花の還る場所

9.蠢くもの


安倍家の裏庭で、浅茅は一人、術の稽古をしている。
水汲みも掃除も使い走りも、全部終わらせた。
次の雑用を言いつけられる前に、少しでもできることをしておきたい。

札を指に挟み、浅茅は呪を唱えている。
気が一点に集中していくのが自分でも分かる。

もぞり…

得体の知れない何かが、浅茅の中で力の核となっている。

これまでは、一生懸命に頑張らなくてはと、いつも緊張していた。
そのために思いばかりが空回りして、
集中しているつもりが、集中すること自体に気を取られていたのだ。

でも、やっと分かった。

今は、自分の呼び出す式神の姿を思い描くことができる。

浅茅は札に息を吹きかけた。

くぅるる……
札は、白い斑模様の翼を持つ、猛禽の幼鳥へと変じ、
浅茅の頭上でくるくると旋回してから、伸ばした腕にふわりと降りた。

「この前のひよこさん…だね」
浅茅が問うと、幼鳥は首を前に伸ばし、くいっと横に曲げる。

その動作の意味は、浅茅には理解できない。
でも、「はい」と言ったのだろう、と解釈する。

「あの時は、ありがとう」
幼鳥は、くぅるるるっ!…と鳴いた。

浅茅は嬉しくなって、大きな声で命じる。
「ようし! 飛べっ!」
腕を振り上げ、空高く式神を飛ばした。
すぐに眼を閉じ、印を一つずつ間違えないように結びながら呪を唱える。

すると浅茅の閉じた眸の中に、眼のくらむような景色が開けた。
それは初めて見る光景。上空から見下ろした安倍家の庭だ。
自分の姿も、もちろんある。
式神の視界と一体化できたのだ。

やった!!

しかし、浅茅が喜んだその瞬間、式神は急降下した。
わっ! 落ちる!!

浅茅はしゃがみこんで、次に、はっとして眼を開いた。

眼の前に、式神の札が落ちている。
浅茅は慌てて札を拾い上げた。
どこにも破れや傷は無い。
ほっとするが、さっきまでのささやかな自信と嬉しさは、
どこかへ行ってしまった。

「ひよこさん…ごめんなさい」
しょんぼりして、札を撫でる。

と、肩を落とした浅茅の後ろから、声がした。
「俺の知らぬ間に、ずいぶん腕を上げたな」

「あ!」
浅茅が振り返ると、そこに立っていたのは
「行貞さん!」

土師行貞(はじゆきさだ)―― つい数ヶ月前には、浅茅のことを
歯牙にもかけなかった安倍家の高弟だ。
だが、泰明達と共に極秘の命を受けて呪詛の探索に赴いた時には、
身を挺して浅茅を救ってくれたのだった。

その後、怪我の治療に専念するため、しばらく安倍家を離れていたのだが…。

「怪我は…もういいんですか?」
浅茅は涙声で尋ねた。
眼を潤ませて自分を見上げる浅茅の様子に、行貞は苦笑する。

「気に病んでたのか?」
「だって……」
「お前のせいじゃないと言っただろう。
泰明を見習って、もっと図々しくなったらどうだ」

こういう時には、「はい」と答えていいのか悪いのか。
固まった浅茅に、行貞はもう一度苦笑した。
「式神を使っているところを見た時には別人かと思ったが、
相変わらずか」
「すみません」

「そういえば、札にまで謝っていたな」
「み…見てたんですか」
「ああ。最初は自分の目を疑ったが」
「す…すみません。最後は失敗しちゃいました」
「式神の視界を捉えるなら、飛ばす前に呪を唱えてみろ」
「え?」
「式神の動きと視界、両方を操ろうとしたんじゃないのか?」
「そ、そうなんです」
「お前の腕で、一瞬でもできるとは大したものだが、
一つずつこなした方が、上達は早くなる」

行貞さんに助言をもらえるなんて…。
浅茅は一瞬呆然として、次にぴょこんと頭を下げた。
「ありがとうございます!! がんばります!!」

「謝ったり礼を言ったり、忙しいやつだ。
まあ、せいぜい頑張れ」
「はいっ!!」

そこで、浅茅は気がついた。肝心なことを聞いていない。

行きかけた行貞を慌てて呼び止める。
「行貞さん、ここに戻って…来たんですよね」

浅茅の問いに、行貞は小さく笑った。
「ああ、ここから陰陽寮に出仕する」
「調伏には」
「…それはもう少し、様子を見る」

その意味することは、浅茅にも分かる。
行貞の傷は、完全に癒えてはいないのだ。

「陰陽寮でも、俺は天文の方を担当することになった。
もう、勤めは始めているんだ。
それで、今日はお師匠様に…」
そこで行貞は、ふいに口を閉じた。

「どうしたんですか???」
不思議そうな顔の浅茅に、行貞は素っ気なく言った。
「聞こえないのか、お前に用事があるみたいだぞ」

「あ…」
耳を澄ますと、「浅茅〜〜〜!!」という先輩の声が聞こえる。

「失礼します!」
そう言って駆けだした浅茅の後ろ姿を、行貞は複雑な表情で見送った。

怨霊を見ることも、穢れを感じ取ることもできなかった子供が、
わずか数ヶ月で、ここまで変わるものだろうか。
だがあの性格ならば、慢心して道を外れるようなこともないだろう。
むしろ、おどおどするばかりだった頃を思えば、
喜んでやるべきなのかもしれない。

行貞は空を見上げ、まぶしい日輪に眼を細めた。
懐にしまった書き付けを、知らず知らずのうちに握りしめる。
その書き付けは、晴明に相談するために、天文記録の要点を写したものだ。

行貞は呟いた。
「怨霊よりも厄介……かもしれないな」
そして、ため息と共に付け加える。
「外れて、くれよ…」





「正確に答えろ」
二条にある藤原家の門前。
泰明が警護の武士を見据えて言った。

腕に覚えのある武士二人が、泰明に完全に気圧されている。
口から出るのは、しどろもどろな言葉ばかりだ。
「だ、だから鷹通様には会えぬと言っている」
「誰も通すことはできぬ」

泰明は無表情なままだ。
「では、もう一度だけ尋ねる。
鷹通が、誰にも会わぬと言っているのか。
鷹通の家族が言っているのか。
鷹通は誰にも会えぬ状態なのか」

「ひいいいいっ」
「お、脅しても、何も言わぬぞ」
武士達はへっぴり腰だ。

泰明は小さく首を傾げた。
「脅してはいない。なぜ勝手に怯えるのだ」

「怯えてなどいない!」
「主の言いつけを守るのは、門衛として当然の務め」
へっぴり腰のまま、武士達は粘る。

「そうか。やはり、何かあるか」
泰明がすっと手を動かした時だ。

「久しぶりだね、泰明殿」
侍従の香りと共に、聞き慣れた声がした。

「友雅か」
「陰陽の術を使うのは、少し待ってほしいのだが」
泰明は友雅に向き直った。
「かまわぬ。お前も鷹通に会いに来たのか」
「まあ、そういうことだよ。
お互いここで会ったのは、偶然ではないようだね」

そう言うと友雅は、門衛達に笑顔を向けた。
風雅なたたずまいの貴族が助け船を出してくれたことで、
武士達は安堵の表情を浮かべる。

友雅はにこやかに来意を告げた。
「こちらは安倍家の陰陽師、安倍泰明殿。
そして私は左近衛府の少将で橘友雅。
私は、つれなく追い返されるのには慣れていなくてね」

「申し訳ないのですが…」
すまなそうに、武士の一人が答えた。
しかし友雅はそれに構わず続ける。
「では、私達の名を、鷹通殿に伝えてみてはくれまいか。
それでも会えないというなら、あきらめるとしよう」

武士は顔を見合わせ、一人が
「しばらくお待ちを」と言い置いて、中へと去った。

「さすがだ、友雅」
「お褒めにあずかり、光栄だね」
「そこまで褒めてはいない」
「神子殿は元気かい?」
「尋ねるまでもないはずだ。この前遊びに来ただろう」
「ああ、仕事の途中でね、神子殿の顔を見に立ち寄らせてもらったよ」
「左近衛府は暇なのか」
「そう、ここに来る時間があるくらいだからね。
とすると、陰陽寮も暇なのかな」
「友雅の仕事と同じくらいだ」
友雅がちら、と眼を走らせると、泰明の視線とぶつかった。

その時、門がゆっくりと開いた。
沈痛な面持ちでそこに待っていたのは、鷹通の父。

「これはこれは、ご当主自らお出迎え下さるとは」
友雅の言葉に、鷹通の父はゆっくりと頭を振った。
「どうぞ、こちらへ…」

二人が案内されたのは鷹通の居室ではなく、
北側の庭の隅にある小さな蔵だった。

「これは…」
友雅が言葉を失い、泰明は息を呑んだ。

蔵の扉には、大きな錠が掛けられていたのだ。

「まさか、この中に…」
友雅の言葉に、鷹通の父は唇を噛みしめたまま、無言で頷いた。



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―― 花の還る場所 ――
プロローグ  1.陰陽勝負・前編  2.迷子  3.陰陽勝負・後編
4.裁定  5.惑い  6.夢魔  7.宗主
8.治部少丞の不在  10.月影  11.妖変  12.右大臣  13.童子  14.露顕

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今回の前半はオリキャラ二人でしたので、
代わって、後半は豪華お二人様にご出演願いました。

この話に初登場の行貞さんは、「雪逢瀬」で
泰明さんや浅茅くんと同行した安倍家陰陽師の一人です。
「雪逢瀬」では、かなり尖った人でしたが、
少し角が取れたような。
単に、泰明さんがその場にいなかったからかもしれませんが。



2009.1.8  筆