花の還る場所  第三部

9.雷 雲


二つの気が至近距離から放たれ、空中で激突した。
眩い光と共に、篝火が砕け飛ぶ。
潜んでいた影をかき消され、二人の老人が目を剥いた。

しかしそれは一瞬のこと。

めらめらと燃えながら宙に四散した木片が、全てぷつり…と消え失せた。
後には燃えかす一つ残らず、篝火を背にした宗主の姿もそこにはない。

炎の残像が失せた洞窟に、闇が落ちた。

暗黒の中、泰明はゆっくりと身を起こす。

襲い来た赤い光球を弾くと同時に、泰明は後方へ飛んでいた。
それと時を同じくして、宗主は消えた。
桔梗印が篝火を飲み込み、眼も眩むような光が溢れ出る直前のことであった。
術を撃ち、術を弾き、大きく飛んで気の奔流を回避する――
まばたきするほどの間にこれだけのことを行い、
さらにはこの間に起きたことまでも、泰明の眼は全て捉えていた。

眼を半眼に閉じ、泰明は周囲の気を探る。
……だが、何もない。

泰明は眼を開き、つい…と親指を立てた。
その指先から、ほのかな灯りが宙に浮かび上がる。

灯りはふわふわと蛍のように飛び、
水気の鏡の隠されていた場所を淡く照らした。

壊れた鏡からしたたり落ちた水は地に吸い込まれ、跡形もない。

――強い思いを映し出す鏡……

私は片時たりとも、神子を忘れない。
だから最初に……
   神子が見えた。
だがそれが本当の神子ではないと、私は知っていた。

   次にお師匠を思った。
   お師匠が見えた。
   仲間を思った。
   仲間の姿が見えた。
   晴咒を思い出した。
   晴咒は私に語りかけてきた。

晴咒……

宗主の気は、晴咒とよく似ていた。
いや、晴咒そのものであった。

龍脈の流れるこの洞窟に入った時から分かっていたことではある。
だが宗主の術を目の当たりにすることで、それは確信へと変わった。

それが指し示す事実はただ一つ。
――大津の宗主と安倍晴源とは同一人物であるということだ。

そこまで考えた瞬間、
泰明は怖ろしい可能性に思い至る。

血が、凍った。
己を取り巻く闇も洞窟も、意識の中から消え失せる。

宗主は、あかねが龍神の神子であると知っている。
あかねをこの洞窟に攫おうとした目的は何だったのか。

晴咒のいた洞窟の祠の中には、
龍脈からの力を呪詛していた髑髏があった。
それは龍脈の流れの中で、砕けることもなく存在し、呪詛の力となっていた。

生前は、稀なる力の持ち主であったことは想像に難くない。
何者であったのかも、今の泰明には薄々見当がついている。

だが、それよりも――

泰明は大きく眼を見開いたまま、微動だにしない。

宗主は…晴源は、あの時と同じことをしようとしているのではないか。
晴咒亡き今、自らが京を滅ぼす力を得るために……龍脈を……

そのためには……贄が……あの髑髏のような………
それ以上の力を持つ………

「神子っ!!」

戻らなければ! 一刻も早く…あかねの元へ!!
漆黒の闇を貫き、泰明は走る。





夕暮れにはまだ少しの間があるというのに、外界は暗い。
突風が吹き抜け、雲の低く垂れ込めた空には、時折稲妻が光る。
雷雨が近い。

堂宇の裏手にある扉が、風に煽られている。

護摩壇の炎を背に印を結んでいた宗主が、ゆっくりと手を下げた。
その袖が風に揺れ、宗主の口元に皮肉な笑みが水泡のように浮かんで消えた。
足元には、焦げて砕けた木片が散らばっている。

炎を覗いていた童子と童女がふわふわと宗主の前に下りてくる。
「幻影を貫いて、ここまで術を届かせるとは…」
童子が言った。
「あのような場で、幻を見破るとは…」
童女が続けた。
「さすが、かの安倍晴明の弟子」
童子と童女は声を揃え、宗主の顔を伺う。

宗主は炎に向き直り、手をかざした。
燃えさかる紅蓮の色が、漆黒の色へと変ずる。
「造化のモノゆえのこと、驚くには当たらぬ。
先ほどの術の撃ち合いも、私が消える瞬間も、
冷たい眼差しで見ていたであろう」

童子と童女は寸分違わぬ動作で頷いた。
「あの陰陽師は」
「恐怖を持ちませぬ」
「人なれば、ただ一人暗闇の中に迷えば、狂う者もおりましょう」
「恐怖も動揺もないのは人ならぬゆえのこと」

宗主は足元に落ちた木片を見た。
「いや…あれは恐怖を知っている。
あれにとっての恐怖は、ただ一事……」

掌を向けると、木片は音もなく浮かび上がり、宗主の手に収まる。
「己が心を寄せた…神子を…失うことだけ………」
宗主は木片を握りしめた。
焦げた木ぎれは粉々になり、ぱらぱらと手からこぼれ落ちる。

宗主は眉根を止せ、闇色の眼を閉じた。

――心を寄せて……失う……恐怖……

宗主の白い手が、どろどろと形を変えていく。

童子と童女の笑みが広がり、耳元まで裂けた。
「往生際の悪いこと」
「まだ消えないのですか」
「あなたはもう、密かな憎しみまでも晴らしたではありませんか」
「仲房を最初に仕留めてなお、足りませぬか」

「仲房……讒言で更衣を…あの…」
童子と童女はくるりと回り、老人の姿に変わる。
「ええい、消えぬか!」
「ぬしはもう用済みじゃ!」

宗主は呻き、顔を歪めながら黒い炎に腕をさらした。
装束の袖がぼろぼろと崩れ、崩れかけた腕は元の白い形へと戻る。

その時、地を揺らして雷鳴が轟いた。
突如降り出した雨が、堂宇の屋根を激しく叩きつける。

「宗主様」
「お声が聞こえたようですが、大事でも?」
正面の扉の向こうから声がした。宗主の側に控える者達だ。

宗主は肩で息をつくと、護摩壇を背に真っ直ぐに立った。
いつの間にか、赤い炎が戻っている。

老人は再び童子と童女に戻り、小鳥のように小さく囁いた。
「あの陰陽師は、神子なくばただの人型」
「宗主様ほどの方なれば、怖れるに足りませぬ」

「人が来る。去れ」
闇色の眼が童子と童女を冷たく一瞥すると、二人の姿はかき消えた。

「宗主様!」
「大丈夫ですか!」
控えの者達が、また声をかけてくる。
心配、懸念、尊崇のこもごもに入り交じった声だ。

忠実な者達よ。
お前達に報いてやれる日も近い。
楽しみに…しているがいい。

宗主は慈悲に満ちた笑みを浮かべ、彼らに答えた。

「私ならば大事ありません。
こちらにお入りなさい。そこでは雨に濡れてしまうでしょう」

扉が開き、頭を垂れて入ってきた者達に、宗主は優しく声をかける。
「あなた方の気遣い、とても嬉しく思います。
雨がおさまるまで、共に待ちましょう」

しかし宗主の眼は、開いた扉の向こう…
天を隠し地を叩いて降り注ぐ雨を凝視していた。





あかねの前に、白鷺が降り立った。

追い払おうとした家人は、永泉が止めるより早く、
なぜかその場にごろりと横になり、すやすやと寝入ってしまう。

「神子殿」
白鷺は重々しい声で言の葉を発した。
「晴明様…ですか!?」
白鷺はほっそりとした頭をかすかに下げてみせる。

あかねは唇を震わせ、滲んできた涙をごしごしとこすった。
晴明様なら、きっと泰明さんを助けてくれる。
こみあげてくる嗚咽をぐっと飲み込んで、あかねは庇に手をついた。
「晴明様……泰明さんを…助けて下さい! お願いです!」

「神子…」
あかねを痛ましそうに見やり、永泉が側から言葉を継ぐ。
「左大臣殿は、疫神に取り憑かれておりました。
泰明殿が疫神を祓われた直後のこと、
闇から現れた怨霊に神子が連れ去られそうになったのです。
その時、神子をかばって代わりに泰明殿は自ら敵の手中に…」

庇についたあかねの手が、頭を下げたままの肩が、小刻みに震えている。
透き通った雫が、その手の上にぽろぽろと落ちている。

白鷺は翼を広げた。
「顔を上げられよ、神子殿。そして…」

あかねはこくりと頷いて、居住まいを正した。
「泣いてしまって、ごめんなさい。
晴明様のご用も訊かないうちに、自分のことばかりお願いして、すみませんでした」

大きな瞳はまだ潤んでいるが、あかねはもう、取り乱してはいない。
その様子を見て取ると、白鷺はふわりと勾欄に飛び乗った。
「八葉と共に、我が屋敷に参られよ」
その言葉と共に、空に舞い上がる。

白鷺の姿を追って見上げた空が、暗く翳った。
厚く黒い雲が西の空を覆っている。
吹き始めた冷たい風に、寝入っていた家人が大きなくしゃみと共に目を覚ました。

「一緒に行ってくれますか、永泉さん?」
あかねはすっくと立ち上がった。
「はい、もちろんです、神子」
永泉も立ち上がる。
慌てて止めようとした家人に、永泉はきっぱりと首を振った。

気がつけば、その場にはもう頼久、イノリ、鷹通、友雅が集まっている。
皆の思いは一つだ。

「行きましょう」
あかねは庇を下りて歩き出す。

遠くで雷鳴が轟いた。



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―― 花の還る場所 ――
第三部
1.小さな影の蠢く時  2.草庵  3.分断  4.護法  5.傷心
6.式神  7.前夜  8.心を映すもの  10.惨劇  11.(わか)
12.雨の後  13.岐路  14.散滅  15.予兆
16.逃走  17.行方

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執筆日を見ましたら、前回からなんと1ヶ月以上も間が空いていました(大汗)。
12月半ば頃からずっと、
「泰明さんが幸せな話しか書けないし書きたくない病」に罹っておりまして…(滝汗)。
オフ本まで出して、やっと一人祭り状態から脱しましたので、
また、ちまちまと話を進めていきます。

マイペースな更新におつきあい下さっている皆様に、
心から感謝です!!
愛をこめて一生懸命書いていきますので、
これからもどうぞよしなに見守ってやって下さいませ。

2010.01.27  筆