花の還る場所  第三部

13.岐 路


地の底を流れる龍脈を辿り、泰明は暗闇の中を走っている。
ぬかるみにも、ごつごつした岩場にも足を取られることなく
飛ぶような速さで駆け抜けていく。

地上へ――あかねの元へ。

じめじめとした暗闇には、無音のざわめきが満ちている。
音がないというのに、それはひどく耳障りだ。
音の主は気配ばかりで形を持たぬ穢れたもの達。
無数の視線が泰明を追い、谺のように行っては帰る。

得体の知れぬもの共の存在を感じながら、それでも泰明は足を緩めない。
構う必要はない、と判じているのだ。
それらが行く手を遮るならば容赦はしないが。

洞窟の幅が狭まり、二叉の分岐となる。
泰明は地に一枚の呪符を置くと、気を集中した。
と、呪符が二つに分かれてそれぞれの道の奥へと飛んでいく。

ほどなくして呪符は戻り、元の形となった。
泰明が呪を唱えると、左の道を行った呪符はぼろぼろと崩れ去り、
右の道を行った呪符は形を留めたまま。

躊躇うことなく、右の道を行く。
ゆるゆるとした下りが続いた後、道は急勾配の上り坂となった。

着実に地上に近づいている。
泰明は黒く冷たい岩肌の向こうに、まだ見えぬ空を…
あかねも見ているに違いない空を思った。

洞窟に降り立ってから、自分がどのように移動したのか、
位置ばかりではなく高さの違いまでも、泰明は把握している。
地上近くまで来ているというのは、思いこみではない。

油断なく冷静に周囲の気を探り、必要とあらば遅滞なく術を施し、
淡い光のみが足元を照らす闇の中を、つまずくことも息を乱すこともなく進みながら
泰明の心は別のことを思っている。

あかねがここに攫われてきたなら、
さぞ怖ろしい思いをしたことだろう…と。

人は闇を怖れ、怖れは闇の深さを増し、人の心を打ちのめす。
清浄な神子であったとて、あかねもまた人という存在なのだから。
ましてや、あかねが生まれ育ったのは、星月のない夜も明るかったという世界。
もう慣れました…と笑顔を見せながらも、
夜陰に向けた瞳には、いつも小さな怯えがある。

神子……
胸がぎりりと痛み、宗主の非道な陥穽に怒りがふつふつと滾る。

その時、宗主の冷たい声が脳裏に蘇った。
  『このような場にあって醒めている…それこそお前が造化のモノである証。
   闇の中、ただ一人敵と対峙していること、帰れぬこと、
   己が存在の終焉を前に恐怖しないことこそが』

泰明は我知らず小さく頭を振った。

確かに私は、闇を怖ろしいとは思わない。
だから闇の中に一人、こうしていることも、
宗主と戦った時も、怖ろしくはなかった。

だが己の存在が終焉を迎えるのは……
神子と別れるのは……
それだけが……怖い。

人は怖れる。私も怖れを知っている。
私はもう、人となったのだから。

その時、厚い岩を隔てた上方から、馴染み深い気が微かに届いた。

――お師匠?

泰明は足を止めた。

――いや、違う。式神だ。
お師匠の式神が、私を呼んでいる。

一点に気を集中し、気の流れてきた方向に放つと、間髪入れず応えが返った。
式神の見る景色が泰明に届き、低い視線の位置からその形が地を這うものと分かる。
式神は首を持ち上げて、四囲を見回している。
夜陰に沈んだ木々の形、黒々と広がる水面、水際にうずくまる祠。

泰明のよく知っている場所だ。
否…むしろ、忘れ得ぬ場所と言えよう。

泰明は歩を進め、式神の気が指し示すままに
岩壁の間に穿たれた人の幅ほどの間隙に身を滑らせた。
その先にあったのは、一見、行き止まりのような狭い空間。
まるで井戸の底にいるようだ。
だが、足元の暗闇が、遙か頭上では淡い薄闇へと変じている。

かすかな外気の匂い。
大雨が降った後に特有のしっとりと湿った大気が、緩やかに下りてくる。

泰明は顔を上げ、高く跳躍すると、切り立った壁面を軽々と登り始めた。





「グアォォォン!!」
巨きな怨霊が咆哮し、何本もの腕を次々と振り下ろしてくる。

「ひぃぃ〜っ!!」
「くぅるるるぅ〜くぇっ!」
すんでのところで身をかわしながら、式神を脇に抱えて浅茅は逃げ回っている。

高い岩壁を上り、微風だけを頼りに真っ暗な隙間をくぐり抜けて、やっと広い場所に出た。
そこはもう、暗闇ではなかった。
だから出口はすぐに見つかる、と思えた。

「よかったね、式神さん」
しかし浅茅が安堵の声を上げると同時に、
眼前の大きな岩と見えたものが、突如動き出したのだ。

押し寄せる瘴気に呑まれそうになった時、
頭に乗っていた式神が、浅茅の髪をくわえて引っ張った。
「痛っっ!」
かろうじて意識を保ち、浅茅は式神を抱えて思い切り後ろに飛ぶ。
入れ替わるようにして、今までいた場所を、怨霊の重い足がズシンと踏みつけた。

逃げ回りながらも、薄明かりを頼りに隠れる場所、潜り込める隙間を懸命に探す。
しかし岩壁には亀裂もなく、逃げ込めるとしたら浅茅が通ってきた狭い隙間だけ。
だがそちらへ向かうには、怨霊の真横を通らなければならない。

こんなに強い怨霊と一対一で向き合うのは、もちろん初めてのことだ。
その上、見習いの浅茅はまだ、怨霊を調伏する術を知らない。

ズシン! ズシン! ズシン!
重そうな巨躯にも関わらず、怨霊は鈍重ではない。
浅茅が方向を変える度に、素早く自分も向きを変えて追ってくる。

――でも何とかして、もう一度あの隙間に入れたら…。
浅茅は息を切らして走りながら、怨霊の足の速さを測っている。
しかし怨霊の吐き出す瘴気が澱のように溜まって足元を覆い始めていた。
駆け続けて、目の前がくらくらする。

「くぅるる…」
式神が小さく鳴いた。
「大丈夫だよ式神さん。危ないから、おとなしくしててね」
浅茅は決意をこめてむんっ!と唇を引き結び、
すぐに苦しくなってげほげほと咳き込んだ。





泰明が外界に出てみると、時はすでに夜。
雨に洗われた空には、慎ましやかな星々の光がある。

祠から出てきた泰明の前で、白いくちなわがゆらりと鎌首を揺らしている。
くちなわ…蛇は地脈を探るには好適の形だ。

「お師匠か」
くちなわは是と答え、晴明の言の葉を伝える。
泰明は深い安堵の吐息をついた。
あかねに大事は起きていない。
しかも、お師匠の屋敷にいて、八葉も共にいる。
自分が側にいない今、望みうる限り最も強い力が、あかねを守っているのだ。

しかし、
「神子に、すぐに戻るから案ずるなと伝え…」
異様な気を察知して、泰明は言の葉を途中で止めた。
くちなわもじっと身を固め、しゅうしゅうと低い音を立てながら周囲の気を探っている。

その気は、祠から微かに流れてくる。
しかし、大元はそこにはない。
最前まで泰明がいた龍穴のどこかで、怨霊が暴れているのだ。

「場所は分かるか」
泰明が問うと、くちなわは頭をもたげ、巽の方角を示す。

あかねは無事。
自分が龍穴を出た今、怨霊がそこで力を振るう理由は何か。
そもそも、龍脈の流れる場所に怨霊がいること自体が理に反する。
ならば、怨霊は誰かが置いたのだ。
その「誰か」に対する答えは一つ。
では何のために、怨霊は暴れているのか。
操られた怨霊が、誰もいないところで闇雲に暴れることはしない。
となれば、そこにいるのは…あの龍穴に捕らわれている者。

瞬時にここまで考えると、泰明はくちなわを掴み上げた。

「お師匠、式神を借り受ける」
是という答えも待たず、「先に行け」と命ずるなり、祠に放り込む。
そしてその後を追い、今出てきたばかりの祠に自らも飛び込んだ。
背丈の数倍はあろうかという落差を、一気に飛び降りる。

泰明の知る限り、龍穴に捕らわれている可能性のある者はただ一人。

――二叉に分かれた道。
瘴気に当たり、朽ちて崩れた片方の呪符。
くちなわの示した方角は、まさしく左の道の続く方向だ。

左の道の先に、浅茅がいる。

凄まじい速さで前を進む白いくちなわは、淡い光の道標。
闇を分け、泰明は駆ける。



次へ





―― 花の還る場所 ――
第三部
1.小さな影の蠢く時  2.草庵  3.分断  4.護法  5.傷心
6.式神  7.前夜  8.心を映すもの  9.雷雲  10.惨劇
11.(わか)  12.雨の後  14.散滅  15.予兆
16.逃走  17.行方

[花の還る場所・目次へ]   [小説トップへ]

なぜ「くちなわ」という異名を使ったのかって?
雰囲気が出るから…なんて
字を見るだけでもだめだから。とにかく苦手なのです。
ゲーム「MOTHER」シリーズでは、イニシャルGのことを「あのアレ」と言っていますが、
思うところは同じです。

2010.02.25  筆