花の還る場所  第三部

8.心を映すもの


「お前は人の心を読んでなどいない。
心に思う者を、呼び出すこともしていない」
泰明は宗主を見据え、冷ややかな声で言った。

うっすらと笑みを浮かべた宗主の眼に、炎の影が揺れる。
「何も見えなかったのか。
魂無きモノには仕方ないこと」

しかし泰明は素っ気なく答えた。
「見えた。私の思いの移るままに幾人も…だ」

宗主の冷笑が歪んだ。
束の間の沈黙。

泰明は筋一つ動かさず、宗主も微動だにしない。
老人と老女は影の一部と化している。
全ての動きが止まった中、篝火の炎と宗主の白い手が覗く装束の袖が
僅かに揺れているだけ。

両者の気が収斂していく。

沈黙を破り、泰明は淡々と言葉を継いだ。
「何も知らぬ者は、お前の言の葉に反応しただけだ。
大切な者…という言葉を聞けば、自ずと心にその姿を思い浮かべる。
彼らが見たのは、自身が心に描いた姿だ」

曖昧な記憶と言いながらも、鷹通の話は正確で細部に至るまで明確だった。
そこから泰明は、宗主の施す術なるものの本質にたどり着いていた。

死者に会わせる――という宗主の術。
確かに陰陽の術の中に、魂を呼び出す方法が無いわけではない。
しかしそれには厳しい制限と複雑な呪を伴う。
誰を呼び出すのか、その者とはどのような関係なのか、
初めて会った者にすぐに施せる術ではない。

しかし、死者の魂ではなく目の前の人間を対象にするとしたら…。
人の心は弱い。悲しみの内にあればなおさらのこと。
愛しい伴侶、大切な親や子を失った者に暗示をかけるのは容易い。

鷹通は言った。
  『私の耳に柔らかく…それでいて冷ややかな声が届きました。
  私は何かを…答えたようです。
  宗主は少し、笑ったように思えました。
  そして白い指がすうっと動いて、それの示す先を見ると……
  そこには、優しい笑顔を浮かべた…母が……いたのです』

大切な者に会わせてやろう――この一言で、心は動く。

宗主の腕が、静かな舞のように緩やかに上がっていく。
低く、柔らかな声が闇を漂う。
「胸の内に思い描いただけでは、言の葉は交わせぬ。
心の内を読まずして、どのように眼前に現すというのか」

「このようにするのだ」
泰明は宗主に眼を向けたまま、少し身体を傾けた。
そして先ほど宗主が指し示した方に掌を向ける。
青い光が走ると同時に、ざざ…と何かが流れ落ちる音がした。
続いて、幾つもの小さな雫の音。

「水は映すもの。そして形を変えるものだ。
力を宿した水気が鏡となって、強い思いを映し出したのだ」
泰明は無表情のまま、宗主の動きを眼で追っている。

「できそこないではあるが、ただの人形ではないか。晴明の造りしモノ」
宗主はゆっくり両の手を向かい合わせた。
「私は人だ」
嘲りの笑み。
「このような場にあって醒めている…それこそお前が造化のモノである証。
闇の中、ただ一人敵と対峙していること、帰れぬこと、
己が存在の終焉を前に恐怖しないことこそが」

「これが最後だ。答えろ。お前は何が目的だ」
「これから壊れるモノに、なぜ答える必要がある」
宗主の手の間に、赤い光球が現れた。

泰明は腕を真っ直ぐに伸ばし、指を立てる。
「ここにいるお前は幻影に過ぎない。
風無き洞窟で、なぜ篝火や装束が揺れるのだ。
私はお前の影などに、倒されはしない」
泰明が腕を動かすと、炎を纏った大きな桔梗印が篝火の上空に現れた。

「見抜いたことは褒めてやろう。
だがこの場に現身が在らずとも、私の術はお前を撃つ」

光球の力と桔梗印の力が、同時に開放された。
泰明に向けて赤い光が放たれる。
桔梗印の星形が膨れ上がり、篝火と宗主を飲み込む。
そして両者が交わった刹那、凄まじい気が洞窟の闇を切り裂いて四散した。





土塊がばらばらと頭に落ちてきて、浅茅は這いつくばったまま顔を上げた。

出口を見つけるため、浅茅は今、涙ぐましい努力の最中だ。
小さな割れ目でもあれば、そこから風が吹き込んでくるのではないかと考えて、
洞窟の岩壁やそれらしい亀裂を探している。
今も大きな岩と地面の隙間に顔を近づけていたところだ。

――このままでは、またあの晴源という人が…お父さんが来る。
あの人の言うことを聞かなかったら、ここから出られないんだろうか。
悪い予感が頭をよぎるが、今はあえて心を向けない。

「クゥルルッ」
式神が頭上で鳴いた。
そしてまた、さっきよりたくさんの土塊が落ちてくる。

「何か見つけたの、式神さん?」
「クルルル」
一声鳴くと、式神は浅茅の頭にずん!と着地した。

「上の方に隙間があるの?」 
「クルックワ」
「もう一度、その場所まで飛んでみて」
式神は飛び立ち、岩壁の中程にある小さな出っ張りに羽を休めた。
首の周囲の柔らかな羽毛が、小さくなびいている。
風が来ている証だ。

しかしその場所は、浅茅三人分ほどの高さ。
軽くめまいがする。

――うわあ、泰明さんなら楽々登るんだろうけど、
あんなに高いところ、ぼくには無理だ。
でも、何とかしてあそこまで行ってみたいなあ。
風が吹いてるんだから、その隙間を広げればきっと…。

そうだ! 式神さんに運んでもらったらどうだろう。
あ…でも式神さんの力はそんなに強くないからだめだ。

だったら、ぼくが強く念じればいいのかな?
ぼくの力でぼくを持ち上げるんだから。
……なんか変だな。だけどやってみようかな。
でも、式神さんは小さいから、かわいそうだし。

浅茅が躊躇していると、式神が下りてきた。
鋭い爪がぎゅっと髪の毛を掴む。
「う…痛いよ」
しかし式神は力を緩めない。
「離して…」
そう言おうとして、激しい羽音に浅茅は言葉を飲み込んだ。
浅茅を掴んだまま、式神が激しく羽ばたきしている。
「もしかして式神さん、ぼくを持ち上げようとしてる?」
「クッワッワーッ!!」
「いたたたたた!!」
一瞬身体が地面から浮かび上がる。
が、「クゥゥゥ〜〜」と情けない声を出して、式神は爪を離した。
小石の上に落とされて足元がよろけ、浅茅は尻餅をつく。

頭もお尻も痛い。
だが、その痛さが浅茅を叱咤した。

――ぼくががんばるしかないんだ。
そんなこと、あたりまえじゃないか。
「ありがとうね、式神さん。ぼく、自分で登ってみるよ」
浅茅は式神に礼を言うと、手がかり足がかりを探しながら岩壁を登り始めた。





白鷺が土御門の上空を舞っている。

大事が起きたことは一目で見て取れた。
母屋の一部が壊れている。
外から侵入した狼藉者の仕業でないことは確かなようだ。
庭に散らばった木片は、母屋から外へと吹き飛ばされたものだからだ。
土御門に仕える者達が慌ただしく動き回っている中に、
屋敷の外の者が混じっている。

武士団の若棟梁と話し合っているのは左近衛府の少将。
散乱した物の片付けをてきぱきと指図しているのは治部少丞だ。
鍛冶師見習いの少年は、人手の足りなそうな所を見つけては、手を貸しに走っていく。
少し離れた所にある、被害を受けていない庇の下に座っているのは法親王だ。
腰を浮かせては、側に控えた家人に押しとどめられている。
その隣にいるのは、龍神の神子。
常ならば明るい桜色の頬が、心なしか青ざめている。

白鷺は翼をはためかせ、庭の松に降り立った。
長い首を巡らせてぐるりと四囲を見渡すが、やはり一人だけいない。

白鷺はふわりと飛ぶと、龍神の神子の眼前に舞い降りた。



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―― 花の還る場所 ――
第三部
1.小さな影の蠢く時  2.草庵  3.分断  4.護法  5.傷心
6.式神  7.前夜  9.雷雲  10.惨劇  11.(わか)
12.雨の後  13.岐路  14.散滅  15.予兆
16.逃走  17.行方
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2009.12.03  筆