花の還る場所

2. 迷 子


安倍家の陰陽師見習い兼雑用係の浅茅は、
今日も使い走りの帰りに、ちょっとだけ回り道をした。

泰明の家の前を通る。それだけだ。
それでも、浅茅の心は弾んでいる。

その時遠くから声が聞こえてきた。

「おーい!あかねー!」

浅茅は思わず足を止めた。
眼をこすり、どこかおかしいことに気がついて、耳をこすった。
それにも意味がないことに気づく前に、声の聞こえてきた方に向かって駆け出す。

間違いない。
泰明さんの家の前だ。

「あかねー!いねえのかよー!」

門を叩きながら、赤い髪の少年が大声で叫んでいる。

家の周囲に張り巡らされた結界が、少年には見えないのだ。

今日は内裏でとても大切な行事があると聞いている。
本当は長任が出るはずだったのに、
頭痛歯痛腹痛腰痛で倒れ、泰明が代わりに呼ばれた。
急に出かけることになった泰明は、
家に厳重な結界を施したというわけだ。
その結界には僅かの隙もなく、しかも極めて強固だ。

泰明さんの術、いつものことだけど凄いや。
浅茅はため息をついた。

家を覆った結界は、何者の侵入も許さない。
おそらく、外から呼ぶ声も届いていないのだろう。
いずれにしろ浅茅の手に負えるような代物ではない。

教えてあげないと…。
でも、あかねさんを呼び捨てにするなんて、この人は誰だろう。

「あのう…すみません…。
この家には結界が張ってあるんです」

かなり焦って、いらいらしている少年に、おっかなびっくり声をかける。

「えっ?結界?」
少年はくるっと振り向いた。

結界のこと、どうやって説明しよう…。
口ごもった浅茅を見て、少年は表情を和ませた。

「その格好、お前陰陽師なのか。だから分かるんだな」

思いがけず人なつこい口調に、浅茅はほっとする。
「はい。泰明さんが、ものすごく強い結界を張ったんです。
だから解くのも泰明さんじゃないと」

少年はしかめ面をすると、親指の爪をかりっと噛んだ。
「ってことは、あかねは中にいるんだな。
そうじゃなきゃ、泰明のやつがこんなことするはずねえ」

浅茅は固まった。

「や、泰明…さんの…やつ…」
同じ言葉を繰り返そうとしたが、それでも泰明を呼び捨てにはできない浅茅だ。

少年は、ぷっと吹き出した。
「何だよお前、そんなに泰明が怖いのか」

「こ、こ、怖くなんかないって言ったらウソになりますけど…
ええと、泰明さんはすごい人で、ぼく、泰明さんみたいになりたいから、それで…」

「ははっ。そうだよな。泰明はすごいやつだ。
とびっきり無愛想なだけでさ」
そう言って少年は、屈託なく笑う。

浅茅は少し混乱している。

安倍家の兄弟子達だって、泰明さんには頭が上がらないのに、
この人の言い方はまるで、泰明さんの友達みたいだ。
あかねさんのこともよく知っているみたいだし、
不思議な人だなあ。

「あの、ぼく、陰陽師見習いの浅茅といいます。
あなたは、泰明さんとあかねさんのお友達なんですか?」

少年は、はっとしたようだった。
龍神の神子と八葉のことは、今でも極秘だ。
「まあ、そうだな」
一瞬考えた後、少年は続けた。
「オレはイノリってんだ。鍛冶師見習いをやってる。
でもお前とは違って、もうすぐ一人前なんだぜ」
「す、すごいです!ぼくなんて、まだ修行を始めたばっかりで」
「そのカッコ見りゃ、わかるさ。
少しは陰陽師っぽいけど、筒袖に短い袴だもんな」

「は、はい…」
ぞんざいな言い方だが、イノリの言葉には親しみがこもっている。
浅茅は何だかうれしかった。

しかし、それよりも…
「イノリさんはあかねさんに用があったんじゃないですか?」

「そうなんだけどよ…」
イノリは仕方ない、というように門を振り返った。
「あかねとも泰明とも会えないんだ。オレが一人で何とかするさ。
ありがとな、浅茅。おかげで時間無駄にしないですんだぜ」

そう言って駆け出そうとするイノリの着物の袖を、
浅茅は慌ててつかんだ。
「あの、何かぼくに手伝えること、ありますか」

イノリは驚いて足を止めた。
「お前が?」
浅茅は気づく。
半人前な自分が助力を申し出るなんて、ひどく図々しいことだと。
それでも、さっきの様子は、ただならないものだった。
うなだれながら、浅茅は言った。
「す、すみません。ぼくじゃあまり力になれないかもしれませんけど…
でも、もし何かできるなら…と思って…」

しかしイノリから返ってきたのは、浅茅が思いもよらない言葉だった。

「見習いは忙しいもんだろ。
寄り道してたら、こっぴどく叱られるんじゃないか」

「イノリさん…」
ぼくのことを心配してくれるのか…。
浅茅は、胸がぐっと詰まるような気がした。

「無理すんなよ。オレ、見習いの立場ってやつは、よく分かるんだ」
「だ、大丈夫です! ぼくにできることがあれば何でも言って下さい。
まだ下手だけど、術も少しなら使えます」

大丈夫、というのはウソだった。
この後、水汲みと兄弟子達の部屋の掃除を言いつけられている。

イノリは黙って浅茅の眼を見ていたが、
すぐに笑って、頭の後ろで手を組んだ。

「じゃ…頼むぜ。帰ったら怠けないで、
ちゃんと言いつけられた用事、すますんだぜ。」
「は、はい!!」
見透かされてしまったけれど、浅茅はうれしい。

「イノリさんはあかねさんに何を頼みに来たんですか」
「人探しだ」

市であかねと出合った時のことが、頭をよぎる。
「陰陽の術は見世物ではない」と泰明に言われたことも。

だが、浅茅は懐から札を取り出した。
浅茅にできるのはまだ、式神を使うことだけ。
それすらも、少々怪しいのだが…。
「その人のことを、できるだけ詳しく教えて下さい」

「そうだな…そいつは、オレの子分だ」
「え?」
「オレの友達なんだけどさ、まだ小さくて、他のやつらの真似して
オレのこと親分て呼ぶんだ。たしか歳は、六つだったな」
「お父さんやお母さんには知らせたんですか」
「それがさ…」
イノリは再び、爪を噛んだ。
「あいつの母ちゃんは、病気で動けねえんだ。
父ちゃんは、この間…死んじまった」

「そんな…」
浅茅に父の記憶はない。
浅茅が生まれて間もなく亡くなったのだと、母から聞かされているだけだ。
だから父親がどのようなものなのか、よく分からない。
でも、小さな胸の内を想像することはできる。

「どっちの方に行ったか、わかりますか」
「ここより西の方だと思うんだ。
で、別の子分が、あいつを三条通りで見かけたんだ。
声をかけたけど、走っていっちまったって言ってた」
「小さい子なら、そんなに遠くに行ってないかもしれません」
「まあな、きっと迷子になってわあわあ泣いてると思うんだ。
オレの子分達も探してるんだが、
人さらいなんかに捕まったら大変だからな」

「わかりました。やってみます!」

浅茅はまなじりを決して呪を唱え、札に向かって息を吹きかけた。
どうか…うまくいきますように…。

ずしん!「ぴよ…」
太ったひよこによく似た式神が、浅茅の頭の上に現れた。

「お…おい、疑って悪いけどよ、こいつで大丈夫か」
イノリが言う。
「すみません…。毎回、違う式神が出てくるんです。
でも、がんばります」

太ったひよこを手の上に乗せて、浅茅は尋ねた。
「飛べ…ますか?」
「ぴよっ!」
式神は雄々しく請け合うと、小さな翼を広げ、よろよろと飛び立った。

はたはたはた…と飛んでは、つーーーっと落ちる、を繰り返し
式神は視界から消えた。

何も言えず見送っていたイノリだが、我に返って浅茅に言う。
「オレ達も探そうぜ」
「はいっ!」

と、その時式神の飛んでいった方から
「親分〜〜〜!」
「ここにいたんですか〜〜〜!」
「見つかりましたよ〜〜〜!」
子供達の声が近づいてきた。

やがて現れた子供の一団の頭上をよろよろと舞っているのは、あの式神だ。

子供達の真ん中に、怒った顔をしてうつむいた小さな子がいる。

ずしん!「ぴよ!!」
式神はその子の頭に乗り、浅茅に向かって誇らしげに鳴いた。

イノリの前に押し出された子供は、下を向いたまま、何も言わない。

「お前が行きたい所に行くのはかまわないけどよ、
お前はまだ小さいんだ。黙ってどっか行くんじゃねえぞ」
イノリの言葉にも、子供は返事をしない。

「みんな心配したんだ。それを忘れんなよ。
お前がもし、人さらいなんかにさらわれたら、
母ちゃんが泣くんだぞ」

と、子供は真っ赤な顔を上げて叫んだ。
「父ちゃんに…会いたいんだ!」

「な、何だって?」
子供はさらに言いつのる。
「おいら、聞いたんだ。父ちゃんに会わせてくれるって。
そうしたら、きっと母ちゃんも元気になって…」

イノリは苦々しい顔になった。
「そんなの、インチキに決まってんだろ。
お前をダマして、どっかに売り飛ばそうとしてる悪いやつがいるんだ」

「違うもん!おいら…おいら…」
そこまで言うのが精一杯だったようで、
子供は堰を切ったように泣き出した。
子供を見下ろし、ふうっとイノリはため息をつく。

「浅茅、とんだことに付き合わせて悪かったな」
「そ、そんなことありません!
子分さんが無事に見つかってよかったです」
「ああ、それが一番だ。
でも、お前が手伝うって言ってくれて、うれしかったぜ」

「……でも、ぼく、役に立てませんでした」
市の時もそうだった。
自分は、何もしていない……。
誰かを助けたいと思っても、何も……。
浅茅は唇を噛んだ。

「何言ってんだよ。式神を頑張って出してくれたじゃねえか。
一生懸命やってくれて、ありがとうな」

「こ、こちらこそ、ありがとうございました!!」

「ぴ…」
式神を戻し、浅茅はその場を去った。

『ありがとう』と
言ってもらったことが、うれしくてならない。

イノリが認めたのは、浅茅の気持ちだった。

もっともっと頑張ろう、と思う。
今度こそ、役に立てるように、助けられるように…。

その時だった。

おおん……!

浅茅はよろめいた。

地震かと思ったが、通りを歩く人々に異変はない。

おん…おん…お…ぉ…

それは、浅茅の中から響いてくる。
何かが鳴っている。

共鳴り。
何かを感じて、浅茅の中のものが鳴っている。

身体中から、力が抜き取られるようだ。

何も見えない。
何も聞こえない。

その時浅茅が触れたのは、氷よりも冷たい暗黒だった。



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プロローグ  1.陰陽勝負・前編  3.陰陽勝負・後編
4.裁定  5.惑い  6.夢魔  7.宗主  8.治部少丞の不在
9.蠢くもの  10.月影  11.妖変  12.右大臣  13.童子  14.露顕

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2008.10.10 筆