、「造化の者」という言葉に、あかねは驚いた。
「晴明様は、泰明さんの他にも?」
「違う。お師匠ではない」
泰明は、いやいやをするように頭を振った。
今と同じように、あかねの胸に顔を埋めて。
今もまた、何も言わぬ泰明の髪を、あかねは静かに撫でている。
あの時の泰明さんは、本当に悲しそうだった。
晴咒という人が、泰明さんと同じように造られたのなら、
泰明さんの思いを……淋しさや悲しさを
分かち合うことができたかもしれない。
泰明さんとは、兄弟…みたいに。
でも、その人は悪いことをしていた。
だから泰明さんは、戦った…。
きっと、辛い戦いだったんだろうな……。
帰ってきた泰明さんは身体中傷だらけで、それでも
「怪我など問題ない、神子」
そう言って私が安心するように笑ってみせてくれたけど、
身体の傷よりも心の方が、ずっと痛かったはず。
泰明さんはとっても不器用で、
自分をごまかすことも、言い訳をすることもできない、
逃げ道なんて、作れない人だから……。
「神子…私は……」
だから私は、泰明さんを一生懸命受け止める。
私の全身全霊で……。
「晴咒が生きているのかもしれないと思った。
生きているなら、うれしい…と思ってしまった」
「そう思うのは、悪いことじゃないですよ。
泰明さんの正直な気持ちなんですから」
「いや違う、神子。
あの気は凶事を引き起こす力を持っていた。
それを操る者は、邪悪なる存在。
たとえ晴咒であっても……
いや、かつて災禍を引き起こそうとしていた晴咒なればこそ、
私は心を乱してはならなかったのだ」
「泰明さん……心配しているんですね。
晴咒さんに似た人が、また悪いことをするんじゃないかって」
「そうだ、神子。
第三の櫃は勝負の終わりではなく、何かの始まりとなったのだ」
「始まり?」
泰明は顔を上げ、今度はあかねを自らの胸に抱き寄せた。
「案ずるな、神子。
お前に災いなど、決して寄せ付けはしない」
「泰明さん…」
「お前はあたたかく、私を満たしてくれる。
お前という存在そのものが、私の幸福だ」
――幸福を
…いや、憧れ続けた外の世界すら知らずに
晴咒は逝った。
晴咒は……
泰明は指を開き、自らの掌を見つめた。
この手の中で、砕け散ったのだ。
あかねが、泰明の掌にそっと自分の手を重ねた。
愛しさが、苦しいほどにこみ上げる。
「あかね……」
耳元でささやくように、大切な名を呼ぶ。
返事が返る前に、解けた長い髪が、あかねの上に覆い被さった。
「あの気、よく似ていたな……晴明に」
切れ長の眼が、ゆらめく炎を見つめている。
その瞳は、白い顔にくっきりと描いた闇の裂け目のようだ。
「そして姿は晴咒に生き写し…か」
貴なる女人と見まごうばかりに美しい男だ。
組み上げた護摩壇の前、その口元に笑みが浮かぶ。
「晴咒を破壊したのは、あれか。面白い…」
男がすっと手をかざすと、炎の色がみるみる黒くなる。
かすかに指を動かすと、それに合わせて炎が渦となる。
内裏の庭が瘴気で覆い尽くされる様を、
あの帝に見せてやるのも一興と思ったが……
あれがいたのでは、人死にが出る前に祓われていただろう。
だが、入り込むことは…できた。
男は眼を細め、腕を横に払った。
炎が消え、闇が落ちる。
祭壇の間を囲む回廊から、ざわざわと人の気配が伝わってくる。
最前より、うるさいことよ。
男はかすかに眉をひそめた。
勝負の沙汰に、言い訳しに来たのだと分かっている。
あれだけ周到に準備して、我が力まで…借りたと信じて…
男はふっと笑った。
命拾いしたとも知らぬ、めでたい者共よ、
しかし安堵するがいい。
貴族、随身、舎人、あまた集う中、
彼らの眼前であれだけのことを成してやったのだ。
噂はあっという間に広まるだろう。
そして愚か者は、こぞって大津の下に参じる。
男が護摩壇に背を向けると、何事もなかったように炎が戻る。
男はよく通る涼やかな声で言った。
「入ってよい」
中央の扉が開き、大津の陰陽師が身を低くして次々に入ってきた。
皆、頭を垂れ、ひどく神妙な面持ちだ。
一斉に床に膝を付き、男の前にひれ伏す。
勝負の中心となっていた男がそのままの姿勢で進み出た。
「宗主様、我ら…」
皆まで言わせず、大津の宗主は言った。
「残念な結果でしたね」
その柔らかな声には、微塵の怒りも感じられない。
「ですが貴方たちに落ち度はありません。
顔をお上げなさい」
男達は、救われたように宗主を仰ぎ見た。
その白いかんばせには、観音像のような優しき笑みがある。
「宗主様…」
宗主は両腕を広げた。
「明日は忙しくなるのですよ。
いつまでも悲しんでいてはなりません」
一番前の男が訝しげに問うた。
「忙しくなる…とは?」
宗主の笑みが広がる。
「貴方がたの成したことに、貴族達は深い感銘を受けたのですよ」
「畏れながら、我ら勝つことはできませず…」
「けれど、負けたわけではありません。
最後の勝負も、帝の独善さえなければ」
「宗主様!」
帝への悪し様な非難に、さすがに陰陽師達は身を固くした。
しかし宗主は無邪気ともいうべき笑顔で続ける。
「帝はご立派な方です。あの裁定は、自らに言い聞かせたのですよ。
逝きし者の蘇りなど、願ってはならない…と」
そして宗主はその場の者を一人一人凝視した。
彼らに向かい、手を差し伸べて語りかける。
「さあ、明日からも京の人々のために…。
皆も、助けてくれますね」
切れ長の眼に、闇が踊る。
「命の限り!!」
陰陽師達は、声を揃えて答えた。
―― 花の還る場所 ――
プロローグ
1.陰陽勝負・前編
2.迷子
3.陰陽勝負・後編
4.裁定
5.惑い
6.夢魔
8.治部少丞の不在
9.蠢くもの
10.月影
11.妖変
12.右大臣
13.童子
14.露顕
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2008.12.5 筆